マルコ福音書によると、イエスは、終わりの時にこれらのことがいつ起こるのかと尋ねる弟子たちに答えて、「しかし、その日、その時のことは、天にいる天使たちにも、子にも、だれも知らない。」と言われた。
それは不思議なことではありません。なぜなら、十字架の前の人であるイエスは、文字どおり人の子であり、また、アダムの代わりに十字架で身代わりとなるべき人として、私たちを罪から贖う方が来られたのですから。
しかし、十字架の後、イエスは天に昇り、父から権威を与えられ、全能の主なる神として再び来られるのです。
ですから、権威を持って来られるのに、その日、その時を知らないということはあり得ません。
また、全能とは、その日、その時を知らない自分を作ることができるという意味です。
ですから、別の言い方をすれば、それは神の知恵なのです。
なぜなら、もしそれを知っておられるなら、嘘を言うことはできず、救い主を期待している人々にそれを告げなければならないからです。
そしてそれは、彼らにとって、いっそうの失望となるでしょう。なぜなら、そこから二千年以上後に起こることだからです。
そこで、主は彼らに譬えを話されました。「いちじくの木やすべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。」
私たちは、主が言われるイチジクの木がイスラエルであることを知っています。そして、エゼキエルが言ったように、彼女は再建され、すでに芽吹いていることも知っています。
ですから、黙示録を書いたヨハネの言葉通り、私たちはその日がいつ来るかを知るための大胆さを持っているのです。ですから、私たちは、終末の時の黙示録の謎を解く勇気を持とうではありませんか。
なぜなら、マタイは私たちに「読む者は誰でも、理解せよ」と言い、ヨハネも黙示録の中でこう語っています。
「この預言の言葉を朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」アーメン
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