第7番室泉寺(しつせんじ)

     山号 源秀山(げんしゅうざん)
     住所 渋谷区東3-8-16
     参詣 2011年10月20日

 
龍巌禅「不許葷酒入門内」と彫られた石柱

 室泉寺は渋谷区東三丁目にある。町域は東一丁目から東四丁目まで広がっていて、渋谷区の東に位置するから、東という地名にしたのだろうが、昭和40年代の住居表示実施以前の地名は、「常盤松町」と「氷川町」である。歩いていると、常盤松小学校に出会い、氷川神社に出会う。歴史を感じる地名が、単なる記号に置き換わってしまって、味気ない。この界隈は、江戸時代には下渋谷村、三田村と呼ばれ、渋谷川と三田用水に挟まれた田園地帯であって、大名の下屋敷が点在していた。
 明治通りから地図に従って細い道に入っていったが、上り坂になっていて、下校時なのか、高校生の集団が道一杯を塞ぎ、下ってくる。この坂道を抜けたところに都立広尾高校がある。
 右手に小ぶりで品よく纏まった山門が見えてきた。扁額には金文字で「源秀山」と書かれている。山門の横に「不許葷酒入門内」と彫られた古い石柱が建っていた。臭い匂いのするニンニク、ネギやニラのような野菜や、お酒を山門内に持ち込むことを許さない、という意味だ。寺院を廻っていると、同じような石柱を見かけることがある。臭いが強く、くさい野菜を食べると勢力が付きすぎて心を乱し、修行の妨げになるという理由から、お寺では食膳に供する事を禁じていたようだ。酒も同様である。つまりは、修行する人のための生活標語のようなものだ。
 境内は、手入れの行き届いた緑に覆われていた。それとは対象的に、本堂の屋根は青銅色で、白壁には朱色に塗られた太い柱や鴨居、窓を囲った横木が組み合わされていた。濃い緑に囲まれた中で、朱色の柱にはちょっと違和感を覚えたが、これは私だけだろうか。下校する高校生の集団の後について、恵比寿駅に向かって歩く。
 1887年(明治20年)、この地に、いまのサッポロビールの前身である日本麦酒醸造会社が建設されて、明治23年に「ゑびすビール」が発売された。このビールの物流拠点として、当時の日本鉄道品川線(現在の山手線)に貨物駅が開設されて、恵比寿停留所と名付けられている。しかし、恵比寿が町名として登場したのは、ずっと後の1928年(昭和3年)のことである。
 恵比寿ガーデンプレイスを左手に眺めて歩く。はぁ、ここがそうなのか。山手線をまたぎ、地図を確認しながら恵比寿南一公園の角を左折して、目黒駅を目指して歩く。 (2011年11月11日 記)
 
 


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