☆No86 花占い☆

    No 86 花占い☆
    ゲーテは自らの体験から、ミルクに加えられた酢が一瞬で凝固してチーズを作り出すような、強力な作用を持つ、女性という存在について深く考えなければならなかった。
    ゲーテにとってこれは、己の血を固めて文学という作品を創り出す女性の存在こそ、一生を掛けて追求すべきテーマだった。
    その顕著な現れが「ファウスト」だと私は思う。
    祖先にゴート人の血を引く(GoetheとGotheは一字しか違わない。注1.)彼にとって父と子と聖霊という男性優先の三位一体の神には何の魅力も感じず、ひたすら大地のような女性に救いを求めることこそ意義のあることだったようだ。
    それ故、彼は何としても女性の初めであるエバの罪を誰が償ったのか、という命題に立ち返った。
    折しも、ファウスト第一部を完成した1808年は、その2年前に彼自身が務めるワイマール公国を含めた神聖ローマ帝国が消滅している。
    イギリスでは産業革命が起こり、アメリカが独立している。まさに、近代に向けて世界が大きく変動する時でもあった。
    彼自身は古いヨーロッパに居ながら、世界が新しい時代に突入していくのを肌で感じないわけにはいかなかったに違いない。
    その中で、人類の半分を占める女性の罪を誰が償ったのか、は彼にとって大きな問題だった。
    それについて聖書はどう答えているだろうか。
    ローマ人への手紙5章12節。「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、それというのも全人類が罪を犯したからです。
    14節、ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々さえ支配しました。アダムは来るべき方のひな型です。」
    パウロは全人類に罪が入ったのはアダム一人のせいだと言い、彼は来るべき方、つまり彼の罪を贖うべき十字架で死んだイエスのひな型だと断言しています。
    つまり、聖書では、アダムひとりによって全人類に罪がはいったのであって、エバの罪は全く問題にならないのです。
    しかし、最初に禁断の木の実を食べたのはエバであり、それを夫に勧めたのもエバです。
    ゲーテはこう書いています。「軽はずみにも、かのリンゴを一口食べたばかりに、世界中に果てない苦しみをもたらすことになった。」
    近代に入り、女性の人権が尊重されれば、今まで見過ごされてきた罪の問題も重要視されて当然です。
    ゲーテ自身は女性が公的な場で発言することに、異議を申し立てていましたが、当時のヨーロッパの勢力図を見れば女性が重要な役割を担っていたことは一目瞭然です。
    そこで彼は若い時、ほんの思いつきで書き始めた「ファウスト」に家の近くで起きたスザンヌ.マルガレータ.ブラントが嬰児殺しの罪で処刑されたことに衝撃を受け、自らの恋愛体験を織り込みながら、このファウストの粗筋を考えたと思われます。
    つまり、最初からマルガレーテは死ぬ運命にあったのです。何故なら、ゲーテにとってこのマルガレーテは、全人類の罪を償ったイエスと同じだからです。
    そして、イエスがそうであったように、マルガレーテには罪は一つもないのです。
    無垢の子羊を生贄に捧げることで、罪が許されるというキリスト教特有のテーマは、彼にとって自からの贖罪を含めた生涯にわたる重要な仕事となりました。
    さて、メフィストフェーレスが二人の仲をとりなしてくれたおかげで二人は首尾よくデートすることになります。
    その時、マルガレーテは、ファウストに自分の幼くして亡くなった妹の話をします。
    彼女がミルクを与え夜は一緒に寝て、本当の母親のようにして育てたと言い、彼女は意識することなく、自分がすでに母親としての役割を十分に果たせることをファウストの前で証明してみせます。
    この今すぐにでも母親になれる彼女の若い肉体の隅々まで知りたいと欲する若返ったファウストにしてみれば、己の欲望を抑えるのに苦労する場面でしょう。
    しかし今、彼はあくまで紳士的な青年を演じています。すると、マルガレーテは庭に咲くアスターの花を一つ取って、その花びらをむしりながらつぶやきます。
    「好き、おきらい、好き。」そして最後花びらをむしりとりながら「好き。」と言う。彼女は自分の若い肉体の欲求を神の選択に任せてしまいます。
    この絵のタイトルは「花占い」ですが、二者選択しかないこの占いは、籤とも呼べます。
    聖書では籤は神の声を聞くのに有効な手段として認められているからです。
