No 82 ルカとマリヤ (この人を見よ。)☆
五旬節の日に聖霊が弟子たちの上に下って彼らが主のしもべとなってから、新たに彼らの仲間になった者の中にルカがいた。
彼はエルサレム在住のヨハネ.マルコ同様、ギリシャ語が話せて、熱心にイエスの教えを学んでいた。
それで、急速にふえ続ける信者たちのために、新たにイエスの教えを証する書物を書く役目が彼に与えられた。
というのも、彼はローマにいるキリストの教えを学ぼうとしているテオピオに、イエスについての報告書を書く必要があったからだった。
それで、ある日、彼はエルサレムに居るマリヤの元を訪れて、イエスのことについて尋ねた。
マリヤは彼に先ずナザレで彼女に起こった不思議な出来事を話した。それは、ある朝、彼女は不思議な音で目が覚めて、外に出てみると、無数のハープの音が空から聞こえてくる音だった。
後になって、母がそれはガリラヤ湖の波の音だと教えてくれた。
彼女はその時、ダビデ王がガリラヤ湖の荒波に向かって、神を賛美している姿を思い浮かべて、自分の身から、彼のようなイスラエルを救う王が生まれ出ることを祈ったことを話した。
そして、その後、望み通り、ダビデの家系であるヨセフと、婚約出来たことを話した。
しかし、驚いたことに、神は御使いを使って自分を選び、ヨセフの子ではなく、聖霊を遣わして神の子を直接彼女に授けてくれたのだと率直に話した。
そして、その後すぐ、ユダの地に住む祭司の妻であるエリザベスの所へ行って、我が身に起こったことがユダヤ社会でどう受け入れられるのかを相談しに行くと、彼女は直ぐに祝福してくれたことを話した。
しかし、ルカはマリヤに言った。
「マリヤさん、その件については、それを聞いた人々が、誤解しないように簡潔に書かなければなりません。つまり、これからイエスの教えを伝えようとする人々に分かりやすく話す必要があるのです。
彼らの多くはギリシャ人ですから、彼らの神がどのような神であるのかを知っています。
つまり、ゼウスが人間の女と交わって子が生まれたことを知っています。
それを彼らに理解させることはたやすいことです。しかし、これが私の言わんとすることですが、ゼウスの子を生んだ女性は、一人としてそれを自分から望んだわけではないのです。
全ては神であるゼウスが決めたことです。人間の側からそれを望んだことは一度もないのです。それが、彼らの認める神の権威であり、人と神を区別する唯一の方法なのです。
もちろん、我々の神はゼウスではありません。哀れみ深い、慈しみの神です。
しかし、これは、パウロとも話したのですが、イエスの誕生については、ナザレの乙女マリヤから生まれた、ということだけに留めておこうと決めました。
パウロが言うには、これは神がアダムとエバとの間に交わした契約、夫が妻を支配するという人類と神との最初の契約の成就であり、今のユダヤの社会に叶ったものであり、あなたが、神に従順な、女性の模範として、世世限りなくほめたたえられるためである、と言うのです。
重ねて言いますが、あなたの意見をないがしろにするのではなく、人々の誤解を防ぐためです。
それで、これは相談ですが、あなたがダビデ王と交わした言葉を別文として、あなたがイエスを身籠った後、ザカリヤの妻、エリザベスに会った時、彼女の祝福の言葉の返礼として、あなたが言ったことにしてもらいたいのです。
これを読む人にはいささか唐突に聞こえますが、話の筋がどうであれ、これは結婚前の女性が神の子を授かるという奇跡ですから、問題ありません。
これを読めば、人々はいかに我々にイエスを遣わした神が、慈しみ深い神であるか分かるはずです。また、あなたがイエスの母として、世世に渡って祝福された女性であると思うでしょう。
それと、これは私からのたってのお願いですが、急激に増える信徒たちへの信仰の手助けとなる証を書き写す書き手が足りません。
中には名前が書けるだけで、書記としての役を任される者もいるほどで、なるべく簡単にというのが、実情なのです。紙代もかさむので、多くの証言の中で何を選べばいいのかむずかしいところですが、あなたの神への祈りは是非とも、証言に載せて後世に残したいのです。
