kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下


This criticism is being offered by 「kazkaz of 車輪の下」.


現在新規更新は休止中ですが、過去10年間の社会批評を検索ができるようにデータベース化しています。思考がデータベース化されていますので、現在社会を考える一材料になると思います。「検索」でご利用下さい。


私と社会学&社会批評


最新ページの入り口は、こちらです。


■2010年04月27日(火)18:46  民主党小沢幹事長「起訴相当」の議決,検察審査会
 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、小沢氏を不起訴(容疑不十分)とした東京地検特捜部の処分について、東京第5検察審査会は27日、小沢氏を起訴すべきだとして「起訴相当」とする議決を公表した。議決を受け、特捜部は再捜査を行い、原則3カ月以内に改めて刑事処分を決める。(毎日新聞)

 民主主義を標榜してきた小沢氏が民意により抹殺される可能性が高まった。民意とは恐ろしいものだ。政界をも震撼させる。小沢氏の去就次第で今後の政界が急速に激変することは必至だ。
 勿論、私個人の意見としては、今の民主党政権が崩壊して、新たな新政権が構築されることを望んでいる。民主党政権では、国民の生活を保障する力量はないと考えるからだ。財源なき政策は、破綻寸前で、国民の支持を得られないことはご承知の通りだ。普天間基地問題も迷走している。
 かといって、今回の検察審査会の議決を受けて、小沢氏の去就問題を議論し、民主党が崩壊することは本望ではない。政界の再編は、あくまで政策論争で行われるべきと考えるからだ。
 引くべきか、押すべきか。難しい問題であること。小沢氏の胸中を察する。

■2010年04月23日(金)16:17  少し弁明させて下さい・・。
 拙者の投稿論文『制御システム設計のための新しい4値論理の提案』をご拝読頂き、ありがとうございます。思った以上に反響があり、驚いています。先行技術が沢山あるみたいですね。拙者の勉強不足なのかもしれません。2ビット4値論理の先行文献も沢山あるようです。
 ところで、Yahoo!に挙げられた先行文献(特許第3800466号公報,名称『半導体記憶装置』)が気になりましたので、疑義を避けるため、ここで、少し弁明しようと思います。

 確かに、先行文献に記載されているバイナリ入力データを4値に変換する手法は、本稿の手法と共通する部分があります。しかし、根本的に異なるのは、以下の点です。
 本稿のバイナリ入力データは、その1ビット目を偽を定義するデータに設定し、2ビット目を真を定義するデータに設定しています。即ち、従来「0」で定義していた偽を定義するデータを、真を定義するデータと分離し、対置して定義している点がポイントです。この手法により、2ビットで定義される4値論理[(0,0),(0,1),(1,0),(1,1)]をNone,False,True,Conflicに対応させる真理値表を導出することができます。この手法及び真理値表は、先行文献には記載されておらず、その示唆もありません。この差異が根本的に異なる点です。
 あまり多くを語っては、混乱の基になるかもしれませんので、弁明はここまでとしたいと思います。
 
 新しい論文と認知されるには、未だ未だ壁があるようですね。
 身にしみて感じます。

 それでは、また。

■2010年04月21日(水)19:54  「我慢の理論」・・。
 ミクロ経済学の初めに、消費者の行動モデルが示される。消費者は陳列された食材からより効果的な買物をすることを前提に話が進められる。しかし、今の世の中はそんなモデルでは考えられない。景気が落ち込んだ時代には、消費者は、より安いものを買い、高ければ我慢するという消費行動を採る。この「我慢の理論」が経済学のモデルにないことは、経済学の消費者行動モデルの欠陥である。この欠陥を前提に経済学のモデルが組まれるから、企業生産のモデルも現実と乖離したものとなる。
 この「我慢の理論」は、「ライフサイクル仮説」と密接に関連する。共に、消費行動を極端に抑制するからである。我慢して消費せずに貯蓄する。消費が活発に行われないから企業は収益を上げることができず、景気回復の道は遠くなる。
 経済を活性化させるには、この「我慢の理論」を払拭しなければならない。「我慢の理論」を払拭させるためには、雇用を安定化させることが重要である。
 しかし、雇用の安定化は難題だ。新しい産業でも興さない限り、無理である。
 うーん。どうしたら、新しい産業を興すことができるのか一緒に考えてみませんか?

