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☆油彩と聖書画☆

はじめに

2012年春より油彩を始めました。それまでは水彩を2年ほどやりましたが、教会に通うようになり宗教画を見るようになると、 やはり油絵独特の色具合に魅力を感じました。
早速上尾の雪山堂(ここは写真をやっているときから額装のマット紙を頼んでました)に行って、油絵の具を1セットと筆と 8号のキャンバスを購入しました。少し大きめのイーゼルも買って、キャンバスを置くと、なんとなく画家に成れたような気分は最高でしたね。
図書館で一応油彩入門書を借りてきて、まあ、水彩も油絵も同じだろうと、絵の具をたっぷりのうすめ液でといてキャンバスに塗ると、だらだらと流れ落ちてきました。 どうも水彩画とは勝手がちがうようで、それから入門書を丹念に読んで、一通り描けるようにはなりました。
油絵の魅力と言えば、まず深みのある色具合でしょうか、水彩は水を含んだ色と乾いたときの色と異なりますが、油絵は油が乾くのではなく、酸化して固まってくれるのでほぼ 描いた時と同じ色合いが残ります。しかも油が酸化するのに3,4日から1週間ほどかかるので、その間なら布で簡単に拭き取れますし、他の色をその上に重ねることもできます。 私のように、筆の遅い人間には、この柔軟性がなんとも魅力です。
それと描いてみて初めて分かりましたが油絵具の持つパワーが凄い。 展覧会などで、何故油絵は大きいのかが、よくわかりました。ついつい、大きいキャンバスで描きたくなります。それは、やはり絵の具の持つパワーが水彩とは全然違うからです。 前置きはこのくらいで、後はそれぞれの作品のコメントをお読みください。尚、聖書画に用いた聖句はすべて、新改訳聖書第三版から引用しています。解説書とは、カラー新聖書ガイドブックのことです。

Greetings in ENGLISH.

Welcome Futaro’s gallery. May I briefly introduce myself.
When I was 62yers old I heard voice of God through my first Bible painting.
It was most excitement and spiritual phenomenon experience in my life.
This painting was portrait of Zacchaeus of The Gospel according to Luke.
And then, the spirit of the Lord came upon me form that day forward.
So, I believe living God and have been baptized by pastor at local church.
I have no paintings education or experience except a junior high school. Also. I did not Bible painting up until then.
So, I am not an expert at painting. However, Jesus Christ is my Lord who opened the wonderful and un-expect path to painting picture for me,
and changed my life to eternal life.
And then, I am painting seven pieces in a year. I hope you enjoy my paintings.
お知らせ Information

☆案内状☆ゴールデンウイークに予定していました。第二回の個展は、4月7日に「緊急事態宣言」がでましたので、一年延期となりました。
Sorry I must delay this art exhibition until the Coronavirus crisis passes.

☆案内図☆

☆☆

☆NO56、乗り越えて、(希望)
聖書が焦点をあてているのはイエス、キリスト一人です。旧約聖書は彼の到来を知らせる預言の書であり、新約聖書は地上に来られた彼の物語です。
物語であるので、当然、クライマックスがあります。それは、一言でいえば、彼の到来によって、人類が初めて死に打ち勝つ、希望を与えられた瞬間です。
今回の絵は、NO45、分かれ道の続編になります。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。

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☆☆

☆NO55 二人のマリヤ(良い仲間)
今回は以前描いたマクダラのマリヤの続編です。
ガリラヤ湖に近い漁師町、マクダラでイエスとマリヤは、そこに住む若い未亡人のマリヤを悪霊と彼らに支配されていた漁師たちから救います。
マグダラのマリヤは、稲妻のような光と雷鳴のような声で、悪霊たちを退散させたイエスにたちまち心を奪われ、持ち前の情熱的な恋心をマリヤに打ち明けます。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO54、ラケルのように。(インマヌエル!)
今回もNO36で描いたマリヤとヨセフの会見から、題材をとりました。
順番で言えば、NO50、の翌日の出来事になります。マリヤが溺れかけたのをヨセフが助けたことで、二人の仲は急接近します。
しかし、最大の艱難がマリヤを待ち受けていました。エリコからベツレヘムに行く長い上り坂はこの旅の最大の難所です。急こう配に加えて、盗賊も多く旅人にとってもっとも危険な場所です。
おりしも、臨月のマリヤは、長旅がたたって途中で産気づきます。苦しみの中、マリヤはヨセフにあるお願いをします。これが今回の主題です。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。

