−「生活保護の補足性を考える」−
【義援金理由に生活保護を中止…。】
東日本大震災の被災者に寄せられた義援金や東京電力福島第1原発事故の仮払補償金を収入とみなし 「手持ち金で生活可能」として、福島県南相馬市が6月になって約150世帯の生活保護を打ち切ったことが分かった。 震災前に同市で受給していたのは約400世帯で、打ち切りは4割に相当する。 日本弁護士連合会は15日、「福島県や宮城県で義援金等を収入認定した打ち切りが相次いでいる」として 是正を求める会長声明を出した。(毎日新聞)
震災の被災者は、義援金等の支給では一時的な生活が確保できるに過ぎない。将来の生活の目処が未だ立たないのである。 そんな状況で生活保護を打ち切る政府の対応は理解できない。
確かに、生活保護法は、保護の補足性を原則に、全ての財産を活用しても尚生活できない人達を保護する。 手持ちに財産があれば、財産の認定をして保護申請を拒否する。 収入・財産を全て失って生きる術が全く無くなった人のみを救済する制度である。
それ故、今回のケースのように義援金等の収入があった場合でも、 それを収入認定して「生きる術があると認定して」保護を打ち切るのである。
すなわち、一時的にも義援金などで生活できるのであるならば、それで生活を賄えというのである。 生活保護での保護は拒否する。義援金等を使い果たしてまた生活に窮したら、その時また来いというのである。 この点は、生活保護法の趣旨から考えて当然の事なのかもしれないが、今回のケースでは納得できない。
義援金や災害補償金は、被災した人達の生活を保護することを目的に支給される。 それで将来も含めた生活の確保が出来るのであれば、何も生活保護に頼る必要は無い。
しかし、震災によって、被災者の将来の生活の目処は立たない状況である。そのような状況下で義援金等の収入を全て収入認定して 生活保護を打ち切るのは酷である。せめて、被災者の生活の目処が立った時点で残額を収入認定すれば良いと考える。 それまでは、暫定的に生活保護を継続させることが真の社会保障を実現するものであろう。 この点から、生活保護法の是正が必要であると思われる。
ただし、このような例外を認めると、一般の受給者との間に不公平を生じさせるという懸念もある。 生活保護の補足性は、今後、慎重に議論されなければならない課題かもしれない。自分の気持が揺れているのを感じる。
誰もが望む平和な社会。貧困のない社会。そんな社会が訪れれば、こんな問題なんて考えなくても良いのに…。混迷する社会を変えていく力が欲しい。