kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下


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私と社会学&社会批評


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■2012年05月28日(月)23:49  民法の扶養義務と生活保護を考える…。
【扶養困難に説明義務。厚労相、生活保護法改正検討…。】
 小宮山洋子厚生労働相は25日、人気お笑いコンビ「次長課長」の河本(こうもと)準一さん(37)の母親が生活保護を受給していた問題に絡み、生活保護受給者の親族が受給者を扶養できない場合、親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す生活保護法改正を検討する考えを示した。保護の決定を行う各自治体は現在、保護申請者に扶養可能な親族がいるかどうか聞き取り、親族には扶養の可否を問い合わせているが、明らかに扶養可能でも拒否するケースもみられるという。
 小宮山厚労相は、同日午後の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会でも河本さんの問題に触れ、「扶養義務者は責任を果たしてほしい」と述べ、余裕があるのに扶養を拒む場合は積極的に家庭裁判所へ調停を申し立てる考えを示した。現在も調停や審判の申し立ては可能だが、家庭の事情に踏み込むのを嫌って、実際に申し立てた例は「20年以上把握できてない」(厚労省)という。小宮山厚労相は生活保護費の支給水準引き下げを検討する考えも表明。生活保護の受給開始後、親族が扶養可能と判明した場合は積極的に返還を求める意向も示した。(産経新聞)

 沖縄タイムスでは、
   =〔生活保護と扶養〕は義務化では解決しない=
                   と扶養問題の提起をしている。

 そもそも、これらの問題を考察すると、相当に奥が深いことが分かってきます。現在の日本の家制度が崩壊して何十年位になったのでしょう。現在の家は、長年続いた家父長主義から成る複数世帯が住む家と、夫婦一世帯が住む核家族化した家と,独身世帯の家に分類することが出来ます。この家制度の変容により、そこに済む人間・家族の居住生活形態が変わってきているのは明白なのです。また、不景気の影響で、日本での雇用問題は有効に機能せず、大量の失業者を生んでおり(その多くが生活保護費を受給者である)、これに国家は有効な歯止めを掛けることはできず、大量の失業者に生活保護を受給させて人間としての最低限の生活を担強いています。
 このように、家制度もライフサイクルの多様化により変容しており、一般の社会人が民法の定める扶養義務の範囲で、他の家族を同居・別居などで扶養をすることはお金の問題以外にも諸所の問題があり、容易に解決することはできません。
 例えば、被扶養者を扶養するお金があっても、家族との不仲で家族生活に問題を生じさせる場合があります(それが原因で家族が崩壊することもある)。
 また、子供を上級学校に行かせる等の養育費・教育費・学費等の捻出計画,車の購入,家の購入等の支払い計画が狂うこともあります(これも家族が崩壊する原因になる)。等など。
 また、調停などで強制的に家族扶助・同居等を認めさせても、家族は混乱する虞があります。
 また、調停などの強制が嫌で、生活保護を諦めて、家族との同居を拒み、路上生活者となるものが今以上に増えることも懸念されます。
 また、調停の失敗等で関係者間で、障害・殺人等の犯罪が起こる懸念も否定できません。
 すなわち、上記のような諸事情から、容易には(身内であるが)他人の生活を扶助することはできません。したがって、多額の財産を持った扶助責任者しか、扶養を行うのは困難であると思慮します。
 上記の考察の通り、社会は家制度の崩壊で、扶養義務を強制できない程に複雑化しており、民法の規定する扶養制度義務も、現状では効果的には働かない可能性が高いのです。したがって、生活保護受給者の親族が受給者を扶養できない場合、親族側に扶養が困難な理由を証明する義務付けるのは、時間・経費ばかりかかって無駄や新たな問題を生むような気がするのです。旧い家制度が崩壊したと同時に民法の扶養義務の規定も現状に合った規定に変更すべきとも思えます。なんだか、民法の規定と現状の家制度の間に埋めがたい齟齬があり、これを埋めなければいつまでたっても、問題は解消しないのかもしれません。
 検討は、人の生活・家・社会というものを真剣に認識して、社会常識から逸脱しない方向で行って欲しいと思います。
 また、小宮山厚労相さんは生活保護の支給水準を下げることも検討される様子。時代は、何等効果的な不況対策を行っておらず、その結果多量の失業者を輩出し(多量の生活保護者を輩出し)、膨大な社会保障費を計上しなければならなくなりました。失業者が増えて社会保障費が膨大に増えてしまったのであれば、失業・雇用対策をして失業者を減らそうという対策を検討・実行するのが通常の人の考える対策です。しかし、小宮山厚労相他民主党幹部の考える対策は、これらの失業・雇用対策の失敗を余り表に出さず(隠蔽さえして)、不景気で失業者が増え、生活保護費が膨大に増えたことを強調します。そして、それは失業者の責任の如く生活保護者に国民の目を誘導させて生活保護費の削減を詠うのです。
 弱い者に強い者が責任転換するのは、極悪です。極悪人は退治すべきなんです。
 正義がみつかりません。悪人はこんなにいるんですけどね…。