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☆☆

☆NO53、輝き。(もう引き返せない!)
今回はNO47 希望の祈り、の続きです。
マリヤの祈りの成就が、ある晩、訪れました。私はイエスの誕生を5月と確信しているので、それから10月10日前は7月となります。
NO13では、「受胎告知」として描きましたし、有名な画題なのでご覧になった方も多いでしょう。
それで、今回は、もっと具体的に描いてみました。
この日のマリヤは、現代でもこの年代の女性が絶対に着ないような、スケスケのナイトガウンを着ていますが、それにはちゃんと聖書的なわけがあります。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。

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☆☆

☆NO52、マリヤの婚礼 (二人で生きる!)
今回も、N036のベツレヘムの会見より、題材を採りました。
福音書にはマリヤとヨセフの婚礼についての記述はありません。それはマタイの福音書1章18節に、その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。とあるからです。
ヨセフは一旦はマリヤを離縁しようとしますが、主の使いが彼の夢に現れて、恐れないで、あなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。と告げられて、彼女を迎えたことが手短に書かれているだけです。
当時の厳しいユダヤ教の戒律からいえば、所謂できちゃった婚は御法度でした。しかし、そうはいってもマリヤの両親からみれば、かわいい我が子の晴れ姿を一目でもみたかった筈です。
そんな、御両親の願いも込めて、この絵を描いてみました。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。

