kazkaz奮戦記&社会批評 by kazkaz of 車輪の下


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現在新規更新は休止中ですが、過去10年間の社会批評を検索ができるようにデータベース化しています。思考がデータベース化されていますので、現在社会を考える一材料になると思います。「検索」でご利用下さい。


私と社会学&社会批評


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■2011年10月26日(水)12:32  人事院勧告見送りは憲法違反であるか…。
 政府は25日、国家公務員給与を平均0・23%引き下げるとした2011年度人事院勧告(人勧)の実施見送りを決めた。東日本大震災の復興財源を確保するため、国家公務員給与を平均7・8%減らす給与削減法案の今国会成立を優先させたものだが、自民党は人勧見送りを問題視しており、同法案の成立の見通しは付いていない。野田首相は25日夜、首相官邸で藤村官房長官、川端総務相、民主党の前原政調会長と会談し、給与削減法案を早期に成立させる方針で一致した。<中略> ただ、国家公務員は労働基本権が制約され、給与水準を政府側との交渉で決めることができない。政府は人勧を労使交渉に代わる措置として尊重してきたため、人事院は「無視するのは憲法上問題だ」と主張している。自民党の石原幹事長も「ある意味、憲法違反だ。(削減法案が)人勧を含むという見解は通らない」と批判した。( 読売新聞)

 人事院のような独立行政委員会は、アメリカで発展した制度であり、政治的中立性が望まれる行政事務を大統領から独立で行うことを目的として制定された機関であるが、内閣制度の伝統を持つ日本にはなじまないとされ、戦後制定された機関で残っているのは人事院と公正取引委員会だけである。憲法上規定された機関ではない。
 逆にこの人事院等の独立行政委員会は、内閣から独立に職権を行使するため、その行使につき憲法原則に反するのではないかと問題視されたが、この件は、独立行政委員会が直接国会に責任を負う体制になっていれば内閣の責任を介さなくても国会によるコントロールは受けることになるから、必ずしも憲法違反にはならないと解されている。
 ところで、人事院からの公務員の給与の引き下げ勧告を内閣が見送り、別途公務員の給与削減法案を国会に提出して成立させることは、人事院や自民党の主張するように、憲法違反なのであろうか。
 この点について考えてみると、人事院は憲法上制定された機関ではなく、長らくその勧告が内閣・国会によって尊重されてきたとしても、法令上その勧告を絶対的に尊重すべき理由はない。即ち、独立行政委員会の行政行為も、特別な場合は政府・国会のコントロールを受けるのであり、絶対的決定機関ではないことに留意すべきである。
 この点から考察すると、国家の危機的財政状況の下で、国家公務員の給与だけを特別に独立行政委員会の管理下に置くことは、国家の行政権の行使としては妥当ではない。このような場合に、内閣・国会がこの人事院勧告を受け入れずに、それに代えて別途給与削減法案等を制定しても、人事院の行政行為を侵害するものではなく、行政権のコントロールの正当な帰結として憲法上の問題はないと解される。
 この点、人事院は、人事院勧告(意向)を受け入れず、政府・国会で給与引き下げを規定することは、給与交渉権の無い国家公務員の労働基本権を侵害して違憲であると主張するが、人事院勧告も、時代の要請に即した妥当な勧告でなければならないことを考慮すると、国会でのコントロールを受けて適切な範囲内で別途給与削減法案を規定して妥当な給与水準に引き下げることは甘受しなければならないと解する。国家公務員の人権を考えることも重要であるが、現在の国家の財政危機を招いた張本人は国家公務員である。彼等の待遇・意見を尊重するよりも、国家の財政危機を招いた国家公務員にその責任を取らせることは、正義に適う。
 成果主義の世界において、法規範に守られている国家公務員の給与をそれに見合った額に減額することは成果を尊重する立場からは到って正当である。権利を主張するのであれば、義務を履行することが重要である。国家公務員は、明らかに義務を履行せず、国家から膨大な不当利得を得ていると考える立場からは、義務を履行した上で権利主張をして下さいと思うのである。自民党の石原幹事長の「ある意味違憲」というのは、理解に苦しむ。
 そういうわけで、人事院勧告は見送りは、違憲と解することはできない。

追記:本記事をTopicsに追加しました(2011/10/31)。→「人事院勧告見送りは憲法違反であるか…。」

■2011年10月26日(水)10:11  トルコ地震 死者450人を超える…。
 エルサレム時事】トルコ東部で23日発生したマグニチュード(M)7.2の地震で甚大な被害を受けたワンで25日、10歳の少年が倒壊した自宅の中から地震発生後54時間ぶりに救出された。生存率が大幅に低下する発生後72時間(日本時間26日午後7時40分ごろ)を前に、被災地では懸命の救助活動が続けられている。死者数は459人に達した。(時事通信)

 救助、頑張って下さい。負けるなトルコ人。

 今年は、全世界で自然災害が多いですね。日本の東日本大震災を筆頭に、全世界で大規模な災害が発生しています。地震・津波・洪水。何かの予兆でなければ良いと思うのですが…。

