kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下


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現在新規更新は休止中ですが、過去10年間の社会批評を検索ができるようにデータベース化しています。思考がデータベース化されていますので、現在社会を考える一材料になると思います。「検索」でご利用下さい。


私と社会学&社会批評


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■2011年06月17日(金)16:19  慶大先端生命研「ノーベル賞を目指せ」6人が研究生に…。
 ノーベル賞に輝くような研究者を目指す高校生を応援しようと、鶴岡市の慶応大先端生命科学研究所(冨田勝所長)で15日、特別研究生の入学式があり、県立鶴岡南高(田中芳昭校長)の1〜2年生6人が夢への第一歩を踏み出した。
 特別研究生は、研究所が新設した「鶴岡発ノーベル賞級博士育成プロジェクト」の第一期生。
 4月上旬に鶴岡南高内で希望者を募集し、6人が応募。研究所の面接を経て全員合格した。それぞれの研究テーマに基づき、放課後や夏休みに研究所で実験機器などを利用し研究を進めるという。研究成果は、将来の大学受験の推薦入試などで自分の研究として提出できるようにする。(毎日jp)

 最近は暗いニュースばかりだったので、明るいニュースでもと思い本記事を取り上げました。
 若き時代に最先端の技術を研究する経験があれば、将来飛躍できる可能性もあります。
 理科系離れの昨今、こんな企画が全国規模で広がれば、日本は安泰。なんてね。
 こんな時代だからこそ、どんどん若者が夢を見ることが出来る企画を推進して欲しいと思います。

 今回の企画は理系ですが、文系のノーベル文学賞プロジェクト、ノーベル平和賞プロジェクト、ノーベル経済学賞プロジェクトなんか企画されると良いかもしれませんね。
 そこに日本再生の鍵が見つかるかもしれません。

■2011年06月16日(木)09:12  生活保護の補足性を考える…。
【義援金理由に生活保護を中止…。】
 東日本大震災の被災者に寄せられた義援金や東京電力福島第1原発事故の仮払補償金を収入とみなし「手持ち金で生活可能」として、福島県南相馬市が6月になって約150世帯の生活保護を打ち切ったことが分かった。震災前に同市で受給していたのは約400世帯で、打ち切りは4割に相当する。日本弁護士連合会は15日、「福島県や宮城県で義援金等を収入認定した打ち切りが相次いでいる」として是正を求める会長声明を出した。(毎日新聞)

 震災の被災者は、義援金等の支給では一時的な生活が確保できるに過ぎない。将来の生活の目処が未だ立たないのである。
 そんな状況で生活保護を打ち切る政府の対応は理解できない。
 確かに、生活保護法は、保護の補足性を原則に、全ての財産を活用しても尚生活できない人達を保護する。手持ちに財産があれば、財産の認定をして保護申請を拒否する。収入・財産を全て失って生きる術が全く無くなった人のみを救済する制度である。それ故、今回のケースのように義援金等の収入があった場合でも、それを収入認定して「生きる術があると認定して」保護を打ち切るのである。すなわち、一時的にも義援金などで生活できるのであるならば、それで生活を賄えというのである。生活保護での保護は拒否する。義援金等を使い果たしてまた生活に窮したら、その時また来いというのである。この点は、生活保護法の趣旨から考えて当然の事なのかもしれないが、今回のケースでは賛同できない。
 義援金や災害補償金は、被災した人達の生活を保護することを目的に支給される。それで将来も含めた生活の確保が出来るのであれば、何も生活保護に頼る必要は無い。
 しかし、震災によって、被災者の将来の生活の目処は立たない状況である。そのような状況下で義援金等の収入を全て収入認定して生活保護を打ち切るのは酷である。せめて、被災者の生活の目処が立った時点で残額を収入認定すれば良いと考える。それまでは、暫定的に生活保護を継続させることが真の社会保障を実現するものであろう。この点から、生活保護法の是正が必要であると思われる。
 ただし、このような例外を認めると、一般の受給者との間に不公平を生じさせるという懸念もある。生活保護の補足性は、今後、慎重に議論されなければならない課題かもしれない。自分の気持が揺れているのを感じる。
 誰もが望む平和な社会。貧困のない社会。そんな社会が訪れれば、こんな問題なんて考えなくても良いのに…。混迷する社会を変えていく力が欲しい。

追記:本記事をTopicsに追加しました。→「生活保護の補足性を考える」

■2011年06月10日(金)19:59  お知らせ…。
 2010/06/03に掲載した「常識で考えろ?」に大幅な変更を加えてTopicsに掲載しました。

 →「脱・常識のすすめ」(新しい発想を得るために!)