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☆☆

☆NO51。あら!先生! (彼女の心臓は止まるところだった。)
今回も、N036のベツレヘムの会見より、許嫁のヨセフがナザレに来るまでのエピソードです。ニサンの月、毎年恒例の過越しの祭りを祝いにナザレの村人が両親も含めて皆、エルサレムに出かけてしまった、留守中の出来事からテーマを取りました。
半月以上留守になる訳ですが、食糧は十分に確保してあるものの、飲み水は毎日、井戸に汲みにいかなければなりません。なるべく人気のない日中を見計らって出かけたのですが、運悪く年老いたラビ(ユダヤ教の教師)に出会ってしまいました 。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO50。マリヤ!大丈夫か? (マリヤ溺れる。)
今回も、N036のベツレヘムの会見より、マリヤとヨセフのベツレヘム行の途中の出来事からテーマを取りました。
このテーマは過去にNO40の水遊び、と題して描いていますが、この絵はその直後の出来事です。
その後イエスがこの場所を宣教のスタートの場所に選んだことは、すでにN040で書きましたが、何が起こったのか、その具体的な描写は描いていなかったので、今回、描いてみました。
マリヤの夫ヨセフは、聖書では、それほど目立った働きが書かれていませんので、この機会に彼の武勇伝の一つとして描いてみました。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO49 キリストの影 (ヨナ、神から逃げる。)
奇しくも4月21日のイースターの日にアップできたのは、イエスがご自身の復活の例えとして日ごろから話していた聖書からの引用箇所ヨナ書でした。
アミタイの子ヨナは、勿論史実に基づいた実在の人で、彼が宣教したニネベも実在した町です。しかし、史実に忠実に書かれているはずのこの話には、唯一一般的にみて、不可解な点があります。
それは、彼が大魚の腹の中で三日間生き続けたことです。一度は神から逃れたヨナが、暗闇の中で主に祈ったことから、この奇蹟の話は始まります。
ですから、読者は否応なく、二つの読み方を強いられます。一つは単なる物語としてよむか、すべて事実として受け取るかです。事実として受け取れば、それはやがて来るキリストの影としての彼の姿が見えてきます。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO48、Rejoice!。(喜びなさい。)
復活のイエスを描くのはNO6の復活の朝、以来二度目になります。
福音書のハイライトと言える場面ですから、当然四つの福音書に書かれています。前回はヨハネによる福音書を主題にして、マクダラのマリヤがイエスに最初に会った場面を描きました。
今回はNO45の続編といった意味合いが強く、イエスの母マリヤと妹のサロメ、そしてマグダラのマリヤの三人に復活したイエスが会う場面を描いてみました。
四つの福音書を読むと、マタイ、マルコ、ルカの福音書はだいたい同じ内容です。ヨハネだけが、マクダラのマリヤを主体にしていますが、仔細に読むと、かえって情報が交錯してわかりずらいので、今回は思い切ってそれぞれの福音書の要点だけを抜き取って一つにまとめてみました。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO47、希望の祈り。(ダビデとマリヤの賛歌)
イエスの誕生を知らせる天使ガブリエルがマリヤの家に来て、彼女に挨拶したとき、マリヤはひどくとまどって、これはいったい何のあいさつか考え込んだ、とルカの福音書1章29節に書かれています。
これがマリヤが神の子を授かる、最初の知らせであると、聖書には記してあります。
ルカは実際にマリヤに取材して、これを書いているので、この箇所に間違いはないのですが、一連のマリヤに関する絵を描いていると、どうも、これ以前に、マリヤと神とのコンタクトがあったように思われるのです。
この後、マリヤは、許嫁であるヨセフと一緒になるのですが、ヨセフは言うまでもなくダビデの末裔です。彼女は複雑な経緯を辿るこの結婚にすんなり同意するのですが、マリヤとダビデの間には、見えない神の意図で結ばれていたような節があります。
今回は、聖書の中でも特に有名な二つの詩が、時代を越えて見事に一致するという不思議な絵に仕上がりました。
詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO46 嫉妬(シモンの家)
福音書には三人のマリヤが登場します。一人はイエスの母マリヤ、そして、ヨハネのお気に入りのマクダラのマリヤ、そして福音書では三回も登場するベタニアのマリヤです。
三人のマリヤの中で、一番登場回数の多いのがこのベタニアのマリヤです。
何故、このマリヤの登場回数が多いのかと言うと、ベタニアはエルサレムに近くイエス一行のエルサレム滞在の定宿として用いられていたためです。
今回の絵はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネにあるエピソードを基にして描きましたが、ここでのテーマは題名にもある通り嫉妬です。
マリヤの信仰の証しの筈のこの絵が、何故嫉妬という題名なのか、詳しくはつづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO45、分かれ道(The Crossroad)
今回は、わたしがクリスチャンになって以来、ずっと解けなかった謎に、ひとつの回答をあたえてみました。
それは、何故、復活の朝、女性だけがその現場に行ったのかという謎です。
三年半にわたって寝食を共にしてきた愛弟子たちは、皆、ゲツセマネの園を最後に散り散りになってしまいました。
彼らはイエスが十字架に架けられたのを目の当たりにして、次は自分たちの番かと、皆怯えながら隠れていたのです。
その中で、イエスの母マリヤと妹のサロメ、それにマグダラのマリヤだけが、夜明けと共に墓に行ったと、四つの福音書に書かれています。
彼女たちだけが、何故、男たちが恐れていたにも関わらず、墓に行けたのでしょう。
つづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO44、Dry bones?I’m alive!(イスラエルの復興)
今回は今から約2600年も前の旧約聖書から題材をとりました。
BC597年、祭司の子エゼキエルは第一回バビロニア捕囚の中にいました。
捕囚から5年後、彼はバビロンのケバル川のほとりで、神々しい幻を通して預言者としての紹命を受けます。
祖国の滅亡を前にして無気力になり悲観するイスラエルの民に、神はエゼキエルを通して、一つの希望を与えます。
それは、谷底に打ち捨てられた無数の骨がカタカタと音を立てて寄せ集まり、やがて骨と肉が結び合い、皮膚で覆われて人間が復活する幻です。
荒唐無稽な夢物語と思われるでしょうが、意外にもこのお話は現代の中東問題に大きなヒントを与えてくれるのです。 詳しくは
つづきを読むをご覧ください。
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☆街角のイエス。☆