追記:Topicsに追加しました。→「我慢の理論」(ミクロ経済学の欠陥)

■2010年04月14日(水)11:09  教育から考える福祉国家論・・。
 強い者が勝つ。弱肉強食の世界。それは自然法則。誰にも変えることはできない。それを変えようと思えば、自然界に歪みが生じる。福祉国家なんて絵に描いた餅。歪の象徴かもしれない。
 しかし、弱肉強食の世界も、それが度を越せば、自然界に別の歪みを生じさせる。富める者と貧困者との格差が極度達すれば、極端な不公平社会を生じさせる。この歪みを是正するため、弱者に最低限の生活を保障する福祉国家論が正当化される。
 そんな福祉国家において、貧困からの脱出を試みる者を支援すれば、その者達の成功により、福祉生活からの離脱を促し、福祉補償費は削減する方向に転換できる。弱い者を強い者に変換する武器は、その一つは教育である。福祉国家が弱者救済の為に行わなければならないことは、生活費の補填に止まらず、強者への転換を促す教育の再訓練を行うことが重要ではないだろうか。
 勿論、自民党安部政権下で「再チャレンジ」施策が打ち出され、国家から再教育費の補填が実施されたことは記憶に新しい。しかし、その施策の恩恵は、福祉国家の隅に置かれた生活保護者には適用されなかった。最も福祉国家の底辺にいて、その生活からの脱出を切実に望んでいる生活保護者達はないがしろにされたのである。
 今の日本国家において、生活保護を受給している世帯の大方は、低学歴層が多いと思われる。学歴が低いのをさげすむ訳ではないが、到って低学歴層の人達は、自力で生活保護から脱出できる者は、少数ではないかと思われる。
 従って、何者かが、これらの人達の後押しをしてあげなければ、生活保護からの自力脱出は不可能に近い。福祉国家において、これらの生活苦から脱出する手立てを施す責務は、国家にあるのではないかと考える。
 能力の無い者は社会の底辺に置かれる。しかし、本当にそれで良いのか。本当は彼らにも能力があるのではないか。単に、競争社会に付いていけず、挫折しただけではないだろうか。数学等の教育の不完全さが招く悲劇のように感じられる。
 教育は、訓練次第で大方の人間は習熟するものである。しかし、その訓練時間は、裕福な家庭の子弟に比べ、貧困な家庭の子弟には短くしか与えられない。裕福な家庭に育ち、塾で高度な教育訓練を受けた者と、貧困な家庭に育ち、満足な教育訓練を受けられずに育つ子弟同士の競争は、最初からデキレースなのである。
 この教育の歪から来る不公平な競争原理も、競争社会において正当化されるのであろうか。この競争原理で敗者となった人間が生活保護者になり、そこから自力で脱出しようと思っても、非常に高い壁があることは云うを待たない。
 教育は、競争社会に勝つことを教えるものだけでなく、貧困からの脱出を支える知恵を授けるものでなければならないとするのが、私の持論である。その知恵(武器)を持たない人達に知恵を授けることが、貧困からの脱出を促し、社会に貢献する一手段となると信じたい。
 勿論、教育だけが全てではない。個々人の力量や姿勢にも依存する。生活空間もまた然り。貧困な家庭に育っても、偉業を成し遂げる人もいる。しかし、それは少数だ。より多くの人達を貧困から救う重要な武器の一つが教育であると考えるのである。
 今日のデフレ社会から脱出する鍵は、挫折した貧困者の再チャレンジに握られているかもしれないと思うのである。

■2010年04月14日(水)08:50  普天間基地移設問題・・。
 【ワシントン=酒井充】訪米中の鳩山由紀夫首相は12日夜(日本時間13日午前)、核安全保障サミットの夕食会の席上、オバマ米大統領と約10分間、非公式会談を行った。首相は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題について「5月末までに決着する」と訴えた。ただ、首相は具体的な移設先は示さず、決着に向けた進展はなかったようだ。(産経新聞)

