kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下
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■2013年09月15日(日)06:38
法相の主観的判断で死刑順序が決定されるのは、平等か?
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【谷垣法相、3回目の死刑執行命令 横浜中華街店主射殺の熊谷死刑囚】 2013.9.12 11:34 (産経ニュース) 法務省は12日、平成16年に起きた横浜中華街料理店経営者射殺事件の熊谷徳久死刑囚(73)=東京拘置所=の死刑を執行したと発表した。執行は第2次安倍政権発足後の今年2月21日の3人、4月26日の2人に続き、谷垣禎一法相のもとで3回目で、執行された確定死刑囚は計6人。これで未執行の確定死刑囚は132人となった。谷垣法相はこれまで、就任から2カ月後、さらにその2カ月後に死刑を執行してきた。今回は4カ月半の間隔を空けての執行となった。
法相の主観的判断で死刑順序が決まるというのは、どう考えて良いのか?
安倍政権下、谷垣法相の下での3度目の死刑執行ですね。死刑執行命令が下されれば、自動的に法務省・拘置所へと死刑命令が伝達され、検事立会いの下、刑務官の執行ボタンにより絞首刑が執行されます。谷垣首相は、何の手も汚さず、立会いもしません(これは憶測の域を出ませんが…)。 旧民主党政権下で元千葉景子法相が自己の下した死刑執行命令の絞首刑に立ち会ったことは記憶に新しいことです。これは、死刑というものと、直接対峙して、死刑制度を考えることに重要な意義を与えます。書面の審査だけでGO命令を発し、後は部下任せという谷垣法相の姿勢とは相反すること必至です。 それに、谷垣法相が選定する被執行者は、単純な事件の確定死刑囚です。もっと、それ以上に古い事件で、刑がまだ執行されていない確定死刑囚が残っていることが腑に落ちません。死刑執行の順序が主観的に左右されていると思えるのです(これも憶測に過ぎませんが)。法相の主観的判断で死刑順序が決まるというのは、例えば、法の下の平等に反していると考えることができます。 しかしながら、よく考えてみると、確定死刑囚は、その事件の重みに照らして、苦痛を多く与えるため、死刑執行日を定めない。いつ執行されるか分からない点で、その恐怖・苦痛を増幅する罰を与えているのであるというものですから、死刑執行も、その順序が不規則であるということは、当然の理というものかもしれません。 この点から、死刑執行の順序が不規則なのも、法の下の平等・死刑制度に従っていると言えるのでしょう。 しかし、恣意的に簡単な事件を選出し、古くて難しい事件の死刑囚の執行を止めているとすれば、それは問題です。 | | |
■2013年09月06日(金)06:04
活字印刷文化は生き残るのか。。。
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【消費増税、新聞に軽減税率「必要」有識者意見書】 学習院大学の戸松秀典名誉教授(憲法)を座長とする「新聞の公共性に関する研究会」は5日、「新聞は日本の文化の維持と民主主義の健全な機能にとって不可欠」として、消費税率引き上げにあたっては新聞に軽減税率が適用されるべきだとする意見書を発表した。(YOMIURI ONLINE)
活字印刷文化は生き残るのか!
今日でも新聞などの活字情報は、社会の情報発信源として活躍し、その必要性・重要性・信憑性が唱えられている。また、書籍も重要な活字情報として印刷されて販売されている。 しかしながら、情報のデジタル通信化が進み、アナログの新聞情報等はその地位を奪われようしている。新聞と同じ情報はあらかたNETでも得られるし、小説も電子書籍化が進んでいる。また、教育界でも、小中高の教科書をタブレットで表示させる電子書籍が開発されつつあり、益々印刷された活字文化情報を扱う分野が狭まっている。近い将来、活字印刷文化は終焉を遂げてしまうのか危惧する。 将来、活字印刷文化を崩壊させる最も強烈な要因は、恐らく、小中高での電子教材による教育になると思われる。電子教材で育った子供たちが、印刷教材を見なくなるのはごく自然の流れである。その流れは、活字印刷文化を追い出し、電子新聞,電子書籍,電子教材,ロボットによる教育の時代として変わっていくであろう。 すべてがデジタル文化へと移行しつつある現代,それに歯止めをかけようとして新聞に軽減税率を適用しようとすることは、新聞保全の悔し紛れの一手だろうが、特効薬ではない。 今、我々は、活字印刷という最も貴重な文化を破壊しようとしている。無論、電子書籍が悪ではないが、小中高の教育でも、活字印刷の教材と電子教材の使用を併存し、活字印刷体の良さも分かってくれるように指導しなければならないと考えられる。遠い将来、、教科書に落書きしていた時代は無くなってしまうのであろうか。悲しいかな、でも止められない。 私自身、これで記事を書いている。矛盾しているのであろうか。分からない。
追記:本記事をTOPICSに追加しました。(2013/09/16)→「活字印刷文化は生き残るのか?」 | | |
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