☆NO37、都上りの嘆き。(主の通られる道をまっすぐにせよ。)
ルカとマタイによる福音書によると、エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスはその都のために泣いた、と書かれています。
「予言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、雌鶏が雛を翼の下に集めるように、あなたの子らを幾度集めようとしたことか。それなのに、あなた方はそれを好まなかった。」
彼はエルサレムがローマ軍によって破壊されることを知っていました。また、彼は彼自身がエルサレムで死ぬべきであることを知っていました。
しかし、弟子たちは、イエスをユダの王としてローマ軍に勝利することを夢見ていましたこの基本的な概念の違いは、十字架後の彼らの離散につながります。
しかし、イエスはそれのために泣いたのではいなかった。彼はエルサレムの上で泣いた。その理由は主の物語にあります。
NO2「キリストの影」を思い出してください。その話によると、イエスは神としてアッシリア軍からエルサレムを救いました。
それなのに彼は言いました。「しかし、あなた方はそれを好まなかった。」そこで彼は街の上で泣いたのです。
この絵はイザヤの言葉を具現化したものです。「主の道を準備しなさい。彼の道をまっすぐにしなさい。」
言葉通りイエスと弟子たちはまっすぐエルサレムへ向かいました。しかし、それぞれ異なる希望をもっていました。
そこでイエスは異邦人を救う道を開かれました。それは私達の幸せです。
皮肉にもイエスを裏切ったユダはイエスと非常に密接な関係を持っていました。なぜなら二人は同時に自分のやり方で悲しみを感じたからです。
(50号キャンバス1167ミリ×910ミリ)2017年9月
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