−「原発問題を考える」−
平和国家の探求・・。
【東電に免責不適用は誤り…株主提訴、国反論。】
東京電力福島第一原発の事故を巡り、東電株を1500株保有する東京都内の男性弁護士が、 原子力損害賠償法の免責規定を東電に適用しなかったことで株価を下落させたとして、国に150万円の損害賠償を求める訴訟
を東京地裁に起こし、同地裁で20日、口頭弁論が開かれた。国側は「東日本大震災は免責規定が適用される 『異常に巨大な天災地変』には当たらず、東電が損害賠償責任を負うべきだとした対応は適法だ」と、
これまで政府が示してきた見解と同様の主張をし、請求の棄却を求めた。 原子力事故による賠償責任を定めた同法は、過失の有無にかかわらず、電力会社が損害賠償の責任を負うことを原則とし、
「異常に巨大な天災地変」の場合は免責すると規定。(読売新聞)
今回の東日本大震災の原発事故の責任の所在は誰にあるのか。
それを考えると、東電1社の責任ではないように感じます。戦後、原発によるエネルギー政策を推進してきた日本政府。 特に歴代政府機関と電力会社の監督官庁である経済産業省にも責任がある思います。
その点から、怒りの矛先を東電1社に向けさせることには理不尽さを感じます。 国家は東電他関係団体と一体になって、国民・被災者への謝罪をし、然るべき対応をするべきであると思うのです。
今回の原発問事故の背後には、国家による原発危険性の過小評価があったことを見過ごしてはなりません。 この地震大国とも云える日本列島は、世界でも最も地震と津波の危険性を考えなければならない地域です。しかし、
その危険性は、原発を運転する電力会社、その監督官庁である経済産業省、それらを監督する政府・国会議員等によって全て 過小評価されていました。学校教育でも、原発の安全性はしきりに教えられました。この点、思想教育というのは恐ろしいものです。
国家による思想教育は全国民を巻き込み、神話伝説を築くほどに成功していたのです。
その原発安全神話は、原発の平和的利用という謳い文句とその安全性の誇張にカモフラージュされた諸刃の剣を隠す嘘だったのです。
嘘で塗り固められたエネルギー政策。国家は、その責任を自覚して全国民に謝罪すべきであると共に、根本的な再考が必要です。
ところで、戦争による唯一の被爆国である日本が、原子力の怖さを知っていながらも、 原子力エネルギー政策を推進した点は腑に落ちません。本来であれば、原子力に頼らない別のエネルギー政策を推進していたはずです。 しかしながら、原子力エネルギーには、その痛手に変えても日本国を引き込む魅力がありました。 小さな原子炉から莫大な電気エネルギーを取り出せるからです。それに代わるエネルギー発生手段は他には考えられません。 そこで、政府は、原子力の「平和的利用」という謳い文句で原子力エネルギー政策を実現してきた経緯があると思われます。 しかし、この「平和的利用」という文字を消去しない限り、同じ間違いは繰り返される。そのような気がします。
原子力の怖さを世界に周知させる使命が日本にあるのであるならば、原子力エネルギーに代替するエネルギーを開発して 世界に供給する位の努力が必要なんだと思います。代替エネルギーが簡単に開発できるとは思えませんが、我々は、それを開発する努力義務を戦争によって負っていると考えるのです。 平和的な国家は、それによって完成されると云っても過言ではないかもしれません。
すなわち、我々日本国民は、「核(原子力)を利用」するのではなく、「核(原子力)を排除」することを提案できる国家でなければならない。 今こそ、原子力との離別,「脱原発」,それと真摯に向かい合わなければならない時だと思うのです。
原子力エネルギーの平和的利用を追及するのか、崇高なる理念の元に脱原発を選択するのか。その選択は、日本国民に委ねられているのです。*2011/10/22 大幅に修正しました。
*2011/10/26 更に加筆・修正しました。