☆渇く者は来なさい☆

    ☆NO91  渇く者は来なさい
    この絵はマタイによる福音書第二章と、へブル人への手紙第一章と二章、黙示録22章17節と、聖霊の助けにより描きました。
    まずマタイによる福音書第二章にこう書かれています。
    イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった時、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
    ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。
    それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
    そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
    彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
    ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。」
    そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
    そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。
    「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
    彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
    その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見て、ひれ伏して拝んだ。
    そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
    それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
    彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。
    「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を探し出して殺そうとしています。」
    それで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。
    これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。
    その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常に怒って、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を一人残らず殺させた。
    その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
    以上がマタイの福音書に書かれたイエス誕生のいきさつです。
    このヘロデについて少し説明すると、彼は死海の西側地域出身のイドマヤ人であり、ローマ帝国との繋がりは紀元前63年に皇帝ポンペイウスに取り入ったアンティパテルと言う名の高官に始まる。
    彼は抜け目なくその権力を二人の息子に振り分けた。紀元前43年にアンティパテルが殺されると二人の息子、ファエサルとヘロデはそのまま当時のパレスチナ地方の宮廷の高官の座に就いた。
    しかし、ファエサルは間もなくパルテヤ人の襲撃で殺されたので、ヘロデはローマに逃亡し、アウグストに取り入ってパレスチナ復興の委任状を獲得した。
    それは紀元前39年から36年の間の出来事である。彼はこの地とローマを繋ぐ役割を熱心に果たした。
    カイザリヤに港と基地を造り、サマリヤにアウグストのための神殿を建設した。
    勿論、自分の領土であるユダヤのエルサレムにユダヤ人ための神殿築いて神殿貴族のサドカイ派とも上手くやっていった。
    ただその危険な綱渡りの代償として、彼が払ったものは余りにも大きかった。
    身内の者であれ息子であれ、誰彼となく自分の王位を脅かす者は容赦なく殺したのである。
    この彼の異常な性格を知る歴史学者は皆、マタイが伝える幼児殺しを歴史的事実と符号すると見る。
    わたしはこのヘロデの末裔が、現在のパレスチナ人ではないかと推察する。
    以下その共通点を挙げると、1948年国連決議によって、それまでイギリスの統治下だったパレスチナに、ユダヤ人国家イスラエルが一夜にして誕生した。
    するとそこに住んでいたパレスチナ人が、自分達の主権が脅かされると恐れ、周辺のイスラム国と共に、イスラエルに襲い掛かった。
    この行為は彼らがヘロデの末裔で、その出身がユダの地、イドマヤ人であるとすれば当然のことだ。ここは彼らの故郷なのだから。
    さらに、ヘロデの残虐性は、2023年10月7日に、ガザ周辺で起きたテロが如何に惨いものであったかを知れば、その血を受け継ぐ者の行為として納得出来る。
    彼は本来守るべき筈の妻や子も殺し、ローマの皇帝をして、「ヘロデの息子に生まれるよりか、豚に生まれた方が安全ある」と言わしめたほどローマにも、その残虐性が知れ渡っていた。
    豚が比喩に出てきたのは、この地方ではユダヤ教の戒律により豚を食べないからである。最後には精神も病んでいたヘロデは、この後、長くは生きなかった。
    彼が死ぬと、遺言により、領土は彼の生き残った無能な三人の息子に相続された。
    その一人、父の名を受け継いだヘロデ、アンテパスは、ガリラヤ地方の領主となった。バプテスマのヨハネの首を切ってサロメに贈ったのは彼である。
    イエスは、彼を狐と呼んだ。おそらく父譲りの狡猾さを見ていたのだろう。
    裁判の時、ピラトにたいしては、ご自身を明かしたのに、ヘロデには一言も話さなかったとあるのも、やがて彼の末裔達が、ご自身の民であるイスラエルを襲撃することを見抜いていたからだとわたしは思う。
    彼は狐の如く狡猾ではあったが、皇帝カリグラへの対応を誤った。王の称号を彼に求めたが逆に罷免され、妻ヘロデヤと共に追放された。
    しかし、ヘロデ一族はまだこの地方で勢力を保っていた。使徒行伝12章に登場するヘロデは、初代ヘロデ王の孫にあたるヘロデ、アグリッパ1世である。
    神はこの油注がれた者に対する憐みを忘れず、彼に王としての風格と威厳を与えたのに、彼は神にその栄光を帰さなかったので、神は彼を打った。
    彼は虫に噛まれて死んだ。英語版では、イモ虫と書かれているが、ガリラヤにそんな毒虫は居ないので、わたしはガリラヤの代表的な害虫である蚊を描いた。
    神は蛇の知恵も獅子の獰猛さも用いず、叩けば殺せる蚊の一刺しで彼を殺したのである。
    この後、使徒行伝には、彼の息子であるヘロデ、アグリッパ2世が25、26章に登場する。
    彼は短時間だが、ローマに護送中だったパウロの弁明を聞く機会を与えられており、その際、パウロから、「アグリッパ王、あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」
    と問いかけられ、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と返答している。
    もし彼がここで聖霊に打たれ、キリスト者に回心していたら、今のパレスチナ問題は起きなかったかもしれない。
    彼はその後シリア州総督のフェストに「あの人(パウロ)は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」と言った。
    これ以降、ヘロデ一族はどうなったのか。イドマヤの北はアラビアなので、いつしか彼らと溶け合い、2000年後、イスラエルの復興と共に、立ち上がったとしても不思議ではない。
    ただ、神の目から見て、彼らが不幸なのは、ユダ王国滅亡の際、ローマ帝国が名付けたパレスチナという名を引き継いだことだ。