しかし、証の言葉は移ろいやすい時代の中で確実に私たちの信仰を保障してくれますが、最初の書き手から次の書き手に写される間に、あるものは消え、あるものは書き足され、いつしか、時代の中に消え去ってしまうのではないかと心配でなりません。
私たちは皆、モーセやエリヤのような預言者ではありませんから、書き写す者たちも、私たちの書いたものにそれほどの注意を払わないのです。」
するとマリヤは微笑みながら言った。
「あなたの苦労は分かります。でも心配には及びません。ヨセフとの最初の子ヤコブが生まれた時、まだ幼いイエスと家の近くの川に行き、二人きりだったので裸で水浴びしたことがあります。
その時、イエスにダビデがゴリアテを投石器で倒した時の話をしたのです。
河原に丁度、滑らかな石がいくつもあったので、これをダビデは用いて、ゴリアテを倒したのだから、あなたもこうして、角の取れた滑らかな石を用いなさい、と話しました。
その石は今、ペテロとなって立派に役立っています。だから、あなたの書いたものも、いつしか、角が取れて丸くなっても、芯のあるものは人々の信仰の手助けとして残るでしょう。
私は女ですから、人々の上に立つことはできません。あなたとパウロが言うように。妻が夫に従えというなら、そうしましょう。
しかし、私にはもう夫がいません。それで、私が従うのは天にいます神だけです。私に続く女たちも皆そうするでしょう。
それに、イエスは わたしに、復活の時には、人はめとることも、嫁ぐこともなく、天の御使いのようになる、と言いました。
ですから、女と言われるのもこの世だけです。私は皆から、イエスの母と呼ばれていますが、天の御国ではそう呼ばれません。女として悲しいことですが、しかたありませんね。
それで、私は最近、イエスが私を母と呼んでくれた時のことをよく思い出します。かつてフェニキアの海辺で幼いイエスが子犬にパンを与えるのを私が止めたことがあります。
イエスがどうしても子犬にパンをあげると言い張るので、私は母親の威厳をもって、「お母さんがそう言うのです」と彼を叱りました。
彼は直にしたがいましたが、今思うとおかしいですね。幼いとはいえ、私は神となった人を叱ったのです。
それで、彼はそれをひどく残念に思い、その子犬に再びそこへ行って君を助けると約束していました。
そして、ある日、わたしにその約束を果たしたと言いました。イエスが助けたのは子犬ではなく、異邦人の女でした。」
そう言って、マリヤはそこに居た子犬にパンを与えた。そして、続けて言った。
「私には幸い、イエスが若いヨハネを手元に残してくれましたから、彼にイエスの言葉を伝えながら少しは皆の役に立ちたいと思います。」
それから、マリヤはルカにイエスについて、いくつかの話をしたが、夫ヨセフが先祖ダビデの重荷を負ってナザレに来たこと、二人で逃げるようにしてナザレを去ったこと、ベツレヘムでどのように迎えられたこと、さらに、幼いイエスと共にツロに御使いと三人で旅したことなどは話さなかった。
そういうことは、自分を受け入れてくれる人が現れるまで、自分の胸にしまっておいたほうがいいと彼女は思ったからである。
それ故、聖霊にそう告げられた人以外、今日に至るまで、それらの話を知っている人はいない。
一方、ひとしきりイエスについてマリヤから話を聞いた後、ルカはこう心の中で言った。
「キリストを生んだこの人はなんとすばらしいのだろう。救い主の母を選んだ神の目に間違いがないことは、この人を見ればよく分かる。
これを言葉で伝えるには、どうしたらよいだろう。この人のすばらしさを伝えるのが良いことだろうか?マリヤという金の盆に乗ったイエスを描けば、人々はイエスを見ないで、マリヤを見るに違いない。
イスカリオテのユダがそうだったように、異邦人にとってマリヤはあまりにも魅力的だ。もし私に異教徒のように、彼女を形作る技があったら、そうしているだろう。
だがそれでは、ユダがそうなったように、彼女のゆえに、主の道から外れる者を多く生み出すことになってしまう。
それで、私が今見ているマリヤは、私の心の内だけに留めておこう。文字にして残すことは、この先、多くのユダを生み出してしまうから。」
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