kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下


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私と社会学&社会批評


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■2011年02月26日(土)09:03  ミクロ経済学の常識は非常識・・。
 長引くデフレ不況。このデフレ不況から脱出するためには有効な経済施策を行う必要があると感じている。しかし、巷の経済学者達からは有効な経済施策が提案されない。彼らはなぜ無力であるのか、その謎が社会学的考察から解明できた。
 経済学も社会的営みを行うものであるから、その理論は実際の社会の実情に照らし合わせて構築されなければならない。しかし、新古典派ミクロ経済学は、実際の社会から遊離した机上の空論で構成されている。その理由は、社会学の教科書に書かれていた。
 富永健一著「社会学講義」中公新書の「経済社会学」の章で、なぜミクロ経済学が社会と遊離している学問なのか、その理由が記述されている。以下、長いが重要な考察なので正確に引用する。
 「新古典派ミクロ経済学においては、生産者は利潤を最大にすることに指向し、消費者は効用を最大にすることを指向する、ともにアトム化された功利主義個人として考えられている。グラノヴェッターは、このようなアトム化された功利主義的個人という想定を、『過少社会化された概念化』と呼んでいる。−中略−『過少社会化』というのは、経済的行為を社会的行為から切り離すことによって、経済世界から社会を追い出し、経済を純粋化して考える思考をさす。このように考えると、新古典派ミクロ経済学は、抽象のレベルの非常に高いところで、つまり現実の経済事実の観察からはきわめて遠いところで、経済的行為についての高度に純粋化されたモデルを立て、市場における一般均衡の成立の条件とか、その均衡の安定性の吟味といった数学的定式化に専念する傾向をもつ、ということがわかる。すなわち、社会とのかかわりの問題は、そこではすべて捨象されているのである。この意味で、新古典派ミクロ経済学は、経済社会学からはもっとも遠い経済学である。」
 私は、ここに答えを見つけたのである。如何に精巧に理論化された学問であっても、実際の社会と遊離した学問は、有益ではなく無益であり、有害ですらある。ミクロ経済学の常識は、社会から見ると非常識なのである。優等生の経済学者達は、この欠陥に気づいていない。この欠陥のある学問から答えを見つけだそうとするのである。しかし、答えを導き出せないのは至極当然なのである。
 日本では、学問を西欧諸国からの輸入に頼った。その輸入された学問をそのまま鵜呑みにし、批判的考察や独自の理論を構築することをおざなりにした。学者の評価は、論文に如何に多くの西欧の文献を引用するかで決まる。
 教育は、如何に輸入された学問を理解するかに重点が置かれ、批判的考察はないがしろにされる。日本の詰め込み教育の弊害はここにあるのである。
 今、我々は、経済学を改革する長い道のりを歩かなければならない。経済不況を解消する施策を講じるには、未だ相当の時間を要するのである。

追記:本記事をTopicsに追加しました。→「ミクロ経済学の常識は非常識」(ミクロ経済学批判)
追記:表題を変更しました。(経済学批判)→(ミクロ経済学批判)