 よろしくご拝読願います。

補足:2011/06/14
 ミクロ経済学の常識を非常識として批判しましたが、それは実社会との関わりを否定する学問だからです。この「非常識の勧め」は少し趣旨が違います。常識として考えられていた仮説を覆す「脱・常識の勧め」と解して頂ければ助かります。常識を打ち破って新たな創造をする。それを提案するものです。
補足:2011/06/20 表題を変更しました。

■2011年06月09日(木)18:16  生活保護法と国家…。 水俣病患者を救え!
【水俣病 一時金で生活保護停止…。】
 水俣病被害者救済法などに基づいて支給された一時金210万円を収入とみなされ、生活保護を受けられなくなった被害者の世帯が熊本、鹿児島両県で100世帯を超えている。(読売新聞)

 これじゃー、病人に鞭打つような仕打ちだ。
 和解金は一時金以外にも支給されるのであろうか。
 だとすれば、せめて、和解金全額が支払われるまで生活保護費の受給を継続させるべきだと思う。
 患者に酷過ぎる。
 人の支配を排除する法の支配。法により国家を統治する。それは、国民から信託された権利であり、国民の為に行使されなければならない。困っている国民を切り捨てる法。それは悪法。生活保護法は悪法。その悪法を盾に国家は国民を切り捨てる。国家による国民の切捨て。それは見逃してはならない統治行為の乱用である。
 いつの時代もそうだ。お役所は困っている国民を見てもそれを救済せず、厳格な法の適用により国民を門前払いする。
 国家は困っている国民の現実を見ない。
 見ているのは六法全書に書かれた法の適用基準だけである。
 どうしたら、法の適用基準を緩和して国民を救済できるかなどとは一切考えない。法の規定通りですから、と冷酷な対応をする。今回の件もそうである。
 それもその通りである。国家官僚は、国民の事など眼中にない。見ているのは法学部で習った試験に出てくる法令の解釈と当てはめ。ただそれだけである。国民を如何に救済すべきかなどは試験に出てこないから、考えること自体が対象外なのである。
 国家公務員は、国民に奉仕してこそ存在意義がある。
 今回の件に関しては、せめて、災害の補償金のような特殊な収入は、生活保護法の改正等で収入認定しない方向に是正すべきであろう。その為の暫定措置として生活保護費の受給を継続させるべきである。
 それが国家公務員・官庁・国家の責務であり、国民を救済する真の生活保障制度の実現を図るものだと考える。

追記:若干修正しました(2011/06/12)。
追記:本記事をTopicsに追加しました。→「生活保護法と国家」(水俣病患者を救え!)
追記:若干、加筆修正しました(2011/06/14)。

■2011年06月08日(水)14:49  日本国家復興論・・。文殊の知恵を搾り出せ!
【民主新体制なら復興に協力 自民・大島氏】 
 自民党の大島理森副総裁は8日午前、大連立構想の実現を模索する超党派の「日本の復興と再生を実現する議員連盟」(復興再生議連)の幹部会合で講演し、菅直人首相の早期退陣で民主党が新体制になれば、東日本大震災の復旧、復興に大連立を含め、協力するとの前向きな考えを示した。(産経新聞)
 
 今、我々は、大きな時代の分岐点にいる。そして、その渦中で国家行政を見つめている。

 東日本大震災が齎した悲劇は、国民統合への動きへと傾いている。
 この時代・社会だからこそ、全国民が一致団結してその試練を乗り越えなければならない。国民・国家はそれを自覚したのではないか。
 大連立はそれを模索する手段としては、妥当であると思う。無用な権力争いは何も生まないだろうし、国民もそれを望んでいない。
 緩やかな政権交代が起こるかもしれない。
 政党が統合して大きな権力構造が生まれるかもしれない。
 それは、社会主義国家への変遷を意味するものであろうか。分からない。
 しかし、今、日本国家の社会変動は、加速的且つ緩やかに興っている。
 日本復興の鍵は、被災地の復興は勿論,今までに無い強い経済社会システムの構築に懸かっている。強い経済社会システムが構築できれば、国家の財源問題や失業問題・貧困問題,膨らむ社会保障費の削減が解決される。
 それを提案できる国家でなければならない。その提案・実現こそが、明日の日本国家の明暗を左右するのである。
 誰が、その提案をするのか。
 それは正しく国家の代表者達である。そのために国民によって代表者が選出されているのである。安易な妥協点を見つ出す政策であってはいけない。白熱した議論の中で、最も効果的な政策を見出す。天才的なリーダーの登場は待ってはいられない。百人寄って、国家一丸となって、文殊の知恵を搾り出すのである。
 党派を超えた議論がそれを生み出すと考える。だからこそ、大連立を組む意義があるのである。
 明日の社会を開拓するために、是非、大連立を実現して貰いたい。そう願うのである。

追記:本記事をTopicsに追加しました。→「日本国家復興論」(文殊の知恵を搾り出せ!”)

