Futaro's Galleryにようこそ!たんぽぽsunのギャラリーから名前を一新して改めてクリスチャン向けのHPとしてスタートしました。お気に入りに追加していだだけたら幸いです。
2026 4月12日 更新

何故コーランはアラビア語しか正典と認めないのか。
毎年のことだが、土手の菜の花が満開になった。誰も種をまかず耕しもしないが、決まった時期になると一斉に花をつける自然の力にはいつもながら感心する。
今日はこれも毎年恒例のヨモギを摘んだ。草餅の材料だが、わたしはこのゆで汁で自家製の整髪剤を作る。
製法はいたって簡単でゆで汁に10%のエチルアルコールを加えるだけだ。
これで一年は保つ。
これを使う理由はヨモギのように髪の毛が生えてくるようにだが、そのお蔭で今のところ禿げる兆候はない。
さて、毎回、イスラエルとパレスチナとの戦争について冒頭で書いてきたが、ここにきて一気に情勢が拡大した。
イランが本格的に加わったからだ。しかし、今回それについて書くのではない。
前から述べているように、その中核となる、イスラム教について、新たに啓示があったので、それを書こうと思う。
というのも、イスラム教はよく言われるように世界三大宗教の一角を占め、信者は世界で約20億人と言われている。
日本ではめったに出会うことはないが、世界人口の4人に一人はイスラム教徒なのだ。
しかし、日本政府は今回の石油危機でも露わになったように、全て中東にたよっているので、そのイスラム教国のイランが日本の三井商船を攻撃しても未だにイランは親日国家だと言っている。
そして、わたしが最も危惧するのは、イスラム教徒の移民を大量に引き受けるという経団連の意向があることだ。
それは現実的でわたしも隣町でスカーフをまいた若い中東風の女性を見かけた。コンビニなどで明らかに目鼻のハッキリとした中東生まれと思われる若い女性も見たことがある。
今問題となっている川口のクルド人はトルコのイスラム教徒である。
では、なぜ彼らが問題なのか。こうした問題提議をすると必ず言われるのが、彼ら全員がハマスやヒズボラといったテロ組織ではない、という言い訳だが、残念ながらこの意見は正しくない。
彼らは全員同じコーランというイスラム教徒の唯一の聖典で学んでいるから、つまり根は同じなのだ。根が同じならやがて同じ花が咲き、同じ実がなるはずだ。
そして、わたしが問題とするのはこのコーランが全てアラビア語でのみ書かれており、それ以外は存在できないということだ。
これがどれほど他の宗教とくらべて特殊なのか?わたしが良く知っているキリスト教の聖典である聖書は原典がギリシャ語だが日本語訳がある。
英語圏には英語の聖書があり、現在ではほぼ世界の全ての言語に対応している。それが常に聖書が世界のベストセラーと言われる理由なのだが、コーランにはこの対応が全くない。
何故ないのか?わたしはその理由を知りたくて、いろいろ本を捜したが結局その答えには行きつかなかった。
しかし、ある日、つい最近だが、ついにその理由が分かった。
その示された理由はすこぶる簡単だった。その必要がない、という簡単なものだ。
つまりコーランは各国のことばに翻訳する必要がない、ということだが、これが、どういうことか、つきつめてみると、そこにイスラム教の求めている本質が現れてくる。
イスラム教はご存じの通り中東で生まれた。それ以前にはギリシャからエジプト、チグリス、ユーフラテス川を越えてインドに至るまで、史上最大のヘレニズム国家があった。
そこの公用語はギリシャ語だった。それで、この地方で生まれたキリスト教聖書はギリシャ語でかかれている。
同様に中東で生まれたイスラム教は教祖マホメットが聞いた神の言葉であるアラビア語で書かれている。
そして、何故彼らはこれ以外の言語を禁じたのか。理由は至極簡単で、イスラム教の最終目的は世界を全てイスラム化して、唯一彼らの神だけを崇める宗教国家にしてしまうことにある。
そのために必要なのが民衆の暴力、政府の軍事力によるイスラム革命であり、それを実現したのが、現イランのホメイニ師によるイスラム革命である。
それ以降、イランはこの宗教国家としての体制を必死に保持し、なおかつその思想を輸出してきた。
パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラやテロ集団のフーシ派がそうだ。
欧米の精神基盤であるキリスト教にはイエスが弟子達に命じた、宣教、とう使命がある。聖書を用いて個人的に教え導くという手法が、その国のことばで語られてきた。
一方、イスラム教はこの宣教という概念がない。一般的に言われているのは、コーランが死か、である。
つまりイスラム教を受け入れるか、殺されるかという二択しかない。そのため、かれらは軍事力に最大のエネルギーを費やしてきた。
ここで、わたしが得た結論だが、コーランがアラビア語しか認めないのは、彼らが最終的に世界の全ての国を軍事力で征服し、その国、文化、言語を破壊し、アラビア語だけの単一言語国家を建てることなのだ。
それが彼らの神の啓示だから、かれらは日々そのための宗教的な訓練を受けている。
かれらが毎日する祈りは全てその日の到来を神に祈っていることの証なのだ。
日本人の大多数はこの事実に気づいていない。