■2011年02月21日(月)16:36  私と社会学&社会批評・・。
 貧乏な家庭に育った。そんな家庭から抜け出すために学生寮のある高専に進学した。最初の社会学は、高専の5年次の選択科目で履修した。授業はゼミ形式で行われ、個々人で社会問題を調査し、発表するというものであった。社会学の本を精査し、ゼミで発表したが、自分の発表の機会以外は授業をサボり、最終回でまた出席した。その授業で、担当の教授は、各自の評価を公表した。私は、成績上は1番優秀。しかし、授業に参加していない。だから、「優」は与えないと言われた。今考えれば、当然のことである。幾ら優秀でも他人の意見を聞かない人間は、社会的評価は低くなる。それを教授は教えたかったのであろう。今では、感謝している。
 大学の一般教養でも社会学を履修したが、講義がつまらなかった。教科書をただひたすら読み続ける講師の講義からは感じるものがなかった。ただ、「社会で一番小さな単位は家族である。」ということだけは憶えている。
 そんな私だから、会社に入社しても間違いを繰り返した。とにかく他人の意見を聞かない。教科書に書いてあることが全てである。正義はあると信じて自己主張する。議論に負けたら、また教科書で学習する。同僚に聞くと、「言っていることは正しい。けど・・」。賛同が得られない。そんな折、上司に忠告された。「おまえは頭が良すぎて他人の気持が分からない。また、お前には守る物が何も無いから自由な事が言える。」と・・。確かに私には、守る物が何も無かった。同僚達には守るべき家族がいる。私の信じるものは正義であり、それ以外何物でもない。そんな上司の忠告も聞かず、会社では良く反発した。今考えれば、当たり前である。幾ら正当な意見を述べても、他人を批判する姿勢は協調性に欠け、賛同が得られない。上司の忠告は正当だったのである。
 私は、正義こそが全てであると信じていた。そのため、好んで法律書を読み漁った。しかし、教科書に書いてある正義は、法適用の正義であり、法の下の平等であったり、私の求める正義の回答はどこにも書いていない。それも、その通りである。正義の観念は、各人によって異なる。育った環境・受けた教育・社会参加の機会,その結果形成された人格・社会的立場によって夫々異なる。守るべきものがあれば、自説を覆してでも守る。それが、その人にとっての正義なのである。アインシュタインも自分の家族を守るために原爆を作ったと記憶している。それを知らない私は無知であったのである。
 今、病気になって、弱い人の気持が分かった。故郷に帰って信じる家族もいる。指導をしてくれる恩師もいる。私のことを気遣ってくれる友人もいる。福祉が提供してくれる社会にも参加できる。そこに社会がある。人の意見を聞きつつ、協調性を保ちながら妥当性を探る。それが社会人としての人格だと思う。
 私は、社会に出て多くの物を学んだ。その経験・学問・思考を生かして、社会に少なからずの知恵を提供しようと試みている。それが私の社会学&社会批評である。決して、国家が憎い訳ではない。互いに主張は異なるかもしれないが、皆、福祉国家・平和社会の実現に向けて頑張っていることは十分に承知している。それを知りつつ、批判を受けながらも、社会批評を続けて行こうと思う。
 「私は、本当は心の優しい人なんですよ。」ということを分かって頂ければ幸いである。今、私は社会復帰に向けて作業所に通おうと四苦八苦しているが、睡眠障害で昼夜逆転が治らない。もう少し、頑張ってみる。当面の目標は社会復帰であるが、生きているうちに学問の集大成として博士論文を執筆しようと夢を見ている。 それが私の生きた証としての遺稿としたい・・。

追記:2011年4月10日
本記事が好評の様なので、Topicsに追加しました。→「私と社会学&社会批評」

 なお、今回の東北関東大震災で被災された方々に深くお見舞い申し上げます。
 今は、それだけしか言えません。
 それでは、また。

■2011年02月21日(月)09:02  人口論から考える社会経済政策・・。
 ダーウィンの進化論を考察するために「科学の危機」を読んでみた。ダーウィンの進化論は「種の起源」で有名である。全ての生物が創造主によって生み出されていたと考えられていた時代に、「生物は、偶然が引き起こす変化によって誕生する」という前例の無い理論を打ち立てたのである。
 ところで、この進化論の是非はさておき、私は、ダーウィンの進化論の契機ともなったイギリスの経済学者・マルサスの著書「人口論」に注目した。