    神はアブラハムにこう仰せられた。わたしはあなたが滞在している地、すなわちカナン全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。
    わたしは、彼らの神となる。」(創世記17章8節)この後、神は同様に割礼を契約の印として行うように命じた。
    すなわち、この地を受け継ぐ権利を主張するには、割礼を受け、アブラハムの神を受け入れ、少なくともカナン人であると名乘らなければならいない。
    彼らが受けたのは、割礼だけだ。それで、彼らの未来は聖書の巻末に記された他の多くの民族とともに、歴史から消え去るだろう。
    では、イエスに贈り物を携えてきた東方の博士たちは何処の人たちだったのだろう。
    おそらく東方の博士というので、文化水準の高い国であるとすれば、該当する国はペルシャ(現イラン)だろう。
    彼らの贈り物は、本来の目的からすれば奇妙だ。黄金はともかく、乳香は香料、没薬はイエスの埋葬の時にアロエと共に用いられているので、誕生祝としては不適切である。
    博士たちの来訪も、お祝いというより、周辺諸国の動向を探りに来たペルシャのスパイという趣がある。
    2章10節に、その星を見て彼らはこの上もなく喜んだ。とあるので、これは自分達の占星術の正確さを確信した喜びであり、彼らの天文学が他国より、すぐれていた証拠と見ることが出来る。
    そして、その結果を見れば、彼らの来訪の目的はメシア殺害計画であり、現代のイランのイスラエル殲滅政策と一致する。
    つまり、この出来事は約2000年後のイスラエル誕生と、その直後からの周辺イスラム国によるイスラエル殲滅計画を預言したものと言えます。
    しかし、これら異邦人による計画はいずれも頓挫します。ダビデは詩篇33編でこう歌っている。主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。
    主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代代に至る。イエスの愛弟子であるヨハネは、さらにへブル人への手紙の中でこう書いています。
    1章11節、これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえます。すべてのものは着物のように古びます。
    12節、あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを着物のように取り替えます。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがありません。
    このことば通り、イスラエルは滅亡し、復活しました。その目的がイエスの再臨にあることは明らかです。
    そして、そのためにイエスはイスラエルという国で生まれなければならなかったのです。そして、イエスとは彼らから見て何者だと聖書は言うのでしょうか。
    ヨハネはこう書いています。
    1章3節、御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力ある御ことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
    4節、御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものになられました。
    5節、神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」また、さらに、「わたしは彼の父になり、彼はわたしの子となる。」
    6節、さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」
    7節、また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、
    8節、御子については、こう言われます。「神よ、あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
    9節、あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれんばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」
    ヨハネは、へブル人に馴染みのある詩篇の言葉を引用して、イエスが人の子として生まれ、一方で、人間より上の位にいる御使いから、拝まれる対象であり、万物の創始者であると説いています。
    おそらく、ヨハネはイエスの母マリヤから、誕生のいきさつを詳しく聞いた上で、詩篇からことばを選び、へブル人に分かりやすく説いたものと思います。
    しかし、万物の創始者が、被創造物である人間から生まれたというのは、これ以上の矛盾はないでしょう。
    言い換えれば、神に造られた人間が、その神を生んだ事実にどう辻褄をあわせればいいのでしょう。そして、神は何故そのような摩訶不思議なことをなされたのでしょうか。ヨハネはそれについて短くこう述べています。
    2章11節、聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥じとしないで、こう言われます。「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。
    14節、そこで、子たちはみな血と肉を持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。
    つまり、神はイエスを通して、血と肉を持った者の痛みや喜びを共有したいと願った訳です。何故、全能の神がそのような願いを持ったのか。
    出エジプト記3章8節にこうあります。わたし(主)が下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人(中略)の居る所に、彼らを上らせるためだ。
    これは、神が人々を動かすには、その先に美味しい物を示すことが一番効果的であることを知っていたからで、全て肉のあるものに共通した特徴であることを知っていたからです。
    しかし、神はノアの洪水前の肉欲に堕落した人間たちを知っていたので、この問題を根本的に解決するために御子を人の子として地上に送られたのだと私は思います。
    ヨハネもさらに、18節に、主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになります。とイエスと我々の共通点は同じ肉を持った人間であったことを強調しています。
    イエスは現在、3節に書かれたように、罪の清めを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着いておられます。
    しかし、人の子の定めとして、生まれたばかりの頃は、すべてを母親の一方的な恵みの下でなければ半日も生きられない弱い存在でした。
    この弱い存在の時、彼が最初に学んだのは、喉の渇きと空腹でした。
    力強いことばもまだ無く、乾いた口からは、空腹を示す泣き声を上げることしかできませんでした。
    しかし、その泣き声こそ、母マリヤにとっては希望の光でした。これほどまでに必死に自分を求めている小さな命の輝きに、彼女はこの馴染みのない新天地ベツレヘムでどれほど勇気づけられたことでしょう。
    私は必要とされている。この小さな命はわたし無しには生きられない。
    彼女は手を差し伸べて、愛しい子を抱きかかえて、語り掛けます。「さあ、渇いている子は来なさい。わたしの甘いおっぱいを沢山飲みなさい。」
    イエスはこの母のことばを深く胸に刻み込んだ筈です。何故なら、これは、全ての人類の永遠の癒しと救いだからです。
    それで、かつて天の父がモーセに伝えたように、彼らに明確な目的を持たせるために、最後の時に御霊がこう言うとヨハネは書いています。
    黙示録22章17節。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 アーメン

     

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