−ヘッセ・車輪の下(学校教育の本質)−
学校教育に内在する問題・・。
私は、ヘッセ「車輪の下」で示される学校教育の本質について、下記の文章に驚愕を覚える。
「 教師の義務と国家から委ねられた使命は、年わかい少年のなかに宿っている自然のままの粗野な力と欲望を押さえつけて取り除き、 そのかわりに穏健で、中庸な国家の認める理想像を植えつけることである。」−中略−「少年には、もともと何か野生的なもの、 無軌道なもの、非文化的なものがある。それをまず打ち砕かなければならない。こういう危険な炎は吹き消され、 踏み消されなければならない。自然が創造したままの人間は、予想も見通しもつかない危険な存在である。 それは未知の山からほとばしり出た激流であり、道も秩序もない原始林のようなものである。 原始林は伐り開かれ、整理され、野生が強制的に抑圧される必要があるように、学校は自然のままの人間の野生を破壊し、 征服し、抑圧していかなければならない。 学校の役目は、政府の認めた原則にしたがって、自然のままの人間を社会の有能な一員とし、自己の特性を発見させることである。 そして、それぞれの特性の最後の仕上げは、兵営での周到な訓練というわけだ。」
学校教育は、その粗野で野蛮な人間本来が持っている性質を抑圧し、国家に従順な人間を育成することに重点が置かれる。 なるほど、その通りである。
しかし、そのような枠組みでは、人間本来が持っている有用な資質も同時に抑圧され、破壊されてしまうではないかと思慮する。
何事にも縛られない自由な発想力は、こうした学校教育の下では封印されてしまうのである。
学校教育に内在する問題。それを解く鍵は未だ見つからない。
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