 マルサスは人口論の原理として、基本的な二個の自明である前提を置くことから始める。
・第一に食糧(生活資源)が人類の生存に必要である。
・第二に異性間の情欲は必ず存在する。
 この二つの前提から導き出される結果として、マルサスは人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも不等に大きいと主張し、人口は制限されなければ等比級数的に増加するが生活資源は等差級数的にしか増加しない、という命題を示す。
 この命題から、人口の増大が限られた資源を圧迫していき、究極的には人類滅亡などの恐るべき危機が訪れる。これを回避するためには「悪徳と貧困」による人口減少効果に頼るしかないと主張した。そして、「慈善行為は単に破滅的な過剰人口を引き起こすだけである」と主張する。
 平和社会・福祉国家思想が提案される以前は、病気や飢餓や戦争等によって人口は抑制された。これが「悪徳と貧困」による人口減少の効果として機能した。しかし、平和社会・福祉国家思想を標榜する時代にあって、慈善行為である生活保障制度の実現は、人口増加を助長する傾向にある。
 機械がオートメーション化され、極端なコストカット主義を追求する資本主義体制は、多くの失業者を生んだ。その結果、社会保障の対象者は増加した。しかし、これを回避するために、社会保障制度を排除して、「悪徳と貧困」による人口減少を是とする時代ではない。その意味で人口論は否定されなければならない。
 しかしながら、一方で、子供の人口は減少している。政府は少子化対策案として、子供の増加(人口増加)を社会政策として推進している。資本主義が成熟した現代社会。仕事の無い社会の到来が予想される。そのような社会で子供が成熟しても、働く環境はない。現役世代が働いて高齢者を支える社会という理論は既に破綻しているのである。その意味で、子供手当て等の政策は、将来政策としては妥当ではないことになる。却って、その財源を使って、高齢者が働いて自給できる労働社会を形成することが肝要である。
 そして、今後の将来像としては、人口増加を抑制し、労働市場と経済市場が均衡する「小さな国家」(小さな政府ではない)を構築していくことが重要であると考える。
 その意味では、経済成長を追及し、小さな政府,大きな社会を実現するという思想は間違った理想像であると考える。
 私は、決して福祉国家・社会保障を否定している訳ではない。憲法25条が規定する生存権の保障は極めて重要である。しかし、その財源を確保するためには強い経済社会を実現する必要がある。強い成長する経済が構築されれば、失業人口が増加してもその社会保障の財源は安定して供給できる。しかし、そのような経済成長の見通しは極めて暗い。経済が縮小して今以上に失業者が増加し、その社会保障の財源が尽きたとき、国家は破綻する。それを回避するためには、社会全体を小さなものとする。即ち、労働力と経済市場が均衡し最低限の社会保障システムを有する社会,所謂「小さな国家」を形成することが重要であると考えるのである。
 小さな檻の中に閉じ込められた動物のように、生きることだけが保障された福祉国家に未来はない。誰もが生き生きとした生活を送れる社会の実現を願うのである。

追記:TOPICSに本記事を追加しました。→「人口論から考える社会経済政策」(小さな国家論)

■2011年02月12日(土)18:05  エジプト軍「選挙で新政権」・・。
 エジプトのムバラク大統領の辞任に伴い、大統領の全権を受け継いだ軍最高評議会は11日夜(日本時間12日未明)、「評議会は国民が選挙で選ぶ正統な政府の代わりとなるつもりはない」とする声明を出した。軍の権限掌握は民主化に向けた一時的な措置との考えを強調しており、新たな政権づくりへの道筋を示せるかが今後の焦点となる。
 「声明第3号」と名付けられた声明は、「国民の要望を達成するための諸方策を検討している」として、民政移行のために具体的にどのようなシナリオを描いているのか示していない。また、デモを主導した野党勢力への対応などについても触れていない。
 ただ、評議会はムバラク氏の退陣が明らかになる前の11日午前に発表した「声明第2号」で、(1)混乱収束後の非常事態令の解除(2)総選挙の結果に関する不服申し立ての受理(3)憲法改正(4)自由で公正な大統領選挙の実施――を保証。さらに、権力移行が完結するまでは市民の要求に真剣に向き合うとしており、軍が民主化プロセスの後見役を担うとの姿勢を示している。(朝日新聞)

 エジプトの革命が成功しましたね。次に、新政権の発足です。民主的に選挙で新政権を選び、憲法が新規制定(?)される模様です。革命等で新憲法が創造・創設される。それが、憲法創設の契機となるのですね。日本でも、敗戦を契機として新日本国憲法が誕生しました。日本国憲法は、人民の革命等で創設された憲法ではなく、敗戦・無条件降伏に基づいて創設された憲法ですから、その意味では、内容は民主的であっても、その制定過程に非民主的と考えられる疑問が残る特殊憲法です。しかし、平和裏に確定した訳ですから、民主的に改正されたと考えるのが無難だと思われます。
 ところで、今回のエジプトの革命は、報道の通り、twitterやFacebook等の情報手段が革命を先導し、成功しました。情報社会が進展する限り、このような革命は増えるかもしれません。情報社会が革命を率先させる時代となります。その意味では、このような情報社会は、一種怖いような気がします。一時的な爆発が予測されるからです。今回のエジプトの革命は、死傷者が出ましたが、政府側の抵抗・抑制が少なく、その被害は最小限に食い止められたと考えられます。しかし、政府側の抵抗や横暴が強固であればあるほど被害は大きくなります。情報が誤った形で社会に伝わり、一時的な爆発力が群集心理により加速されて革命等に似た内乱・騒乱が起こった場合、悲劇を生みます。今後は、エジプトの革命を参考に、そのようにならないような情報管理・危機管理体制を国家は構築する必要性があります。
 さて、日本国。経済情勢は悪化するばかりです。資本主義が崩壊して、マルクスの予言通り共産革命は起こるのか?それは未だ誰にも分からないのです。