☆NO43、街角のイエス。(見よ、わたしはすぐに来る!)
聖書画というと、一般的に言って、一番あたらしい新約聖書の世界でも、今から2000年程前の出来事です。
ですから、クリスチャンでない人々にとっては、どうしても単なる歴史画としての要素しか受け取れないというのが実情です。
しかし、聖書は救い主であるイエス、キリストが再びこの世に現れると予言しています。
いつどこで、ということはわかりませんが、当然、この日本の東京に現れることもあるわけです。
そうした、仮定の上での踏まえて、この歴史的出来事をその場の人々がどう感じるか描いてみました。
東京という設定なので、人物の風景もありのまま描けばよいので、今回は一切の時代考証などなく、実に伸び伸びと描くことが出来ました。
こうした幅の広さも、聖書画の魅力の一つではないでしょうか。是非、クリスチャンでない方々もご覧ください。詳しくは
つづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO42、マクダラのマリヤの救出(光のバプテスマ)。
前回お約束した通り、今回はマクダラのマリヤを題材にしました。まず、前回同様、イエスとマリヤの会話からこの主題に入りたいと思います。
時、 山上の垂訓の後
場所、ガリラヤ地方のハッティン山の近く。
マリヤ  今日のあなたの言葉に多くの人々が聞き入っていました。中には涙ぐむ人もいました。あなたがモーセより偉大な方であると、誰もが思ったからです。
     しかし、今日、あなたの言葉に、大きくつまずいた子がいます。あなたが私のことを思って諭してくれたのはわかりますが、若いあの子たちが、かわいそうです。
     ヨハネとヤコブはすっかりしょげかえってしまいました。
イエス  マリヤ、わたしに何をしてほしいのですか?
マリヤ  この近くのマクダラに一人のやもめがいます。彼女に会ってください。彼女は救いを求めています。

おそらく、イエスの復活後に最初に会った女性として、聖書に記されているマグダラのマリヤという女性を、イエスに引き合わせたのはマリヤだったと、私は思います。
彼女は七つの悪霊を、イエスに追い出してもらった女性だという以外、これと言った記載がありません。
この僅かな手がかりと、復活後最初にイエスに会った女性ということで、イエスにかなり親しく、かつ罪深い女性であったと、後々思われているだけで、詳しいことは何もわかりません。
この女性とマリヤとイエスに何があったのかは、
つづきを読むをご覧ください。
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☆☆

☆NO41、授乳のマリヤ(あなたは誰?)。
イエス、キリストとは誰か?という問いに答えるとき、私はいつもヨハネの手紙第一のこの箇所を思い出します。
5章6節にこうあります。このイエス、キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。
そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。

この一文は使徒であるヨハネによって書かれていますが、私は個人的に彼にこれを書かせた、情報源はイエスの母マリヤだったと思っています。
彼はマリヤの妹サロメの子ですから、叔母であるマリヤをイエス亡きあと、引き取ったのは当然で、彼女からイエスに関する多くの情報を得ていたはずです。
おそらく、イエスが公生涯を始めた初期から、常に人々の間でささやかれた、この方は一体どなたなのだろう?という問いを、生まれて直ぐに最初にイエスに投げかけた女性であった筈です。
何故なら、まだ少女といっていいマリヤの年齢で、初めて授かった子が、許嫁ヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった子だったからです。
この子は神の子?その単純なマリヤの問いに、正直、そうだ、と答えてくれる人は、ヨセフとそれを知っていた預言者以外、一人もいなかった筈です。
今回は、この単純な問いをもう一度、考えてみることにしました 。
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☆☆