 頑張れ、トルコ。頑張れ、日本。頑張れ、世界。

■2011年10月21日(金)03:39  原発問題を考える(平和国家の探求)。
【東電に免責不適用は誤り…株主提訴、国反論。】
 東京電力福島第一原発の事故を巡り、東電株を1500株保有する東京都内の男性弁護士が、原子力損害賠償法の免責規定を東電に適用しなかったことで株価を下落させたとして、国に150万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こし、同地裁で20日、口頭弁論が開かれた。国側は「東日本大震災は免責規定が適用される『異常に巨大な天災地変』には当たらず、東電が損害賠償責任を負うべきだとした対応は適法だ」と、これまで政府が示してきた見解と同様の主張をし、請求の棄却を求めた。原子力事故による賠償責任を定めた同法は、過失の有無にかかわらず、電力会社が損害賠償の責任を負うことを原則とし、「異常に巨大な天災地変」の場合は免責すると規定。(読売新聞)

 今回の東日本大震災の原発事故の責任の所在は誰にあるのか。
 それを考えると、東電1社の責任ではないように感じます。戦後、原発によるエネルギー政策を推進してきた日本政府。特に歴代政府機関と電力会社の監督官庁である経済産業省の責任は歴然であると思います。怒りの矛先を東電1社に向けさせることは簡単でずるいと思います。責任の所在を東電1社に擦り付けるのではなく、国家は東電他関係団体と一体になって、国民・被災者への謝罪をし、然るべき対応をするべきであると思うのです。
 今回の原発問事故の背後には、国家による原発危険性の隠蔽工作があったことを見過ごしてはなりません。この地震大国とも云える日本列島は、世界でも最も地震と津波の危険性を考えなければならない地域です。しかし、その危険性は、原発を運転する電力会社、その監督官庁である経済産業省、それらを監督する政府・国会議員等によって全て隠蔽されていました。学校教育で、原発の安全性を説いていた始末ですからね。この点、思想教育というのは恐ろしいものです。国家による思想教育は全国民を巻き込み、神話伝説を築くほどに成功していたのです。
 今、九州電力や北海道電力等の各社で原発事業でのやらせ問題が露呈しています。原発安全神話は、国家権力によって作られた諸刃の剣を隠す嘘だったのです。
 嘘で塗り固められたエネルギー政策。国家は、それを東電等の責任と押し付けないで、自らの責任であることを自覚し、全国民に謝罪するべきです。
 それと、原子力損害賠償法の問題が残っていますね。原子力損害賠償法の適否の問題は極めて高度な問題で、裁判所でも判断が難しいと思います。この裁判の行方を見守りたいと思います。
 ところで不思議なのは、日本の国民性です。戦争による唯一の被爆国である日本が、原子力によるエネルギー政策を受け入れたのは、国策です。原子力の平和的利用、そう、平和という文字に全てが隠されているのです。この平和という文字を消去しない限り、同じ間違いは繰り返される。そのような気がします。
 原子力の怖さを世界に周知させる使命が日本にあるのであるならば、原子力エネルギーに代替するエネルギーを開発して世界に供給する。その位の努力が必要なんだと思います。代替エネルギーが簡単に開発できるとは思えませんが、我々は、それを開発する努力義務を戦争によって負ったと考えるのです。平和的な国家は、それによって完成されると云っても過言ではないかもしれません。
 すなわち、我々は、「核を利用」するのではなく、「核を排除」することを提案できる国家でなければならないと思います。それが真に平和を勝ち得る旗印だと思うのです。

追記:本記事をTopicsに追加しました。→「原発問題を考える」(平和国家の探求)
 少しアレンジしています。
追記:記事を加筆・修正しました(2011/10/22)。
追記:記事を加筆・修正しました(2011/10/26)。修正ばかりですいませんm(__)m

■2011年10月14日(金)10:11  本来の行政刷新推進論(予算計上・削減論)…。
【事業仕分け:「原子力と社会保障」浮上】
 蓮舫行政刷新担当相は13日のBS−TBSの番組収録で、野田佳彦首相の意向を受けて4回目の事業仕分けを実施する方向で検討に入ったことを明らかにした。国民の関心の高い原子力政策や社会保障制度が議題に浮上している。しかしいずれも政権の根幹を左右する重要政策で、従来の仕分けのような「削減」「廃止」の手法をそのまま適用するのは難しい。議論をどう進め、判定結果の実現にどこまで首相が責任を負うのかがまず、問われそうだ。(毎日新聞)