追記:Topicsに本記事を掲載しました。→「エジプトの革命から見る情報化社会の危機管理体制」(情報革命論)

■2011年02月12日(土)08:38  定住外国人参政権についての考察・・。
 昨今、外国人,特に日本国に永年定住する外国人に参政権を与えるべきか否かが議論されている。
 従来より、参政権はその性質上外国人には認められないと考えられてきた。すなわち、国民主権を標榜する日本国憲法下では、その主権の行使の主体は国民に限り認められるものであると考えられていたからである。
 また、憲法15条1項の規定の解釈にもよる。
(憲法15条1項)
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、「国民固有の権利」である。
 すなわち、参政権は、「国民固有の権利」であり、ここで規定される国民とは、憲法10条の規定を受けた国籍法により定まる日本国籍を有した者に限定されるから、日本国籍を有しない外国人に参政権を認めることは憲法違反であると解するのである。
 しかしながら、高橋和之教授の著書「立憲主義と日本国憲法第2版」では、国民主権にいう「国民」は、前述のように、国籍とは異なるレベルの「国家構成員」(国家以前の社会構成員)であり、仮に定住外国人がこの意味での国家構成員であるとすれば、主権者として当然に参政権をもつということになるはずであり、その参政権が国籍を有しないことを理由に奪われてもよいのかと問題指摘されている。
 この指摘・解釈は大いに拝借すべきである。
 そこで、私見では、この解釈の方向性を参酌し、憲法10条の規定による国民の要件の定め方を修正することを提案する。すなわち、国籍法を改正するか新たな法律を制定し、例えば、「定住外国人は日本国民たる地位に準ずる。」旨規定する。国民の要件を国籍要件以外にも拡充させれば良いのである。これには、国籍要件だけで国民を規定する国籍主義者からは違憲上許容できないと異論が出るかもしれない。しかし、国民たる要件は、上述の高橋教授の説の通り、憲法以前の存在である社会構成員として捉えることができ、定住外国者を排除することはできないと考える。従って、定住外国人を国民と準ずる地位に置くことは違憲上許容される。このように、違憲とならない範囲で法律を修正すれば、憲法15条及び10条の問題は解消され、定住外国人にも参政権を付与することは可能となると思われる。
 このようにして憲法を改正せずに法的問題が解消できるとすれば、あとは、日本国民が定住外国人に参政権を付与すべきか否かの議論となるであろう。
 定住外国人も国家の構成員である。そのことを忘れてはならない。

追記:本記事をTOPICSに掲載しました。→「定住外国人の参政権の一考察」(法的解消論)

■2011年02月10日(木)19:08  お知らせ・・。
 皆様、この日記(社会批評)をご拝読頂き感謝申し上げます。

 最近、更新頻度が少なく、ご心配をお掛けし、申し訳ありませんでした。
 原因は、時々刻々変化する社会情勢に思考力が追従できず、頭がオーバーフローした点にあります。社会記事を掲載して論評しておりましたが、熟考した批評ができない状況になっていました。そのため、一時休止していた次第です。
 今後は、あまりタイムリーさに拘らず、丁寧な論評を心がけ、内容の濃い社会批評を展開したいと思います。
 そのため、不定期更新となると思いますが、今まで以上のご愛顧をお願い申し上げます。
 そのような次第で、宜しくお願い致します。
 なお、私の思想をより知りたい方は、過去ログをご参照下さい。
 そこに全てがあります。