☆NO40、水遊び。
今回も前回同様、NO36のベツレヘムの会見、からヨセフとマリヤがエリコの途中のヨルダン川で、水遊びをする場面を描いてみました。
この箇所は当然聖書の記述ではありませんが、彼らが水遊びをした30年後、イエスはその場所で、ヨハネから洗礼をうけています。
全く罪のない、神の子であるイエスが何故にヨハネから、洗礼を受けたのか、その辺りのことを祈りつつ考察してみました。
マタイの福音書3章15節に、「〜すべての正しいことを実行するのは、私たちにふさわしいのです。」とイエスが言う、私たちとは、誰のことでしょう。
ここには、何かが欠けています。その欠けている部分を今回は描いてみました。
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☆☆

☆NO39、ベツレヘム行き。
この絵は、ルカの福音書2章を基に描きました。そこにはこう書かれています。
4節、ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上っていった。彼は、ダビデの家系であり血筋であったので、
5節、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

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☆☆

☆NO38、バテ、シェバ、美しき誘惑。
前々回のNO36でベツレヘムの会見を描いて、改めてイエス誕生におけるヨセフの役割の大きさが痛感しました。
というのも、当時のユダヤ教支配のイスラエルで父親が誰であるか定かでない子どもを産むことはほぼ不可能であったからです。
マリヤは幸いにも、許嫁であるヨセフが、ダビデ家における世代を超えた重荷を感じて、彼女を妻に迎えたことで、なんとか出産にまでこぎつけました。
その後、彼はイエスの養父としての重荷を進んで引き受ける訳ですが、その重荷となったのが、このバテ、シェバとダビデの出会いにあったのことは、先のNO15でくわしく描きました。
今回はそのNO15の続編として、さらなる考証をしてみました。 つづきを読む
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☆都上りの嘆き☆

☆NO37、都上りの嘆き(主の通られる道をまっすぐにせよ。)
公生涯に入られたイエスは弟子たちとともに毎年過越しの祭りのためにエルサレムに上られました。
中でもやがて十字架につかれることを覚えた最後の年には、エルサレムに上られる途中で、泣いた、とルカの福音書19章41節に書かれています。
この時は、やがて、ローマによって神殿もろとも瓦礫と化してしまうエルサレムを思って泣かれた訳ですが、その前にも、エルサレムについて嘆かれたとルカ、マタイの福音書には書かれています。
同13章33節には、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです、とはっきりとご自分の死に場所はエルサレムだと言っています。
この時は、まだ弟子たちの間では、そのことの意味がはっきりとは分かっていなかったようです。
イエスの言葉に動揺する弟子たち、その中で、イスカリオテのユダだけが、ある意味、イエスの心情を一番理解していたかもしれません。
しかし、彼は結果的に裏切りという行為でしか、その思いを果たせませんでした。
イエスが、嘆いた本当の意味は何だったんでしょうか?
私はこの絵を描くにあたって、キリスト(救世主)の到来を告げたバプテスマのヨハネの言葉、主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ、という言葉を土台にして、何故イエスがエルサレムを前にして嘆かれたのかを考察してみました。
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☆ベツレヘムの会見☆

☆NO36、ベツレヘムの会見
前回、マリヤが馬小屋で誰の助けも借りず、一人でイエスを産んだ場面を描いたわけですが、何故に彼女が神が授けた独り子を産むのに、かくも苦労しなくてはならなかったのか、 クリスチャンでなくとも、知りたいと思うのは当然でしょう。
福音書ではマタイとルカがその辺りを手短に書き記していますが、福音書の伝える目的は、あくまでキリスト、イエスの教えであって、 彼の伝記ではない以上、我々が知りたいところまでは踏み込んでは書かれていません。
その辺りは、私を含めて有名無名の書き手描き手によって、様々に解釈されてきたことは御承知の通りです。
今回も導かれるまま、ベツレヘムでのこの親子の肖像を描いたわけですが、ここで、あれこれと私のコメントを書き連ねるよりも、折角マリヤとヨセフが揃っていることだし、今回はことの次第をこの二人に直接、 語ってもらうことにしました。
題して、史上初の、イエス親子による、ベツレヘムの会見です。生まれたばかりのイエスがそれをどう聞いたのかは、神のみぞ知るです。
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☆厩(うまや)の王子☆