追記:本記事をTOPICSに載せました(2012/05/29)。→「民法の扶養義務と生活保護を考える。。。」
追記:本記事の誤記を修正しました。(2012/06/03)

■2012年05月26日(土)08:26  <生活保護費>支給水準引き下げを検討・国家に騙されるな…。
【<生活保護費>支給水準引き下げを検討、小宮山厚労相…。】
 小宮山洋子厚生労働相は25日の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会で、生活保護費の支給水準引き下げを検討する考えを示した。また、生活保護受給者の親族らが受給者を扶養できる場合、親族らに保護費の返還を求める考えも示した。(毎日新聞)

 国の産業政策・労働政策の失敗が大量の失業者を生み、生活保護費の支給が大幅に膨らんだ。政府は、その失敗を隠蔽し、生活保護を受給している者を悪と看做すように(あたかもそれが正しいように)国民の目を誘導している。思想教育と一緒である。それに国民は騙されてはいけない。
 今、国政の失敗の責任を弱者へ転嫁させようとする国家の暴走を止めなくてはいけないのである。
 憲法も法律もみんな強い者が制定してきた。この国の法の支配は、個人を尊厳すると詠いつつも、結局は弱い者は屍となる法制を敷いている。負け犬の遠吠えは、この国家には届かない。無視されるだけである。
 憲法25条は、貧しき者を守ってはくれない。それに反し、国家公務員は法律により強固に守られている。弱いものが足蹴にされ、強いものが生き残れる社会。我々はその社会で闘っていかなければならないのである。
 今、国家の横暴を阻止できるのは国民のみである。国民よ。立ち上がれ!

■2012年05月25日(金)15:06  国家公務員給与削減特例法は違憲であるのか…。
【給与削減の特例法「違憲」公務員240人が提訴−東京地裁】
 人事院勧告(人勧)に基づかずに国家公務員給与を引き下げる特例法は憲法違反だとして、国家公務員241人らが25日、国を相手に、給与の減額分や慰謝料など約4100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。追加提訴も予定している。(時事通信)

