No 83 マリヤの教え☆
この絵は聖霊からのわたしの話に基づいています。
さて、ペンテコステの日に聖霊が弟子たちに降り、銘々が聖霊によって不思議なわざを行い、力強く御言葉を語ったので、多くのユダヤ人や異邦人が悔い改めて救われた。
その中心となったのは、ペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだった。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、神を賛美し、全ての民に好意を持たれた。
そんなある日、マリヤは自分を引き取ったヨハネにこう話した。
「エルサレムに住んで、わかったことがひとつあります。それは、我々ユダヤ人にもギリシャ語を話す人たちが大勢いるということです。
ガリラヤに居た頃、ギリシャ語を話すのは異邦人だけだと思っていました。しかし、ここではモーセの教えもギリシャ語で書かれています。
そしてユダヤ人もそこから学んでいます。あなたはかつて十二使徒の一人だったユダを嫌って、彼の話すギリシャ語も嫌いました。
しかし、そのギリシャ語こそ、今は異邦人と他国に住むユダヤ人にイエスの言葉を伝える言葉です。
あのペンテコステの日に聖霊を受けた者たちが、酔ったように夢中で異邦人たちの言葉を語るのを私たちは見ました。
しかし、聖霊によって話すことができても、書けなければ後の人々にその御言葉を伝えることは出来ません。
御霊の働きも、その時生きている人に現れても、それを書き残さなければ、それに続く人々を導くことは出来ません。
あなた方はガリラヤ湖で魚を捕る網を繕っている時にイエスに出会ったのですね。カペナウムであなた方に会った時のことをよく覚えています。
イエスがあなた方に、人を捕る漁師にしてあげよう、と言ったので、野心に満ちたあなた方は彼に従ったのでしょう。
でもバプテスマのヨハネから、まだ何もしていないイエスに従った理由は何ですか?バプテスマのヨハネの食べているイナゴと野蜜より、わたしの作ったスープのほうがおいしかったわけではないでしょう。」
二人は正直に答えた。「それもありますが、先生の言葉です。先生の言葉には力がありました。」
するとマリヤは目を伏せて遠い昔を思い返すようにしてつぶやいた。
「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神でした。神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、肉体の命の根源さえも刺し通し、心のいろいろな考えや、はかりごとを判別することができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけだされています。
主よ、あなたはわたしの命の扉をたたき、命のことば、わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる、と言って、わたしの宮を訪れてくれました。
われらの主イエスを地上に遣わしてくれたことに感謝します。」それから、マリヤは目を開けて、強い口調で二人に言った。
「終わりの時に、主は再び地上に来られます。そして、わたしたちは皆、生き返って神に対して弁明をするのです。その時、イエスが弁護してくださらなければ、誰一人救われる者はありません。
ですから、あなた方がイエスの教えをもって人々を救おうとするなら、まずその道具である言葉の網を紡ぎ繕うことが出来るようになりなさい。
その言葉は今の世ではギリシャ語です。アレキサンダー大王が世界に広めた言葉です。神は彼を用いて主の道を整えたのです。
そのわざを持ってイエスに召されたユダは死んでしまいましたが、幸い、ルカとマルコがエルサレムに住んでいます。
ペテロもすでにマルコから学んでいますが、彼の年では無理でしょう。だから、マルコは彼の通訳を買って出ました。でもあなた方は若いので出来ます。」
それを聞いていたヨハネが顔をしかめた。彼は勉強が嫌いだったからだ。するとマリヤが微笑みを浮かべて言った。
「ヨハネ。苦菜を食べたような顔をしていますね。ルカは、あなたとペテロを無学な普通の人と言って、その彼らでもイエスの教えは理解できると言っています。
それはあなた方と同じ無学な者たちの励みの言葉となりますが、まだ若いあなたはそうであってはなりません。あなたがイエスを通して、世に誇れるものは何ですか?
知恵ですか? イエスから雷の子と言われたように、地を焼き尽くす天からの火ですか?エルサレムの黄金の門からロバに乗ったイエスと共に皆で入城したことですか?足萎えを癒す奇跡ですか?」
ヨハネは答えた。「愛です。わたしを誰よりも愛してくれた先生の愛です。」マリヤは答えて言った。
「ならば、主イエスに最も愛された弟子ヨハネとギリシャ語で書きなさい。これ以上に甘い言葉はありません。それ以外のことは聖霊があなたに教えてくれるでしょう。
これから、わたしたちには艱難があります。差し当たっての敵はローマですが、彼らはやがて主の軍門に降ります。しかし、それからかなり経って、南から一人の偽預言者が現れ主に敵対します。
エルサレムも彼らに踏みにじられるでしょう。この戦いで多くの人々が死にます。その後、海辺の砂のように増えたかれらの子孫が、地に住む人々の三分の一を殺すためにユーフラテス川のほとりに集まります。
そこに彼らの聖地があるからです。そこから出た彼らは剣で偶像を拝む人々の首をはねて殺します。彼らの神が彼らにそうしろと命令するからです。
彼らは彼らの神にしか従わない従順の僕です。そして、かれらはキリストに従う者も殺します。しかし私たちは生き延びて、主と再び会える日を迎えます。
主は口から出る言葉で彼らを滅ぼします。」それから、マリヤはヨハネの隣に座っている兄弟ヤコブに言った。
「あなたが今研いでいる剣は、何のために使うのですか。異教徒を殺すためですか?それとも、自分の命を守るためですか?」
ヤコブは答えた。「たぶん両方です。先生はゲツセマネの園で、着物を売って剣を買いなさいとおっしゃいました。ペテロが、ここに二振りあります、と言うと、先生は、それで十分。
そして、わたしがこの地に来たのは、平和をもたらすためではなく剣をもたらすためです、とおっしゃいました。ペテロが用心のため、いつでも使えるように、と言うのでその一つを私が預かってこうして毎日研いでいるのです。」
マリヤはそれに答えて言った。「剣を持つことで現れる勇敢さはあなたの強みです。あなたの名前は、いずれ来る艱難の時、異教徒たちと戦う私たちの子孫をおおいに勇気づけてくれるでしょう。
しかし、剣は目に見える敵しか倒すことができません。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければなりません。ここに、聖徒の忍耐と信仰があります。
何故なら、わたしたちは皆、生き返って主と共に戦うからです。かつての十二部族が皆イエスを主と仰ぐのです。そういう時が必ず来ます。」
しかし、滅びゆくことを知ったサタンは最後まで抵抗して、わたしたちを全員殺そうとします。その時、世界は今よりずっと大きくなっています。
主の光と共に新しい世界が広がります。それで、主の光とわたしの名によって勇気づけられた人々によって、新しい大地からいくつもの国が立ち上がり、その中のひとつは主の御名によって大いなる国と言われます。
わたしが主から聞いて、あなたたちに話せるのはここまでです。」そしてヨハネに言った。
「あなたは艱難を生き延びてこの世で主と会って、さらに詳しく世の終わりについて聞くことができます。その時、主の言葉を書き留めるのはギリシャ語です。
主がそう言っているので、あなたはこれを学ばなければなりません。主に愛されたからと言って、主を軽んじてはなりません。かえって主を恐れなさい。
モーセもダビデも主を恐れました。何故なら、彼らは全能者である主の力を知っていたのです。それで、ダビデは主に恐れおののきながら、十弦の琴をもって主を賛美しました。
聖書にもあるように、主を恐れることは知識の初めです。そして、これは主イエスの命令です。何故なら、知識は言葉であり、言葉は神であり、神を恐れる者だけが、知識の恵みを受けることができるからです。」アーメン
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