☆NO35、厩(うまや)の王子
この絵のアイディアはNO23のThe Nightを描いた時に浮かんでいたのですが、その時は、まだ描くべき具体的な構図ができていませんでした。
しかし、今回、聖書画展を開くにあたって、不思議な形で、この絵が急に今回の展示に導かれました。
前回のバラムの叫びから、実に一か月という異例のスピードで完成したのも、主の導きがあったこそです。
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☆バラムの叫び☆

☆NO34、バラムの叫び(ロバがしゃべった!)
旧約聖書には実に様々な人と神との交わりの記録が記載されています。その中で、私が知る限り動物がしゃべったという箇所は、創世記の冒頭に蛇がエバを惑わす場面を除けばこのバラムのロバがしゃべったという箇所が唯一ではないかと思います。
いったい何故に物言わないロバがしゃべったのか?ロバとバラムとの関係は?黙示録や新約聖書の書簡にも記載されているバラムという人物は何ものだったのか、その辺りを考察してみると、神に祝福された筈のユダヤ人たちの意外な弱点が見えてきました。
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☆カナの婚礼☆

☆NO33、カナの婚礼
前回に続いて今回も婚礼をテーマにしました。婚礼は聖書の基本テーマでもあります。
婚礼である以上、男と女が主人公です。しかし、このカナの婚礼では、結婚する当の御両人は登場せず、招待されたイエスとその母マリヤが主人公です。
このエピソードを紹介しているのはヨハネによる福音書だけです。彼は十字架上のイエスの遺言で母マリヤを引き取った弟子です。
それ故、イエスの死後、マリヤから直接様々なイエスにまつわるエピソードを聞いていたはずです。
しかも、彼は晩年、エーゲ海のパトモス島で主から世の終わりについての黙示を見せられた弟子でもあります。
数千年の時空を超えて、この二つのエピソードから、イエスが何を我々に伝えようとしたのかを描いてみました。
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☆神の子らの婚礼☆

☆NO32、神の子らの婚礼。(わたしの目には、あなたは高価で尊い。)
冒頭にも書いたように私の油彩画歴はまだ4年程度です。それまでは重い撮影機材を担いで野山を駆け回っていました。求めていたのは美しい自然の風景でした。
しかし流石に還暦を過ぎて長時間のドライブや重い撮影機材が体に負担となり、軽い絵筆に持ち替えた訳ですが、聖書画を描くようになっても美を求める気持ちは持ち続けていました。
それで、最近少し聖書の中身が分かってくると、この中で「美しい」という言葉が最初に出てくるところは何処かと探して見ました。すると意外と早く見つかりました。創世記第6章にこう書かれています。
1節、さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちがうまれたとき、
2節、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分達の妻とした。

今回はこの箇所を基に描いてみました。
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☆NO31、ミツパの誓い。(神は見ている。)
アブラハムの子イサクの妻リベカは双子の兄弟を産みます。後から出てきたヤコブは穏やかな人となり、天幕に住み、兄、エサウは猟師、野の人になります。
このヤコブがやがてイスラエル12部族の祖となるわけですが、彼は主の祝福を受けた機智に長けた人です。兄、エサウが疲れて野から帰って来た際、レンズマメの煮物で彼から長子の権利を買い取ります。
そして、父イサクが老年になって視力が衰えると、母リベカの入れ知恵もあって、長子エサウが受けるはずの祝福を独り占めしてしまいます。
怒ったエサウはヤコブを殺そうとします。これがアダムの最初の子、カインとアベルの二の舞にならなかったのは、母リベカの助言もあって、リベカの兄、ラバンのところに逃げることができたためです。
創世記29章から31章にかけて、ヤコブが叔父ラバンの元で過ごした出来事が記されています。彼はそこで、ラバンの二人の娘と結婚し、さらに彼女たちのそばめを含めて計四人の妻たちとの間にイスラエル12部族の祖となる子供たちを設けます。
彼はラバンの元で、財産造りにも励み、やがて、時が満ちて生まれ故郷でもあるイサクのいる地に戻る訳ですが、その途中の出来事を絵にしました。
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☆ゲツセマネの祈り☆

