☆NO58。ラザロの死 (彼は蘇る)
「ラザロの死」は聖書の非常に有名な物語です。今、世界中のコロナウイルスの大流行は、私たちに日常生活の中で死について考える機会を与えてくれました。
だから、私はこの絵にそれを加えました。まず聖書の場面に現代人がいる理由はこうです。イエスは言いました,「あなたが地上で結ぶものは何でも天国で結ばれるでしょう。」
これの意味は地上が信仰によって天とつながっているということです。使徒行伝は第28章で終わりました。しかし、私はそれがまだ天国で書かれていると思います。
そして神は私たちに慈悲を与えてくれます。ヨハネの福音書第11章35節はイエスが涙を流したと述べています。本来「ラザロの死」は神の栄光のための計画であり、神の子はそれを通して栄光を受けます。
しかし、彼は泣いて、霊の憤りを感じ動揺しました。私はこの理由を自分なりに考えてみました。この絵の舞台となるベタニヤはエルサレムの近くでラザロは4日前に病気で亡くなりました。
その時イエスはそこにいませんでした。ですから姉のマルタはイエスに言いました。「もしあなたがここにいたら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」
イエスは彼女に言いました。「あなたの兄弟は蘇ります。」彼はそれまで予定通りにこの計画を実行しました。そして、妹のマリヤがイエスのいるところに来て、イエスを見たとき彼女も姉と同じことを言いました。
イエスは彼女が泣いているのを見て、兄弟の死が姉妹にどれほど大きな悲しみを与えたか知ったはずです。さらに一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、霊の憤りを覚え心の動揺を感じました。
なぜなら、彼らは彼女に泣くために雇われたからです。二人の姉妹は確かに金持ちでした。そして、他の村人は二人の姉妹について不平を言いました。
「なぜ主は兄弟から命を奪われたのでしょうか。二人の姉妹のうちの一人が代わりに亡くなった方がむしろ良かったのではないですか?」その理由は、二人の姉妹が罪人だと思ったのです。
イエスは彼らのつぶやきを聞いて、またも心のうちに憤りを感じて言いました。 「私は男と女を等しく作りました。さらに、私以外の誰も罪を贖うことは出来ません。」
しかし、彼らはその意味を理解できませんでした。今、イエスは墓に来ました。それは洞窟で、石がそれに立てかけてありました。イエスは「その石を取り除けなさい。」と言いました。
そこで、村人たち石を取り除こうとしましたが、できませんでした。すると、すぐに大男が来て素早くそれを動かしました。
イエスは天に向かい言いました。「父よ。私の願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」そして、イエスは大声で叫びました。「ラザロよ。出て来なさい。」
すると死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出てきました。彼の顔は布切れで巻かれていました。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
そして、イエスは、誰も動かすことができなかった石を取り除いた大男に言いました。
「私はあなたの働きを知っている。あなたはエルサレムに自分の旗を掲げた。あなたがそれを行うまで私はそれを見たことがない。だから、見なさい、私は誰も閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。
なぜなら、あなたは少しばかりの力があって、私の言葉を守り、私の名を否まなかったからである。今、あなたの冠を誰にも奪われないように、あなたの持っているものを保っていなさい。」
この絵は、現代の人々とイエスのつながりを表しています。この大男は世界中で非常に有名です。彼が自分の王冠を守れるかどうかは、彼の信仰に掛かっています。神はすべてご存じです。 アーメン。
2020年7月 キャンバス 983ミリ×1240ミリ
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