 パフォーマンスだけの事業仕分け。仕分けをしても都合の悪いものは陰で復活させることができるんだから、この事業仕分け自体が無駄な行事である。そう考えれば、何も期待できない。しかし、今回の仕分け対象が原子力政策と社会保障政策をターゲットであるとすると、否応なしに国民の関心は高まる。どじょう首相は、この点から民主党支持層を拡大する方策に出てくるつもりであろう。
 しかし、所詮、民主党のパフォーマンス。やはり、期待はできない。身内切りを行っても、陰で復活させないという確約は無い。国民を裏切ることは、どじょう首相の常套手段であり、姑息なパフォーマンスは止めておくのが国民のためである。
 大体、事業仕分けという制度は、各専門省庁で熟考された事業の廃止・存続を見極めるもの。その判断の基準を定める法令はなく、仕分け人の経験等に基づく主観的判断で存廃が決定される。また、一方的に仕分け人から省庁担当者へ説明を求め、当該仕分け人と担当省庁の責任者との協議を行うことなく、その存廃の是非を仕分け人が独断的に決定するという専制政治的な問題を抱えている。当然、仕分け人と担当省庁との間に埋めがたい深い軋轢が生じることが不可避な手法であり、民主主義国家を標榜する日本国政府の制度としては大きな欠陥を有していると考えられる。また、決定を強制的に履行させる法的根拠(裏付け)がなく、最終的に結局は担当省庁が最終判断をする。それは、官僚による名称の付け替えで、違う事業として存続されるという摩訶不思議な現象を生み出す。官僚達は、自分達のテリトリーを侵害する物を法に抵触しない限り、とことん排除する。この官僚達の抵抗を排除しない限り、事業仕分けは、日本国民を騙す、国家的な大掛かりなパフォーマンスと化すのである。その結果、パフォーマンスのみが先行し、見込みよりも大幅な成果なんて期待できないのである。
 国民は、こんな猿芝居を見せられて、無駄な予算を削減したと騙される。馬鹿な行政刷新大臣と官僚のいたちごっこ。どじょう首相はこれで国民を騙そうとする。
 私は、この事業仕分けという制度は、その法整備の確立と官僚達の抵抗を排除しなければ有効に機能しないと考える。それは非常に難しい。却って、事業仕分けよりも、官僚の抵抗を排除する仕組みを確立し、官僚達が無駄な予算を計上しないようにする仕組み(そのための法整備)を構築した方が良いと考えるのである。
 本来、パフォーマンスで国民を騙して財源確保の姿勢を繕うよりは、官僚改革をして無駄な予算計上を抑えるシステムを構築することが今の日本政府に必要なのではないだろうか。行政刷新の推進(使命)はそこにある。そう思うのである。

■2011年10月06日(木)06:10  どじょう論は不毛な理論…。日本の展望が見えない。
【国の地方合同庁舎、建設再開…。】
 国土交通省は5日までに、国の出先機関改革を理由に凍結していた地方合同庁舎の建設について、一部再開する方針を決めた。政権交代後、22カ所の合同庁舎建設が凍結されたが、今年度は4カ所で再開。来年度予算概算要求でも新たに4施設の整備費を計上した。8施設の総事業費は約600億円に上る。同省によると、建設を再開する庁舎は、仮に入所予定の組織が出先機関改革で統廃合されても、別の入所者が内定するなどし、無駄が生じないという。ただ、民主党は2009年の衆院選マニフェスト(政権公約)に、国の出先機関の原則廃止を明記したこともあり、マニフェストとの整合性を問う声も出そうだ。(時事.com)

 野田首相は財務大臣時代に次々と凍結した事業を裏で再開していますね。この国の合同庁舎建設凍結解除もその一つ。公務員宿舎もそうですね。そう、これ全てどじょう流なんです。水面下の泥に被って見えない所で画策している。それも、官僚達を優遇する措置ばかり。相当、官僚達に褒美を与えて、信頼回復を図りたいご様子。でも、国民を出し抜いての画策はもう止めましょうよ。どじょう流を捨ててクリーンな政治をすべきですよ。こんなみみっちい画策をして国民を裏切り、挙句の果ての政策は増税のみ。それしか提案できない。この人は単細胞極まりないんです。
 こんな人の内閣支持率が高いのが信じられません。
 だって、誰が考えたって、今以上に増税すれば、国民の可処分所得が減少してデフレのスパイラルは加速し、経済の落ち込みと失業者の増加による社会保障費の膨張は目に見えて歴然です。増税による震災特需に期待は持てても、一時的な高揚しか期待できない。復興の先にあるものが見えない。日本の将来の経済政策が全く見えないんです。
 これにTPPへの参加が加わると更に問題は深刻になります。震災の影響で日本製品の買い控えが各国で起こっている。特に農産物については、完全な安全性が担保され風評被害を除去しなければ国際競争に勝てない。また、日本国の農産物が自由競争されると、安い海外の農産物に触発されて国内の農産物の取引が激減する可能性は否定できない。そのために、農産物は、規制を撤廃してはいけない。それを度外視してもTPPへの参加が日本国家の経済構造を成長・安定化できるという確信があれば、そのシナリオを分かりやすく国民に提言し、国民の承諾を得なければならない。
 若し、増税論とTPPへの参加を表明するのであれば、国民に真偽を問う解散総選挙を実施する責任がある。それほど重要な局面に差し掛かっていると思われます。水面下で事を運び国民に見えない政治(どじょう論)は、もう捨てましょうよ。この人の政治は間違っている。日本の展望が見えない。私は、そう認識しています。
 やっぱり、今の民主党政権では日本復興は無理なんですかね。
 散々言いますが、私は与野党で大連立を組んで、知恵を出し合うことが重要だと認識しています。日本復興の鍵をどじょう流の無能な政治家に託すのは、極めて危険だと思います。そう思うのです。

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