    一方、ファウストの求めるのは己の欲望のまま彼女を手に入れることだけです。
    しかし、この場では大人しく彼女に同調して「愛している。」と告白しますが、続けて、「その花占いを神々の言葉だと思うがいい。しかし、愛するということがどういうことか、おまえにわかるかい?」と彼女の真意を確かめることを忘れません。
    マルガレーテは事の成り行きの重大さに驚いてこう言います。「からだが震えてくるわ。」
    ファウストは続けてこう言います。「言葉にできないこの想いを、この目、この握りしめる手に言わせてくれ。」行動こそが自分のありのままの心だと彼女に伝えます。
    しかし、体の成長に心がうまくかみ合っていないマルガレーテは、一人になると、「わたしなんか、まるですっかりお馬鹿さんの子供なのに、どこがあの人の気に入ったのかしら。」と、自分自身が醸し出す女の魅力に全く気づいていません。
    ゲーテはファウストのキャラクター作りにあたり、彼の信ずる神を自然の神々、大地の霊に設定しました。
    流石に神聖ローマ帝国に属するワイマール公国の行政に関わる者の一人として、悪魔と結託して人々を惑わす者をキリスト教徒にすることは差しさわりがあったのでしょう。
    そして劇の幕開け早々、ファウストに呼び出された地霊は、彼にこう言います。「お前は、お前の考えた霊に似ているだけだ。おれには少しも似ていない。」
    一端の魔術師気取りでいたファウストは、この言葉にひどく落胆します。しかし、マルガレーテをほぼ手中に収めた彼は、自信を持ってこう言います。
    「崇高な大地の霊よ、おまえは、おれがもとめるものを惜しげもなく授けてくれた。おまえが燃える焔の中に、おまえの顔を表してみせたのも、決して無駄ではなかった。」
    彼は大地から生えたアスターの花のお告げを、この地霊の働きだと思っています。自然こそ己の欲求に応えてくれる、良き友なのだと彼はこの時に確信します。
    この考えがゲーテ本人のものであるかは別として、ゲーテはファウストに最後の場面でこうも言わせています。
    「そして、自然の前に一人の男として立つことができたなら、人生は骨折り甲斐があったろう。」(第二部、真夜中の場面)
    ゲーテは、「自然に帰れ!」と叫んだルソーに共感し、彼自身も自然科学者でした。それ故、自然を観察する時にもっとも頼りにする光を研究し、独自の「色彩論」も書いています。
    彼は言うなれば、「目」の人であり、現実主義者で政治家でもありました。一方、花占いで、運命の人との出会いに夢中になったマルガレーテに、あの昔の蛇が現れてこう言います。
    「可哀そうに、花びらが散っちゃいましたね。散り際に、本当にこの花は、あの人があなたを愛していると言ったのですか? あのファウストとか言う青年は、ただあなたの若い体が欲しいだけではないのですか?」
    すると、マルガレーテは口をゆがめてこう言いました。
    「あら、ご親切な蛇さん、ご忠告ありがとう。でも、この花はわたしが摘まなくとも、いずれは枯れてしまいますわ。こうして、綺麗なうちに摘んであげたので、神様も喜んでわたしに味方してくれましたわ。
    それに、この人を愛して、この腕にしっかりと彼の子を抱くことを願うことは、いけないことかしら。」
    この場面はわたしの創作ですが、マルガレーテにエバの罪を贖わせ、キリストのように処刑させたゲーテの意図を汲めばあり得る話です。
    わたしはこの絵で、マルガレーテの服の色に、ナザレのマリヤと同じ熟したブドウの色を用いました。
    マリヤの服の色は、彼女から生まれる救世主イエスの色を予感させますが、マルガレーテの服の色は、ファウストを酔わせる甘いワインと同じ色です。
    ゲーテ自身も甘い赤ワインに目がありませんでした。二人はしばし、この自然の贈り物に酔うことになります。
    この絵は、ゲーテのファウスト第一部の「庭」の場面から、マルガレーテがアスターの花占いを通じて、大地の霊からの言葉を信じて、ファウストと共に、神の道から外れていく様を描いています。
    注1 ゲーテをゴート人の後裔と揶揄したのは、ドイツの文学者で神学者であった友人ヘルダーだが、ゲーテ本人はこの名前にちなんだ洒落を好ましく思わなかった。
    その理由は多分、ゴートがゴシック(Gothic)の語源であり、その意味は無教養、野蛮、といった意味があったせいだろう。だから、ゲーテ本人はこの説に同意していない。
     


     

    2024年8月 キャンバス 油彩 910ミリ×1167ミリ
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