 それでは、また。

■2011年02月10日(木)08:42  少子化対策に疑問・・?
 政府は、少子化対策に力を入れているが、少し疑問がある。

 少子化対策には、高齢化社会を現役世代で賄うという年金思想が根底にある。
 しかし、機械のオートメーション化が進み、あらゆる企業がコスト削減で人件費を減らすために人員削減・リストラを行っている事実を見逃してはならない。
 また、今の不況を脱出できない社会において、新卒者の就職氷河期は深刻な問題である。
 子供を増やしても、働く企業・場所がなく、就業につけず、高齢化社会を支えるような状況ではない。もはや、現在の年金思想を支える基盤は消滅しているのである。そのような状況下において、子供を増やしても、就業する若者は減少するであろうから、却って、就業できない若者を救う社会保障制度が必要になってくる。就職が出来ないで生活保護を受けている若者がいることは云うに及ばない。逆に、子供が少ない時代になっていくことが、健全な国家として機能するのではないだろうかと思う。
 こんな矛盾を孕んだ社会において、少子化対策を進めるには無理がある。
 強い基盤のある経済体制を確立し、現役世代で老後の生活費を賄う貯蓄制度に力を入れるほうが、無難な政策だと思われる。
 社会保障制度は、それを利用しない多数の人の互助により賄われる制度である。老齢年金のように、国民全体を支えるというビジネスモデルは、資本主義社会と同様に欠陥のある制度なのである。再考を望む。

■2011年02月10日(木)05:09  生活保護家庭の子供の人権−人権の制限の正当化
【生活保護家庭の子供の人権−人権の制限】
 生活保護家庭の子供の人権について考えてみる。
 まず、生活保護法の概要から見てみよう。
 生活保護法の目的は1条に記載されている。
(目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
 即ち、憲法25条に規定する生存権の保障と自立を助長することを目的としている。
 また、4条において、保護の補足性を規定している。
(保護の補足性)
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
 この補足性の原則から、生活保護を受けるための要件は、その全ての資産を全て売却・消費させてもなお生活に困窮する場合に限り認められている。
 その結果、憲法上規定されている財産権の制限を受ける(憲法29条2項)。
 ところで、過去に憲法上「特別権力関係論」という理論が正当化されていた時期がある。これは、法律や同意によって、国家の特別の支配に服している者は、例えば法律の根拠なしに人権を制約することが許されたり、人権制約の程度に広範な制限が許されるという理論である。この特別権力関係論の対象者は、例えば囚人や公務員、国公立大学生が典型例とされている。
 この理論は立憲主義的な権利保障も不十分であった明治憲法下では妥当しえたが、個人の尊厳を基調とする日本国憲法ではもはや妥当し得ない理論であって、過去の特別権力関係論で対象とされた人達の人権の制限は人権保障の一般原則を前提として、制限や関係の特殊性からどこまでの人権制限が公共の福祉として許されるかを考えていけばよい。その観点から考えると、憲法上生活保護世帯も特別権力関係の範疇に入ると思うが、生活保護上制限される財産権も一般原則で考えれば良いことになる。
 序論はここまでとして。本論に入る。
 生活保護の世帯は、上述したように財産権の制限を受ける。生活保護受給中に収入があった場合は全て報告しなければならず、一定以上の収入があった場合は没収(保護費の返済?)される。これに違背する場合は、最悪保護停止処分を受ける。これが例え高校生等のアルバイトであっても然りである。将来の進学に備えての預貯金とすることはできない。全て保護世帯の収入とみなされ、没収される。
 しかし、生活保護世帯の子供であっても、憲法上教育を受ける権利は保障されている(憲法26条)。
 したがって、生活保護世帯の高校生などが将来の進学に備えてアルバイト等の収入を得て預貯金することを禁止する生活保護法の運用は、明らかに教育を受ける権利に対して不当な制限をしているとしか考えられない(明らかな人権侵害であると思われる)。
 この人権の制限が妥当であるか否かを比較衡量で検討すると、人権の制限により得られる価値(補足性の原則の担保)と失われる利益(子供の教育を受ける権利)との比較衡量となり、補足性の原則の担保の方が子供の教育を受ける権利より大きいときに制限が正当化される。しかし、子供の教育を受ける権利は、補足性の原則の担保よりもはるかに小さい利益なのであろうか。
 自立を促す生活保護法の規定の趣旨に鑑みても、将来教育を受けて自立する社会的に有用な人材を育成することが遥かに国家の利益に結びつき、補足性の原則の担保は、明らかに子供の教育を受ける権利を制限する利益よりも小さいと考える。以って、この比較衡量結果から、生活保護世帯の高校生などが将来の進学に備えてアルバイト等の収入を得て預貯金することを禁止する生活保護法の運用は、明らかに憲法違反であると解する。
 将来の自立を阻害する生活保護制度の運用に大きな疑問を抱く。
 生活保護制度では、未だに特別権力関係論が生きているのであろう。そう思う。

追記:TOPICSに追加しました→「生活保護家庭の子供の人権」(特別権力関係論)

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