その証拠に、わたしは確認していなが、羽田空港にイスラム教の祈り場があるという。
さらに驚いたのは、昨年の話だが、霊峰富士のお土産屋の庭先に、訪れるイスラム教専用の祈り場を店主がサービスと作ったということだ。
彼らが地べたで祈っているのをみて、気の毒に思ったからだそうだが、これが、日本独特のおもてなし、という善意からきているとしたら、笑えない冗談としか思えない。
大和民族の象徴である霊峰富士に、我々の文化言語を一切認めないイスラム教の祈り場があるのだ、それも日本人の善意の現れとして。
彼らは日々、コーランに従って、神の力で、全てが我らの神の国、民になりますように、と祈っているのだ。
そうなれば、日本には数千年かけて日本民族が築いてきた、奈良京都の仏教建築も仏像も全て、偶像崇拝として焼き払われてしまうだろう。(これは実際に小規模ながら、起こっている。)
日本語も当然禁止され、世界で愛されている日本語の歌も消されてしまうだろう。ことばの消滅とは民族とその文化の消滅である。
大げさと思う人もいるだろうが、実際、キリスト教の布教の中で、小規模ながら、それらは新大陸やアジアで頻繁に行われてきたのだ。
ただキリスト教は、イエスがあらゆる民にその国語で伝えなさい。と命じたので、現在の様々な言語の聖書が存在し、また民族の独立性も保たれている。
しかし、イスラム教にはその包容力はない。そして、彼らが求める一つの国、ひとつの言語、という考え方は、明らかにキリスト教の教えに反する。
旧約聖書に有名なバベルの塔という話がある。ブリューゲルの有名な絵があるにで、ご存じの方も多いだろう。
中世のヨーロッパでは最も人気の高かった画題だそうで、かなりの数が描かれた。
話の内容は、ノアの三兄弟が各地に散らばった後、人々はこれ以上、ひと人が散らばらないように、町を建て、大きな塔をたてそこに集まろう。
そして、天まで届こうとおもった。工事が進むと神は降りてきて町と塔をご覧になった。
そして言った。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。そこで、彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
こうして神は人々を、そこから地の全面に散らされた。これが旧約聖書に書かれた神の計画である。
それに逆らって、ことばと民をひとつにしようとしているのが、イスラム教である。
主を唯一の神として、イスラム教徒と戦った十字軍の理由もこれで理解できる。
当時も今もヨーロッパは多くの民、言語の集まりである、それをひとつしか認めないイスラム教徒と共存できるはずがない。
今、イスラエルとアメリカが行っている戦争は、正にイスラム革命を推進するイランを弱体化させる戦いであるにもかかわらず、キリスト教国の多いヨーロッパが彼らを非難しているということだ。
確かに石油のメインルートを掌握しているイランの影響力は強いが、それは一時のことだ。
これを許したら、次のターゲットは間違いなくキリスト教であり、仏教でありヒンズー教であるのは目に見えている。
現にイスラム国によるバーミヤンの仏像破壊や、パキスタンのイスラム教徒によるヒンズー教徒への迫害などが起きている。
日本でも、イスラム教徒による土葬問題が深刻化している。彼らは最初こそ紳士的だが、数が増えると途端に威圧的になってくるのだ。特に宗教的な問題については全く譲歩しないという。
私が危惧しているのは、立憲民主党や共産党、社民党や左翼野党が、多文化共存とか、わけのわからないことを言って、安い労働力のイスラム移民を積極的に推薦していることだ。
現在国内にイスラム教徒は約30万人居ると言う。彼らは宣教活動をしないが、様々な方法で各国に散らばろうとしている。
そこを拠点にして世界のイスラム教化するためだ。イスラム移民を大量に受け入れて失敗したのが、ドイツとスエーデンだ。
特にドイツがひどい。ベルリンでオペラを見て夜10時以降は女性がひとりでは街中をあるけないそうだ。
車がなければ、オペラを見ることもできない。治安は確実に悪くなったという。日本でもクルド人の若者に女子中学生がレイプされた。
実刑判決が出ると、若者の母親が、殺したわけでもないのに、刑が重すぎると、大声で抗議した。
彼らイスラム教徒から見れば、異教徒の女は殺さなければ罪にならないと考えているのだろうか。
日本人には理解しがたい倫理観だ。今は30万人だが、300万人になったら、もはやこの国は、かつての日本ではなくなるだろう。
神社仏閣の破壊は日常になり、女性は夜の独り歩きは出来なくなる。そんな日本に、経団連や左翼政治家はしようとしている。
わたしは今回の選挙で生まれて初めて個人も比例も自民党を入れた。
年取ると人は保守的になるというが、やはり、今まで日本が築いてきたものを守れるのは保守しかいないということに、ようやく気付いたようだ。
さて、前置きが長くなったが、今回も聖書画は前回に続いてイスカリオテのユダについて、考察しました。
詳しくはGallery油彩と聖書画をご覧ください。
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