 私は、この問題については初めて言及する。
 この基地移設問題は、外交に軸を置くのか、移転先の住民の説得に軸を置くのか、その焦点が定まらないまま、「友愛」という非現実的な架空精神で、皆の意見を聞いて決着をつけるという方針が間違っていると思う。
 このままでは、5月決着は有り得ない。
 国民の意向を聞くなら、外交による話し合いを徹底的に行う姿勢を米国や日本国民に表明することが重要であると思う。それが、独立国家としての日本の威厳を保つことに他ならない。
 米国の主張に屈し、日本国内に移転先を求めるのならば、その地元住民を十分説得できるだけの手腕が必要だ。
 いずれにせよ、この問題、重点をどこに置くかを決めることによって問題解決の方向性が定まると思慮する。その方向性を定めるのは、勿論、一国の総理大臣としての鳩山首相の決断に架かっている。問題を解消するためには、何かを犠牲にしなければならない。その犠牲を最小限に抑える手腕・力量が問われていると思う。

■2010年04月13日(火)09:49  厚労省独自仕分け・・。客観的なものさしの必要性・・。
 厚生労働省は12日、独立行政法人「雇用・能力開発機構」などを対象に、予算の無駄を洗い出す同省独自の「事業仕分け」を行った。長妻昭厚労相は終了後、機構傘下の「職業能力開発総合大学校」(相模原市)の本部全敷地を売却し、東京都小平市の付属校に施設を移転させた上、2014年度に職業訓練施設の指導員を養成する4年制大学校(学生数925人=08年度)を廃止する考えを表明した。同大学校は今後、現役指導員への再訓練に特化する。(時事通信)

 独立行政法人の仕分けなど、政治家が行う仕分けと、上記厚労省などの専門家が行う仕分けとはものさしが異なり、多分に専門家による仕分けの方が適しているようにも思える。それは、政治家による仕分けは主観的,専門家による仕分けは・・あれ?これも主観的。客観的ではない。国民目線も主観的。民間や外部諮問機関が行っても主観的。ならば、客観的に物を見る目に優れた裁判所の裁判官が仕分けを行ったらどうなるか?否、これも主観的。政治には、物事を客観的に計る物差しがないのだ。
 客観的なものさしがないから、多数派の支持に従う民主主義を是とする。ところが、民主主義は合理的に見えて、これほど不公平なものはない。少数派の意見は多数派の群集心理に押されて排除される。政府が行う事業仕分けも、一見、正当性があるように見えても、多数派の政党が行うものだから、少数派からみれば、これほど理不尽なものはない。
 予算の無駄を省いて、スリム化し、財源を確保するという思想は、近代合理主義が生み出した究極のコスト削減施策と共通する。省いて省いて利潤を追求する。本来必要なものまで、無駄と定義されて処分されてしまう。案ずるは、己の身に降りかからないこと。
 生命が生きる過程において、一見無駄と思われるものも有益に機能していることを忘れてはならない。事物の是非を客観的に計るものさしを模索していくことがこれからの人類に課された宿題だと思うのである。

■2010年04月10日(土)10:02  お知らせ
『フラグ理論』を論文化した『制御システム設計のための新しい4値論理の提案』をWeb Journal for non professinal reseachers.)に掲載していますので、ご高覧お願い致します。

 この論文では、『0』に縛られてきた偽(False)を『0』から独立の系で定義し、真(True)と対置させ、『0』を純粋なNoneで定義しました。また、真偽をフラグで定義することにより、Conflictも定義しました。その結果、規則正しい真理値表を導出することができます。これに否定的見解もありますが、4値論理を2ビットで定義することを公表する意義があると思っています。
 宜しく、ご査収願います。

過去ログ 2007年03月 04月 05月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2008年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2009年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2010年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 11月 
2011年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2012年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2013年01月 02月 04月 05月 06月 07月 09月 10月 11月 12月 
2014年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2015年01月 04月 05月 06月 08月 09月 11月 12月 
2016年01月 02月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2017年01月 02月 03月 04月 05月 

一覧 / 検索
他の記事を見る場合は、「一覧」か「検索」か「過去ログ」を参照して下さい。「検索」は賢いデータベース検索です。
Main-site:[kazkaz of 車輪の下]

Copyright (C) 2007-2016 kazkaz of 車輪の下. All Rights Reserved.
NACロング