 何百兆円もの負債を抱えた日本。この日本を借金まみれにしたのは、ご存知の通り、国家公務員達である。経済改革を推し進められないまま、借金をしてまで政策費をばら撒いて、散財した。給与削減特例法は、この国家公務員の散財した負の国家財産を国家公務員に返済させるものである。
 今、国家は立国以来の財政難にある。この危機的状況を救うため、今まで甘い汁を吸い続けてきた国家公務員から不法利得を返済させるのが、国家コミュニティでの正義に適う。
 確かに、労働争議権は憲法が国民に保障するものである。それを侵害する行為は違憲である。公務員の性質上、この労働争議権は禁止され、代わって人事院による勧告が労働争議権に代用されてきた。しかしながら、国家のこの未曾有の経済財政難。国家・国民が瀕死の状態で経済難と闘っている時代にあって、国家公務員達だけが、保身されるのは国家コミュニティの正義からは逸脱していると考える。本来、国家の失敗を償わなければならないのは国家公務員である。その彼等が、自己の不利益だけを憲法違反であると主張して、彼等を保身する権利を憲法は認めているのであろうか。
 確かに、労働争議を経ないで国会が一方的に給与削減を行うのは、違憲の疑義がある。しかしながら、国会のコントロールの下に行われる国家公務員の給与削減と、国家公務員の人権の制限を比較衡量すると、失われる利益(国家公務員の人権)よりも実現される利益(国家公務員の給与削減)の方が遥かに国益として大きい。国益を唄って個人の人権を制限することは、個人の尊厳を基調とする憲法の精神から見て、妥当ではないかもしれない。しかしながら、今崩れ逝く国家の衰退を鑑みるとき、憲法上保障される権利を可能な限り制限し、実情を反映しない人事院勧告を見送り、国家による正当なコントロールの下で公務員の職務の対価を決定することは、国家統治行為としては、許容される範囲であると思慮する。
 全ての法が国家統治行為の下に無効あらしめられることは、法の支配が無効化され、専制政治が行われる危険がある。したがって、国家公務員の人権を守ることを国家公務員の名で死守することは、個人を守る砦となって法治国家を健全・安心なものとすることは間違いない。しかしながら、国家公務員の身分保障のためだけに己を駆使することが国家公務員の職責であると考えるのは弊害がある。国家公務員が自己の保身だけではなく、国民を守る砦となるのが本望であろう。
 給与削減法案は、正当な国会のコントロールの下に実現されるものである。これに限って言えば、国会が正当に機能している場合の措置であるので、時代の要請であるとして受け止めるべきであると考える。人権も無制約ではない。公共の福祉の制限を受ける。今回は、給与削減法案を公共の福祉と看做して、甘受すべきであろう。憲法の砦は、未だ守られてる。大丈夫である。

■2012年05月13日(日)09:44  くしゃみから文明の利器の危険性を考える…。
【くしゃみで歩道に車?男児死亡…。】 
 12日午後3時10分ごろ、仙台市泉区館の市道で、近くに住む、幼稚園児、武田善進(ぜんしん)ちゃん(5)が乗用車にはねられ、搬送先の病院で死亡した。宮城県警泉署は、自動車運転過失傷害の現行犯で、車を運転していた同所、保育士、堀田仁子容疑者(53)を逮捕した。(産経新聞)

 くしゃみで過失傷害?くしゃみと運転上の結果回避義務並びに交通事故の因果関係がよく分からないので、何も判断できないわけですが、今回の事故を推測で勝手に判断しますと、くしゃみの反射でハンドルが歩行者側に向いてしまい、男児を跳ねてしまったような場合には、運転手の故意・過失が問えず、違法性も阻却されるような気がします。刑法を独学で勉強したのは20年前。手元には教科書も無く、ただ不確かな記憶から駄弁してしまいました。
 それにしても、最近は、自動車・バスの運転者の操作に起因する交通事故が多発しており、報道でもクローズアップされています。てんかんによる死亡事故。居眠りによる死亡事故。それと、今回のくしゃみによる死亡事故です。
 車は人間が操作するものですから、必ず運転ミスを起こします。しかしながら、自動車運転等の危険を伴う行為であっても、その行為は社会的に有用な行為なので、少しの犠牲者の発生は黙認し、故意・過失による事故がない限りその運転・使用は許容されます(許された危険)。
 大きな有益性を詠って小さな犠牲を黙認する。社会の大多数が必要とするならば、かけがえのない個人の生命であっても、それを奪う可能性のある行為の正当性を認めるのです。奪ってから、その行為者を責めます。失敗した彼だけがせめられるのです。社会は責められない。おかしいですよね。
 毎日、交通事故が起こっています。人間が、車社会を放棄しない限り、誰もそれを止めることはできません。人間・物資の輸送機関は全て人命との拘わりあいを持ちます。
 「青臭いことを言ってんじゃないよ。おまえも、その文明の利器の恩恵を受けているだろ。飛行機事故だって、交通事故に比べればその確率は低い。怯えちゃいけない。人間、死ぬときは死ぬんだ。それは、仕方の無いことさ。」
 経済学的には、これは功利主義として妥当・正義であると論証されるでしょう。
 私には、社会に認容される正義は、その過去の偉人達の功績や過去の人類達の犠牲の下に作られていることを了承しても、なお、文明の利器の危険性を排除できなければ、それを無制約に使用すべきではないと思います。そういった意味で原子力発電の存廃論も考えて行かなければならない。
 科学の進歩と人類に齎す有益性の陰に黙殺されていく少数派の犠牲者の冥福を祈って!

