☆NO17、或るヘブル人の親子。
今回の絵のテーマは、イエスの公生涯に入る前の出来事ですから、具体的な聖書からの引用箇所はありませんが、
神の御心に沿う大きなテーマがあります。それは何かと言うと、ヨハネの手紙、第二にあります。そこにはこう書かれてあります。
7節 (中略)イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が
大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。
これを書いたヨハネは十二使徒のヨハネで、十字架の下でイエスから直接、母マリヤの面倒を見るようにと言われた弟子です。
十二使徒時代のヨハネはイエスから、雷の子とあだ名されるくらい、気性が激しい人でした。それが、イエスの死後、マリヤと一緒に暮らすようになると、すっかり人が変わってしまいました。
ヨハネの手紙、第一には、こうあります。
4章、7節 愛する者たち。私たちは、お互い愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
使徒時代、サマリヤで人々がイエスを受け入れないと、「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましようか。」(ルカの福音書9章54節)
と言い放った人物とはとても思えません。
彼を変えたのは神の力ですが、私は個人的に、マリヤの影響も大きかったと思います。
ヨハネはマリヤの妹の子ですから、マリヤは伯母になります。身内のヨハネが引き取ったのは当然のことですが、その後の神の恵みは大きく、他の殆どの十二使徒が、殉教したのに対して、(兄弟のヤコブは十二使徒の中の最初の殉教者になりました)彼は命永らえて、
晩年ギリシャに近いパトモス島で有名な黙示録を書くに至ります。
そのヨハネが、イエスが人として来られたことを告白しないものは、反キリストです、と言うのですから、イエスの生涯の中で宣教に入る前の人としての生活がいかに重要であったのかが分かります。
それは母マリヤに対する愛で満ちた生活であり、同時に母マリヤの深い愛に包まれた生活でもあったと思います。この愛があったからこそイエスは人としての困難に打ち勝ち、過酷な、公生涯を全うできたのではないでしょうか。
さて、それらのことを踏まえて、この絵の説明に入りたいと思います。
イエスは公生涯に入る前なので20代です。養父ヨセフは早くに亡くなったとあるので、マリヤにとってイエスを筆頭に5人の兄弟と幾人かの妹の食い扶持を稼ぐのは一人前の大工になったイエスということになります。
イエスの仕事は大工とありますが、当時のナザレは小さな村なので、家の普請がいつもあったとも思えません。
むしろ、日常使う調度品から農機具や馬具の修理といったものが日常的な仕事だったような気がします。
さて、5月のある日、イエスはやっと注文されたテーブルを完成させました。近所では彼の作る家具は、細やかな配慮があってとても評判がいいのです。
実用的なものでも、デザインに凝っているので、これも人気でした。
人間の父を持たないイエスのこうした遺伝的な要素は、すべて母マリヤから来ている筈です。
夕方になって、自慢の息子の仕事ぶりを見に、マリヤが母屋から訪ねてきます。
イエスは汗をぬぐいながらマリヤに言います。「お母さん、やっと、注文のテーブルができあがりました。どうです。角を丸く削ってあるので子供が頭をぶつけてもこれなら大丈夫です。」
イエスはテーブルの淵を手で擦ってから、それにこんなに頑丈ですと、言わんばかりにそのテーブルによりかかって見せます。
そんなイエスにマリヤは目を細めて喜び、言います。
「イエス、私もあなたに見せたいものがあるのですよ。」
「ほう、なんですか、お母さん?なにもお持ちじゃないようですが、」
と不思議がるイエスにマリヤは、ちょっと恥ずかしそうに、自分のスカートのすそを持ち上げてみます。
彼女のサンダルが見え、その鼻緒に、出がけに庭で摘んできたアネモネの花が添えられていました。
夫ヨセフの死後、慎ましく暮らしているマリヤですが時折こうした茶目っ気とおしゃれ心を、彼女はいつまでも持ち続けていたと私は個人的に思います。
それと、題名ですが、公生涯に入る前の出来事ですから、敢て匿名にしました。
この偉大な親子にも匿名の時代があった訳ですが、これこそ、ヨハネの言う、
人として来られた方、に相応しい題名だと作者として勝手に思っています。アーメン。
(50号キャンバス1167ミリ×910ミリ)2014年9月
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