☆NO46、嫉妬。(シモンの家)
この絵は、イエスが十字架につけられた直接の原因を表しています。
最初にこの絵のタイトルが嫉妬である理由を説明します。始まりはマリヤとマルタの物語です。
マリヤはマルタに嫉妬していました。なぜなら、彼らはイエスを愛するライバル同士だったからです。
まず、イエスがこの姉妹の家を訪れると、マルタは夕食の準備に忙しくしています。しかしマリヤはイエスの足元に座って、彼が話すのを聞きます。
だから、マルタはイエスに文句を言います。しかし彼は「マリヤは賢い選択をしたのです。」とマルタに言います。だから、最初はマリヤが勝ちました。
次に、マリヤの弟ラザロが死んだとき、マルタはイエスに「私は、なたが神の子キリストであり世に来るべき救い主は、あなただと信じています。」と言いました。
一方マリヤは泣くだけでした。だから、第二幕はマリヤの負けです。
そして、彼女はマルタにもっと嫉妬していました。そして、次は必ず決着をつけなくてはならないと決めチャンスを待ちました。
彼女はイエスがパリサイ人の家の食卓に座っていることを知った時、彼女は香油の入った石膏の壺を持って行き、イエスの前で黙ってすべての服を脱ぐと涙で彼の足を洗い、
彼女の頭の毛でそれらを拭きました。そして、彼女は彼の足にキスをし、彼女の結婚のために用意した香油をそこへ注ぎました。
したがって、この儀式は彼女の心の中でのイエスとの結婚式でした。だから彼女はエルサレムで、すぐにイエスに何が起こるか知っていました。
しかし、イスカリオテのユダが彼女の行動を見たとき、彼は動揺し激しく怒りました。彼は言いました。「なぜこの香油を300デナリで売って、それを貧しい人々に与えないのか?」
彼はその苦情の背後に彼の真実の心を隠しました。なぜなら、彼はイエスを愛していたからです。しかし、彼は彼女に負けていて、それでイエスにすべてを与えた彼女に嫉妬していました。
イスカリオテのユダは、イエスに対して悪名高い裏切りを象徴しています。彼は自由な政策に精通した、真面目で素晴らしい理論家でした。しかし、イエスは愛の真理から教えられました。
一方ユダはお金の力を通じて経験する現実の生活が、彼の基本でした。彼らの政治的概念の違いと、ユダのイエスへの強い愛の衝突は彼の裏切りにつながります。
真中にいる老人はパリサイ人であるシモンで、彼はイエスを食卓へ招待しました。彼は預言者としてのイエスを尊敬していました。しかし、彼もまたパリサイ人です。
そしてイエスがエルサレムに来たとき、パリサイ人はお互い言いました。「あなた方は何もわかっていない。ほら見なさい。世は彼の後を追って行ってしまいました。」
彼もイエスに嫉妬しました。イエスはパリサイ人よりも人気があったからです。パリサイ人は欲望を隠しながら彼らの本質を隠して偉そうに装うことができました。
イエスは彼らの心の誇りを打ち砕きました。そこで、彼らはイエスに死刑を宣告して、嫉妬によってピラトに受け渡しました。
ところで、私はイエス自身についても語らなければなりません。聖書は彼について何と言うだろう。
出エジプト第34章14節は、「あなたはほかの神を拝んではならない。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」
だから、彼は旧約時代では嫉妬深い男でした。しかしヨハネによる福音はこう言います。「神はその独り子を与えたほどに世を愛された。」
私は結果としてこの福音を伝えます。 マルコ14章6節と9節にこう書かれています。
「なぜこの人を困らせるのですか。私のために、立派なことをしてくれたのです。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のしたことも語られて記念となります。」
イエスは嫉妬の裏に愛があることを知っていました。
ここまでの、主の導きに感謝します。アーメン。
(1243ミリ×985ミリ、キャンバス)2018年11月
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