「民法の扶養義務と生活保護を考える。。。」

扶養困難に説明義務。厚労相、生活保護法改正検討…。】
 小宮山洋子厚生労働相は25日、人気お笑いコンビ「次長課長」の河本(こうもと)準一さん(37)の母親が生活保護を 受給していた問題に絡み、生活保護受給者の親族が受給者を扶養できない場合、親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を 課す生活保護法改正を検討する考えを示した。保護の決定を行う各自治体は現在、保護申請者に扶養可能な親族がいるかどうか 聞き取り、親族には扶養の可否を問い合わせているが、明らかに扶養可能でも拒否するケースもみられるという。
 小宮山厚労相は、同日午後の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会でも河本さんの問題に触れ、 「扶養義務者は責任を果たしてほしい」と述べ、余裕があるのに扶養を拒む場合は積極的に家庭裁判所へ調停を申し立てる考え を示した。現在も調停や審判の申し立ては可能だが、家庭の事情に踏み込むのを嫌って、実際に申し立てた例は 「20年以上把握できてない」(厚労省)という。小宮山厚労相は生活保護費の支給水準引き下げを検討する考えも表明。 生活保護の受給開始後、親族が扶養可能と判明した場合は積極的に返還を求める意向も示した。(産経新聞)


沖縄タイムスでは、
   =〔生活保護と扶養〕は義務化では解決しない=
                   と扶養問題の提起をしている。

 そもそも、これらの問題を考察すると、相当に奥が深いことが分かってきます。現在の日本の家制度が崩壊して何十年位に なったのでしょう。現在の家は、長年続いた家父長主義から成る複数世帯が住む家と、夫婦一世帯が住む核家族化した家と, 独身世帯の家に分類することが出来ます。この家制度の変容により、そこに済む人間・家族の居住生活形態が変わってきているのは 明白なのです。また、不景気の影響で、日本での雇用問題は有効に機能せず、大量の失業者を生んでおり(その多くが生活保護費を 受給者である)、これに国家は有効な歯止めを掛けることはできず、大量の失業者に生活保護を受給させて人間としての最低限の 生活を強いています。

このように、家制度もライフサイクルの多様化により変容しており、一般の社会人が民法の定める扶養義務の範囲で、 他の家族を同居・別居などで扶養をすることはお金の問題以外にも諸所の問題があり、容易に解決することはできません。

例えば、被扶養者を扶養するお金があっても、家族との不仲で家族生活に問題を生じさせる場合があります (それが原因で家族が崩壊することもある)。
 また、子供を上級学校に行かせる等の養育費・教育費・学費等の捻出計画,車の購入, 家の購入等の支払い計画が狂うこともあります(これも家族が崩壊する原因になる)。等など。
 また、調停などで強制的に家族扶助・同居等を認めさせても、家族は混乱する虞があります。
 また、調停などの強制が嫌で、生活保護を諦めて、家族との同居を拒み、路上生活者となるものが 今以上に増えることも懸念されます。

また、調停の失敗等で関係者間で、障害・殺人等の犯罪が起こる懸念も否定できません。

すなわち、上記のような諸事情から、容易には(身内であるが)他人の生活を扶助することはできません。 したがって、多額の財産を持った扶助責任者しか、扶養を行うのは困難であると思慮します。

上記の考察の通り、社会は家制度の崩壊で、扶養義務を強制できない程に複雑化しており、民法の規定する扶養制度義務も、 現状では効果的には働かない可能性が高いのです。したがって、生活保護受給者の親族が受給者を扶養できない場合、 親族側に扶養が困難な理由を証明する義務付けるのは、時間・経費ばかりかかって無駄や新たな問題を生むような気がするのです。 旧い家制度が崩壊したと同時に民法の扶養義務の規定も現状に合った規定に変更すべきとも思えます。 なんだか、民法の規定と現状の家制度の間に埋めがたい齟齬があり、これを埋めなければいつまでたっても、 問題は解消しないのかもしれません。

検討は、人の生活・家・社会というものを真剣に認識して、社会常識から逸脱しない方向で行って欲しいと思います。

小宮山厚労相さんは生活保護の支給水準を下げることも検討される様子。時代は、何等効果的な不況対策を行っておらず、 その結果多量の失業者を輩出し(多量の生活保護者を輩出し)、膨大な社会保障費を計上しなければならなくなりました。 失業者が増えて社会保障費が膨大に増えてしまったのであれば、失業・雇用対策をして失業者を減らそうという対策を検討・実行 するのが通常の人の考える対策です。しかし、小宮山厚労相他民主党幹部の考える対策は、これらの失業・雇用対策の失敗を余り表に出さず (隠蔽さえして)、不景気で失業者が増え、生活保護費が膨大に増えたことを強調します。そして、それは失業者の責任の如く 生活保護者に国民の目を誘導させて生活保護費の削減を詠うのです。

弱い者に強い者が責任転換するのは、極悪です。極悪人は退治すべきなんです。

正義がみつかりません。悪人はこんなにいるんですけどね…。




− 2012/05/29 written by kazkaz −


2012/06/03 若干修正