聖家族☆
ある日、次のような主の言葉がベツレヘムに居るマリヤにあった。
「マリヤ、あなたは何を見ているのか?」マリヤはひれ伏して主に答えた。「アメンドウの花を見ています。」
すると主はマリヤに仰せられた。「よく見ているね。わたしの言葉が現実になったので、強い絆で結ばれたわたしを見張っていたのかね?
確かにわたしはあなたを通して救い主をこの世に送り届けた。しかし、代わりに、あなたから婚約時代の楽しみを奪ってしまった。
女の喜ぶ首飾りや、指輪や美しい飾り物を、あなたはイエスを身ごもったためにいいなづけのヨセフから受けられなかった。
しかも、ナザレからの長旅によく耐えた。そして、今でも見知らぬ国で寄留者の暮らしによく耐えている。
だから、わたしはアメンドウの花のような美しさを、あなたに長く留めよう。それは再び婚約時代の喜びをあなたに与えるためだ。しかし、それに躓いてはいけない。」
それから、次のような言葉が主からヨセフにあった。「ヨセフ、何を見ているのか?」
ヨセフは驚いて、ひれ伏して主の言葉に答えた。「主よ、オリーブの若木を見ています。」
主は答えて、こう仰せられた。「その若木をエルサレムの園に植えよ。それはマリヤの勇気をイエスに示し、成長したイエスにエルサレムで安らぎの場所を与えるためだ。ただし、あなたはそれを見ることは出来ない。」
それで、ヨセフはマリヤとイエスを連れて園に行き、管理人の許可を得て、その若木を植えた。
その若木は30年後立派に成長し、エルサレムでのイエスの祈りの場所となった。
又、イエスが生まれた日の夕方、ベツレヘムの谷で二人はこう私に話してくれた。
ヨセフは顔をしかめてこう言った。「エルサレムで神殿造りをしていた時、急な仕事だと言って丸太の皮むきを何日もやらされた。
それから四角く面取りした杭を何本も作らされた。最初は何に使うのか分からなかったけれど、ローマ兵の会話を聞いているうちに分かった。
それは、囚人を十字架に吊るすときの横木だった。100本ちかく作ったかな。同胞がこの木に吊るされて何日も苦しむと思うといたたまれない気持ちだった。
ローマ人が居る限り、十字架は必要だろう。しかし、そのために大工をしているわけじゃない。
それに、神殿の仕事ももうじき終わる。ここには木を削る大工の仕事は無いのだ。今ではマリヤの故郷ガリラヤが懐かしいよ。」
それから話題は宮詣に献上する生贄をどうするかに移った。
ヨセフは言った。「僕らもモーセの律法による清めの期間が過ぎた日に、あの神殿に行ってこの子を聖別し、そのために神に生贄を捧げなくてはならない。神殿の中庭から立ち上る燔祭の煙は吐き気がする。
それに犠牲になる羊たちの悲鳴、血の匂い、臓物の匂い。今朝、羊飼い達が連れてきた羊たちも、やがて神殿で捧げられる哀れな羊たちだよ。何故、憐み深い神がそんな無駄な血を流させるのか不思議だよ。」
イエスを抱いたマリヤがそれに同調するように言った。
「それを聞いて私も考えたわ。神は憐みを好むが生贄は好まない筈よ。犠牲の子羊はどうしても必要なのかしら。」
ヨセフが自らに言い聞かせるようにして答えた。「僕ら貧乏人には、山鳩一つがい、または、家鳩の雛二羽、とあるので、そうしよう。」
マリヤも納得したように答えた。「そうね。この子を祝福しにきた羊たちが殺されるところなんて見たくもないわ。」
この絵は、聖霊からの物語を基に、ベツレヘムでのヨセフ一家の一コマを描いています。
2024年12月 キャンバス 910ミリ×1167ミリ
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