■2011年06月03日(金)13:34  「感情自己責任論」の一考察・・。
 最近、「感情自己責任論」というBlogを読んだ。感情の責任は、情報の発信者ではなく、その受け手である人間の解釈次第で決まるもので、その解釈者の自己責任であるという理論である。短く引用すれば以下の通りである。

 『他人が書いた文章を見て怒りを感じた時、殆どの人はその怒りの原因が「文章の書き手」にある、と考える。しかし画面に見える文字の実態はドットの集合体に過ぎない。−中略−その後、読み手自身が翻訳し咀嚼し解釈して初めて、彼が怒りを感じるのである。もし刺激を受けた全ての人が怒るなら、その白黒模様の記号に怒りの原因があると言える。しかし実際には反応は人それぞれ。各人の価値観は異なるので、人によっては怒りを感じない。即ち読者が怒るか怒らないかは、文章の存在ではなく、読者自身の解釈の仕方如何で決まる。』

 言葉,文字,言語,コミュニケーションは、文化であり、人類固有の情報伝達手段である。情報の発信者は、その情報を大勢の人に正確に伝達させる事を目的に文章を書く。それは、単なる文字の羅列ではなく、固有の意味(メッセージ)を含んでいる。
 確かに、文章を発信した情報発信者は、その発信したメッセージが情報の受け手にどのように伝達・解釈されるかは分からない。それが怒りを感じるか否かは情報の受け手次第である。
 だからと云って、「感情自己責任論」の主張のように、その責任が全て情報の受け手にあるとは言えない。情報発信源である文章には、そこに受け手が理解可能なメッセージが込められており、その解釈基準を提供しているからである。単なる文字の羅列では、そこに解釈基準が無いから読者は感情を抱かない。怒りを誘発する解釈基準があれば、それが怒る要因となるのである。
 すなわち、他人が書いた文章を見て怒りを感じた時、その怒りを生じさせるのはその文章の存在(表現・内容・解釈基準)と読み手側の解釈の双方で決まる。つまり、文章の存在と読み手側の解釈との間には原因から結果を生み出す因果関係が存在するのである。原因なくして結果なしなのである。その原因と結果との因果関係を無視する「感情自己責任論」の解釈は妥当ではないと思われる。
 文章はそこにメッセージが込められている。メッセージが正しく伝わらないのであれば、情報発信者側にも問題がある。この情報発信側の存在を無視して情報の受け手側の解釈という一面しか捉えていない理論は、支持できない。
 しかし、面白い理論ではある。興味のある方は、引用元を参照されたい。

*引用元:http://sky.geocities.jp/dwhsg178/kanjo(解釈する側の自由と責任、感情自己責任論)

■2011年06月03日(金)08:58  お知らせ・・。
 2011/01/27に掲載した記事「ヘッセ・車輪の下」(学校教育の本質)をTopicsに追加しました。

 →ヘッセ・車輪の下(学校教育の本質)

 よろしくご拝読願います。

■2011年06月02日(木)09:03  内閣不信任決議案 造反拡大で緊迫・・。
 自民、公明、たちあがれ日本の野党3党は1日夕、菅直人政権に対する内閣不信任決議案を衆院に共同提出した。2日午後の衆院本会議で採決される。民主党執行部は否決した上で、造反者には除籍(除名)などの厳しい処分で臨む方針だが、小沢一郎元代表と鳩山由紀夫前首相が不信任案に賛成する意向を固めた。小沢グループを中心に同党議員70人以上が造反する構えをみせており、民主党は分裂含みで不信任案の採決に突入する見通しとなった。(毎日新聞)

 今、政局をじっと見つめている。我々はこの時代に何をすべきなのだろうか。
 権力争いをすべきなのか。それを見つめている。
 若し、内閣不信任案が可決されれば、菅総理は解散総選挙をする意向らしい。
 可決されて解散総選挙か内閣総辞職か、否決されてその地位を保持するのか。
 それは誰にも分からない。
 異なる正義と正義が衝突している。ただそれだけである。
 民主主義の多数決原理がこの対立の調整をする。
 良い方向性を探って欲しいと思う。

追記:【菅内閣不信任決議否決】
 衆院本会議は2日午後1時半から本会議を開き、野党から提出されていた内閣不信任決議案の採決を行い、賛成152票、反対293票で否決された。不信任案への賛成の意向を表明していた小沢一郎氏は採決を欠席した。(産経新聞)

 うん、これで良かったと思いますよ。

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