kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下


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私と社会学&社会批評


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■2016年02月21日(日)15:31  TVの視聴率の低下を考えて見る…。
めちゃイケ 3月打ち切り決定か
フジ名物番組「めちゃイケ」歴代最低視聴率でついに3月打ち切りへ
(アサ芸プラス2月20日(土)17時57分)
 放送開始から20年目に突入した「めちゃ×2イケてるッ!」はフジテレビの看板バラエティ。近年の視聴率低迷で番組存続が危ぶまれていたが、ついに3月の打ち切りが決まったという。番組関係者が明かす。「つい先日、一部の出演者に通達があったようです。『もう終わるから』と。


<批評>
 長年TVの高視聴率をキープし、社会に寄与してきた長寿番組が、時勢の影響を受け、打ち切り・変革を余儀なくされている。「めちゃいけ」もその例外ではなく、打ち切られる模様だ(めちゃいけ2として番組改変をするらしい)。
 今、TV業界は高視聴率を確保する番組を作ることで迷走状態に陥っている。
 TV番組が低調になった原因を考えてみよう。
 昭和時代は、TVは三種の神器の一つとして家族に1台,ラジオに代わる情報源として活躍した。特に、白黒からカラーへの変遷、画面の大型化等へと進歩し、家族の娯楽に寄与した。しかしながら、平成に入ると、事態は一変した。テレビに代わる情報源の飛躍的増加(BS・WOWWOW・CS等の新規視聴番組の出現など)や、インターネット等の普及による個人参加のツイッター等のコミュニケーションやYOUTUOBE等の動画番組による視聴番組の拡散や、スマホ等の相互情報供給危機の発達により、TVを視聴する機会が激減した。というと、TV以外に情報が拡散され、TVを見なくとも生活に必要な情報はネットでも調達可能な時代になったわけである。
 また、TVは聴衆に受けなくてはならない。放送作家が書く番組よりも、芥川賞・直木賞等を受賞した小説を題材とする番組は受ける。それが原因で放送局単独の番組は低迷する。視聴ターゲットを誤った番組は、低視聴率に終わる。もはや、殿様商売はできなくなってきているのである。
 さらに、ライフサイクルの変遷により、視聴者の視聴時間の変遷と番組離れも見逃せない。以前はTV中心に生活をしていた若者も、ネット・スマホ中心の生活に依存し、もはら昔の番組制作ではTVは見てもらえないという状況にあるのであろう。そろそろクイズ番組も飽きてきたし…。
 以上、考察したが、番組改編は明らかに必要悪である。これに失敗すればあとはない。TV局の熾烈な争いはもうすでに始まっているのに効果がない。スポンサーに金のないご時世。少ない予算でスポンサーに媚を売って番組を作成する。この構図が変わらない限り、明日はないであろう。

■2016年02月16日(火)12:01  年金給付減額あり得る=GPIF運用悪化なら—衆院予算委・安倍首相
<年金給付減額あり得る=GPIF運用悪化なら—衆院予算委・安倍首相>
(時事通信2月15日(月)17時32分)
 衆院予算委員会は15日午後、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して経済などに関する集中審議を続けた。最近の株価下落で年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用損拡大が指摘されていることに関連し、首相は「想定の利益が出ないなら当然支払いに影響する。給付に耐える状況にない場合は、給付で調整するしかない」と述べ、運用状況次第で将来的に年金支給額の減額もあり得るとの認識を明らかにした。民主党の玉木雄一郎氏への答弁。首相は「運用は長いスパンで見るから、その時々の損益が直ちに年金額に反映されるわけではない」とも強調した。


<批評>
 国が博打をした結果の損益を受益者の負担に転じることは受益者が納得できるか。そもそも、なぜ優秀な頭脳集団(GPIF)が博打に負けるのか考えて見ると、負けた場合の責任(リスク)をGPIFが追わないからであると考える。リスクを負わない無能集団(GPIF)がただ机上でマネーゲームをしているから、そこに緊迫感はない。博打なんか本来勝てないものであるから、それで運用益を出そうとするのには無理がある。また、国がやるゲームは負けるというのは、周知の事実である。
 そこで、一層のこと、国民がリスクを背負うような博打はやめるべきであると提言したい。国民の知らない間にリスクが国民に転嫁されている。損益を国民に転嫁する勝てない博打はやめるべきである。
 しからば、国家公務員の給与を株で運用するというのはどうであろう。自分達がリスクを負うのである。そんなバカなこと…。そんなバカなことと言いながら、自分達のリスクを除外して国民がリスクを負うことを国はやっているのである。国家公務員の給与を株で運用して、そのリスクを国家公務員が負うように運用し、成果が上がるというという事例でも示せば、国民も納得するであろう。しかしながら、国家はそれをしない。自分たちだけは特別と考えているからである。これを、”ずるい”と言うのである。

■2016年02月08日(月)03:31  日本人の倫理・道徳観をベッキー不倫報道を通じて考える。
 タレントのベッキー(31)とロックバンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音(27)との不倫騒動は、日本中を震撼するほど、連日連夜報じられた。そのせいで、ベッキー側の被害はテレビCM契約の全権解除,TVの全レギュラー番組の降板,その他諸々への影響を受けた。

 報道やツイッターなどの彼女への攻撃はすさまじかった。

 ここで、日本の「いじめ」について考えて見たい。日本では、小学校・中学校をはじめ、社会に出てもいじめはなくならない。いじめを苦にして自殺する人の報道は毎日のようにある(これは報道の域を出ない、毎日いじめを苦に自殺する件数は相当数にのぼるであろう)。「いじめをしてはいけませんよ」と教授する道徳・倫理規範は、小中高で教えるらしいが(大学でも一般教養で倫理学を専攻すれば、この授業を習得する)、つまり人格が未完成な幼児から死ぬまでの間、人は道徳・倫理観を習得し、それを背負って生きる。

 そのはずなのだが…。

 今回のベッキーへの攻撃は、群衆による大きないじめではないかと思慮する。正義なんかじゃない。「完全なるいじめ」と呼ばれても仕方ないほど、陰湿極まりない。「不倫をしたのだから責められても仕方ない」と言われればそれまでであるが、困っている人を助けてあげようようとするのが大人としての完成された道徳的・倫理観ではないだろうか。日本人は、もっと心に寛容であったと思われるが、その倫理観はどこかで喪失してしまったのであろう。残念だ。これ(この事件報道)を子供たちは見ている。大人たちの論理を、子供たち真似する。返す言葉はあるのであろうか。

 ネット社会になって、社会が複雑になっている。ネットで一人の人間なんか簡単に抹殺されてしまう。そんな時代だからこそ、道徳・倫理を考え直さなければならないと考える。

 ゲス野郎は、なぜ叩かれないのか。それが不思議でならない。いい加減な道徳・倫理で社会は動いている。社会が末期症状なのかもしれない。

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