東京お遍路 その7 田端界隈から、駒込、巣鴨、春日、本郷、湯島まで。

歩いた日は、2012年4月9日。
お参りした寺院は、第56番与楽寺、第66番東覚寺、第47番城官寺、第59番無量寺、第33番真性寺、第86番常泉院、第34三念寺、第28番霊雲寺、第32番圓満寺の9寺院。

 さんさき坂を上り、谷中寺町の観音寺に向かう。この前来た時には山門が閉ざされていて、お参り出来なかったからだ。山門は開いていた。本堂前で般若心経を唱え、本堂右にある赤穂浪士供養等にも手を合わせた。大師堂前にあるという、「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総国諦信」の文字が刻まれた標石は、樹木が生い茂っていて、刻まれた文字の確認が出来なかった。御府内八十八箇所が開創された歴史をたどる貴重な史料だと云うことだ。
 晴天、桜は満開である。寺町を散策するには、もってこいの日和だ。あっちでも、こっちでも熟年婦人の二人組みを見かける。諏訪台通りから道灌山を抜けて、道灌山通りを跨ぎ、住宅街を経て、眼下に並行して走るJR山手線、京浜東北線を見ながら高台を歩く。途中から左に折れ、近くに芥川龍之介が住んでいたという与楽坂を下ると左側に与楽寺がある。
 今日の小さな旅、東京お遍路はお花見行脚だ。谷中の櫻を見て、道灌山の櫻を見て、普段は目に付かない住宅街に咲き誇る櫻を眺め、染井銀座商店街の染井櫻開花祭りの賑わいを見て、染井霊園の櫻を見て、お参りした寺院では、それぞれに咲き誇る櫻を眺めながら、暫しの憩いを楽しむ。
 サクラといえば、「ソメイヨシノ」で代表される。染井吉野は、旧染井村、今日歩いてきた豊島区駒込付近の植木職人が、江戸時代に人為的な交配によって生み出した品種だといわれ、明治以降全国に広く分布していったものである。当初は奈良県の桜の名所吉野山にちなんで、「吉野桜」と命名された。しかし、吉野山の桜はヤマザクラの類で、「吉野桜」は誤解を招くとして、明治33年(1900)、上野公園の桜を調査した東京帝室博物館(今の東京国立博物館)の職員であった藤野寄命が、「染井吉野」と命名し、『日本園芸雑誌』に発表したことで、正式な名称として普及したとのことだ。
 2012年4月10日、讀賣新聞のコラム記事に、科学部次長佐藤良明氏が次のような文章を載せていた。主要部分を転載する。お許しあれ。
  「植物遺伝学が専門で、千葉大学園芸学部准教授中村郁郎(54)さんは、起源に謎の残るソメイヨシノについて、父親はオオシマザクラとされていた従来の説を、遺伝情報を担うDNAの分析で科学的に確かめた。では、母親の品種は? どこで生まれたのか? 上野公園にコマツオトメという品種がある。花の外見がソメイヨシノに似ている。中村さんが、親子判定の目印にする、DNA配列を調べると、ソメイヨシノの異母兄弟、という近い関係だった。中村さんが気にするエドヒガンは、コマツオトメの近くにある。4本はソメイヨシノの遺伝的特徴を分け持っているようだ。それぞれの木を詳しく調べれば、ソメイヨシノ誕生の秘密に迫れるかもしれない。
 科学的調査の一方で、中村さんはこう推理する。江戸時代初期、今の上野公園にあった津藩の藩邸が、寛永寺を建てるために染井村(現・豊島区駒込)に移転した。藩邸に出入りしていた植木職人の一族は、江戸随一の腕前とされ、様々な園芸品種を作った。職人は寛永寺にも出入りして、そこが品種改良の実験場になり、ソメイヨシノが作り出されたのではないか。」・・・という内容である。
 最近の遺伝子解析の結果でも、交配した品種が確定されているようで、染井村起源が定着している。にも関わらずだ、毎年この時期になると、韓国マスメディアでは済州島起源説を唱えている。他国の文化などの起源、伝播を朝鮮半島に求めたがる、かの国の非合理的な主張がここにも顔を出している。
 今日のお遍路は、最後に神田明神の櫻を眺めて終わった。万歩計の数字は30,150。よく歩いたもんだ。


その7の目次

第56番与楽寺
第66番東覚寺  
第47番城官寺  
第59番無量寺 
第33番真性寺
第86番常泉院
第34番三念寺
第28番霊雲寺
第32番圓満寺

ちょっと寄り道。
江戸六阿弥陀詣り



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