−「私と社会学&社会批評」−

正義の観念・・。


貧乏な家庭に育った。そんな家庭から抜け出すために学生寮のある高専に進学した。

最初の社会学は、高専の5年次の選択科目で履修した。授業はゼミ形式で行われ、個々人で社会問題を調査し、 発表するというものであった。社会学の本を精査し、ゼミで発表したが、自分の発表の機会以外は授業をサボり、 最終回でまた出席した。その授業で、担当の教授は、各自の評価を公表した。私は、成績上は1番優秀。 しかし、授業に参加していない。だから、「優」は与えないと言われた。今考えれば、当然のことである。 幾ら優秀でも他人の意見を聞かない人間は、社会的評価は低くなる。それを教授は教えたかったのであろう。今では、感謝している。

大学の一般教養でも社会学を履修したが、講義がつまらなかった。 教科書をただひたすら読み続ける講師の講義からは感じるものがなかった。 ただ、「社会で一番小さな単位は家族である。」ということだけは憶えている。

そんな私だから、会社に入社しても間違いを繰り返した。とにかく他人の意見を聞かない。教科書に書いてあることが全てである。 正義はあると信じて自己主張する。議論に負けたら、また教科書で学習する。同僚に聞くと、「言っていることは正しい。けど・・」。 賛同が得られない。そんな折、上司に忠告された。「おまえは頭が良すぎて他人の気持が分からない。 また、お前には守る物が何も無いから自由な事が言える。」と・・。確かに私には、守る物が何も無かった。 同僚達には守るべき家族がいる。私の信じるものは正義であり、それ以外何物でもない。 そんな上司の忠告も聞かず、会社ではよく反発した。今考えれば、当たり前である。 幾ら正当な意見を述べても、他人を批判する姿勢は協調性に欠け、賛同が得られない。上司の忠告は正当だったのである。

私は、正義こそが全てであると信じていた。そのため、好んで法律書を読み漁った。しかし、教科書に書いてある正義は、 法適用の正義であり、法の下の平等であったり、私の求める正義の回答はどこにも書いていない。それも、その通りである。 正義の観念は、各人によって異なる。育った環境・受けた教育・社会参加の機会, その結果形成された人格・社会的立場によって夫々異なる。守るべきものがあれば、自説を覆してでも守る。 それが、その人にとっての正義なのである。アインシュタインも自分の家族を守るために原爆を作ったと記憶している。 それを知らない私は無知であったのである。

今、病気になって、弱い人の気持が分かった。故郷に帰って信じる家族もいる。指導をしてくれる恩師もいる。 私のことを気遣ってくれる友人もいる。福祉が提供してくれる社会にも参加できる。そこに社会がある。 人の意見を聞きつつ、協調性を保ちながら妥当性を探る。それが社会人としての人格だと思う。

私は、社会に出て多くの物を学んだ。その経験・学問・思考を生かして、社会に少なからずの知恵を提供しようと試みている。 それが私の社会学&社会批評である。決して、国家が憎い訳ではない。互いに主張は異なるかもしれないが、 皆、福祉国家・平和社会の実現に向けて頑張っていることは十分に承知している。それを知りつつ、批判を受けながらも、 社会批評を続けて行こうと思う。

「私は、本当は心の優しい人なんですよ。」ということを分かって頂ければ幸いである。

今、私は社会復帰に向けて作業所に通おうと四苦八苦しているが、睡眠障害で昼夜逆転が治らない。もう少し、頑張ってみる。 当面の目標は社会復帰であるが、生きているうちに学問の集大成として博士論文を執筆しようと夢を見ている。 それが私の生きた証としての遺稿としたい・・。



kazkaz奮戦記&社会批評by kazkaz of 車輪の下

− 2011/02/21 written by kazkaz −