☆NO30、ゲツセマネの祈り
前回、イエスに対する母マリヤの憂いを主題にしましたが、今回は、当然、それに対するイエスの母に対する思いをちょっと違った角度から考察してみました。
私も度々、取り上げていますが、宣教に入ったイエスの母にたいするそっけなさは、本当にイエスの真の姿だったのか、人間として最後の祈りの時をもったイエスの苦悩から、真の救い主の姿に迫ってみました。
祈りの場となったゲツセマネというのは、エルサレム郊外にあるオリーブ山の麓にある園の名前です。ゲツセマネとは油絞りという意味だそうで、イエスの時代ここでオリーブ油を絞っていたのでこの名があります。 過越しの祭りの前日(13日)日没から日が変わるユダヤ歴では金曜日の晩、エルサレムで弟子たちと最後の晩餐をした後、イエスは裏切り者のユダを除いた11人の弟子たちとこの場に来て、最後の祈りを捧げます。
イエスはこの後、十字架で天に召されるまで人間として、最も過酷な一日を過ごすわけで、その様子はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に書かれています。
全ての福音書に書かれているということは、非常に重要な事柄だと言えます。使徒信条にも、ポンテオ、ピラトの元で苦しみを受けと、十字架への道のりの苦しみを的確に言い表しています。
特にルカの福音書においては、イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。とあるほど、苦しみの極致を経験します。
神の御子として、普段祈りを捧げているイエスとはまったく違うイエスに、私はクリスチャンになった当初、戸惑いそして、最初の試みにあったのも、この場面からでした。
私にとって、忘れえぬ一つの思い出のある、場面でもあります。聖書画も5年目に入り、区切りのいい30作目にこの主題が与えられたのも、神の御心があってのことと思います。
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☆マリヤの憂い(天の窓は開いています。)☆

☆NO29.マリヤの憂い。(天の窓は開いています。)
前作でイエスの十字架上の遺言として、母マリヤをヨハネの母とするようにという御言葉を紹介しました。
マリヤ自身も天使ガブリエルが初めてマリヤに訪れた時に「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1章38節)
と答えているので、このことについてマリヤが神に異議を申し立てることはなかったと思いますが、三年半のイエスの公生涯を共に過ごした際には、マリヤ自身言うに言われぬ憂いを感じたことは一度や二度ではなかったと思います。
マルコの福音書3章21節には、イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに来ていた。「気が狂ったのだ」という人たちがいたからである。
さらに続く31節には、さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
32節、大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「御覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言った。

これらの記述から、イエスが弟子たちと宣教を始めた当初はイエスと母及び兄弟たちの間に大きな軋轢があったことが分かります。
今回は、聖書画ではあまり描かれることのない、母マリヤの憂い、について描いてみました。
詳しくはこのつづきをお読みください。
つづきを読む

☆キリストの磔刑☆

☆NO28、キリストの磔刑。
今年(2016年)3月に教会を変わりました。主の導きのまま、理由も分からず変えたわけですが、新しい教会に行ってみてその理由がわかりました。
その教会では、イエスの血潮12の宣言、を2月から始めていたからです。
前の教会も、十字架を信仰の基礎においている教会でしたが、さらに一歩進んだ教えを主が導かれているのだと分かりました。
早速、その血潮を声に出して祈っていると、主の問いかけがありました。
「あなたは、わたしの十字架での血潮の意味を本当に知っているのか?」。
わたしは、答えました。「主よ、あなたこそご存じです。教えてください。」
「では、わたしの十字架を見なさい。」
見ることは、私にとって描くことです。
今回は特に主の導きが強く働き、約1か月という今までにない早いペースで描くことができました。
それと同時に、主の十字架の意味も、詳しく教えてくださいました。
是非、このつづきをお読みください。
つづきを読む