■2012年05月11日(金)13:40  フジテレビの情報番組「ほこ×たて」で就職希望者増…。
 金属加工の日本タングステン(福岡市)は10日、2013年春の新卒採用の応募者が134人と、前年の1・5倍に増えたことを明らかにした。フジテレビ系の娯楽番組「ほこ×たて」で、自社製の超硬合金が、どんな金属でも穴を開けるというドリルと対戦し、負け知らずの好成績を残したことが話題となって志望学生が急増したという。(読売新聞)
 
 この日本タングステンといい、医療品機器メーカーのタニタといい、このところテレビがリサーチして名を上げる中小企業が多くなってきました。一躍光を浴びれば怖いものなし。就職希望者も増加していい事ずくめですね。
 それに比べて厚労省は何をやっているのかふがいないですね。学生を中小企業に誘導するまともな計画一つ立てることができない。助成金をばらまけばどうにかなると思っている。それしかない。お上に期待する事自体が無理難題なのかもしれません。
 さて、5月というのに外は未だ寒いですね。これから就活のデッドヒートが繰り広げられる。熱い魂を持って就活を乗り切れ。学生諸君にエールを送ろう!やあ!君なら出来る。

■2012年05月04日(金)06:06  ああ無情…。
 関越自動車道で7人が死亡したツアーバスの事故では、運転手の河野化山(かざん)容疑者(43)=自動車運転過失致死傷容疑で逮捕=が疲れから居眠り運転をしていた疑いが浮上しているが、同様のツアーバス業者間では、安全や法令を無視した運行が横行している。(読売新聞)

 構造改革(規制緩和)はバス事業にまで及んでいる。規制緩和で事業者が極端に増えたので、少ない予算で低運賃・高サービスの提供を実現・提供しなければならないという過当競争を強いられている。運行管理書や健康チェックなしの管理がずさんな状況で、日々過剰業務をこなさなければ生きていけないという実態も見えてきた。更に、今回のケースでは、運転手は日雇いだった可能性が指摘されている。
 今回の事件は、バス業界・バス業者・運転手の不備だけで起きた単なる交通事故ではない。規制緩和を国策として信仰する新自由主義者達の政策の瑕疵なのである。今回の事件は予見できた。これを予見できないという言い訳はできない。
 新自由主義による規制緩和が徹底されれば、事業者達が熾烈な過当競争を展開せざるを得ない。強い者が勝ち、弱い者が淘汰される。美しい「自由な競争」の名の下に、弱者達は抹殺されるのである。功利主義。どんなに不利益があろうとも社会全体として利益の総和が大きければ正義とされる。これが経済の本質である。
 資本主義は、正しく自然法則に従っているのである。弱肉強食の世界。完全自由な競争の下(市場完全競争)、神の見えざる手によって、市場のメカニズムは正常に機能する。経済には、警察の他は、国家が介入する必要ないのである。ああ無情!
 今、「自由」の名の下に提起される規制撤廃政策に抵抗する術はないのであろうか。ああ無情!

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