☆ヨハネの黙示録から、女と竜☆

☆NO27、ヨハネの黙示録から、女と竜。
今回の主題は、黙示録12章を基に描きました。
黙示録とは、やがて起こる終末の出来事を、しもべヨハネが書き記したものです。
主な内容は神とサタン(竜)による最終戦と、神による全人類の裁きが主題ですが、1章2節にヨハネは、神のことばとイエス、キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべてのことあかしした。 とあるように、本来は映像で与えられたものを言葉で書き記したのもです。
これがユダヤ民族特有の黙示文学と言われるもので、彼らが何故、映像を絵ではなく、文字で表したかといえば、モーセの十戒にあるように、あらゆる偶像を作ってはならないという戒めのため、 絵を残さず、全て文字によって書きしるしたためです。
本来は映像で示されているので、当然、見よ。という呼びかけが22回も書かれています。
最初から映像に現してくれたらと、思うのは当然ですが、イスラエルの長い歴史を振り返れば、形ある物は全て消し去られているので、巻物一本で後世に確実に残せる黙示文学は彼らに不可欠なものであったと思われます。
当然、読む側にとっては難解な文章になるわけですが、これが返って読む人の想像力を掻き立てます。
私も当然、その一人ですが、クリスチャンならお分かり頂けると思いますが、聖書は聖霊の助けなしには理解できません。
私も当然、祈りつつ、筆を進めました。
詳しくは全文を読むをごらんください。
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☆☆サマリヤの女

☆NO26、サマリヤの女。
今回の主題は、イエスの数あるエピソードの中でも特に有名ですので、ご存じの方も多いと思います。
イエスが宣教の途中サマリヤの地に立ち寄った時、ヤコブの井戸と呼ばれる所で、ある女性と出会います。
特徴を二つ挙げれば、イエスが言葉だけで、個人伝道したことと、相手が当時ユダヤ人と付き合いのない異邦人であったことです。
何故、彼女のお尻が丸出しなのか、イエスが何を話されたのか、詳しくは全文を読むをご覧ください。
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☆☆幼子を抱くマリア

☆NO25、幼子を抱くマリア。
今回の主題は、ルカの福音書11章27節を基に描きました。
イエスとその母マリアについては、殆どルカの福音書だけが頼りと言っていいでしょう。 それは、何故かと言えばルカが人間を診る医者であったことが一番の理由で、二番目には彼がギリシャ語が堪能でヘレニズムの影響を多く受けていたためだと私は思います。
それ故、彼の書いたものは具体的で絵画的です。彼が居なければ後世の画家にとって、母マリアは遠く霞んだ存在だったでしょう。私も彼の福音書のお蔭で、母マリアについて多くのイメージを持つことが出来ました。
詳しくは全文を読むをご覧ください。

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☆ヘロデの宴(決別の時)☆

☆NO24、ヘロデの宴(決別の時)。
今回の主題は、マタイの福音書14章1節〜12節までを基に描きました。この挿話は一般的にはオスカー、ワイルドの戯曲「サロメ」で有名ですが、聖書にはヘロデヤの娘がサロメとは書いてありません。
題材もともすれば預言者ヨハネの首をヘロデの誕生日の祝宴会場に持ってこさせるという、猟奇的な一面が強調されますが、聖書をよく読むと、これがイエスの宣教そのものを劇的に変わらせた転機にあたる出来事なのです。
副題の「決別の時」はそのような意味でつけました。では、何からの決別で、大きな転機とは何なのか、詳しくは全文を読むをご覧ください。

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