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SolutionBank.net > 友だちとの
すったもんだ編
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 [709] 部活動での人間関係
 中学生  

友人


ソリューション データ:
私はバスケットボール部に所属していた。学校内の部活の中でも、特に問題児が多く、常に喧嘩やいじめが絶えなかった。私は喧嘩などのいざこざが苦手であったため、あまり関わらないようにしていた。しかしバスケットボールはチームプレーであるし、少人数であったため、ずっと関わらないようにするのは不可能であった。今日喧嘩したかと思ったら、次の日には仲直り、そしてまた喧嘩、の繰り返しだった。私は喧嘩をする張本人ではなかったため、喧嘩をする生徒に常に振り回されていた。そのうち「心配するだけ損だ。またすぐにおさまるだろう。」と思うようになった。
しかしある時、「どっちの味方なの?私だよね?」と言われたことがあった。本当に困ったどっちの味方でも敵でもない。その時はとっさに何か言うことができず、なんとかごまかした。もし今、同じ状況に出くわしても、きっとその当時のように曖昧な返事をしてしまうのではないかと思う。またある時、喧嘩している2人のうち、どちらかというと発言力が大きいほうの子についていたことがあった。その喧嘩が長続きし、全員で話し合いをするまでになった。話し合いの後、もう一方の子に、「○○○だけは味方だと思っていたのに」と、泣きながら言われた。私はその子とは結構仲が良かった。しかし自分の意志の弱さから、権力の大きい子に肩入れをしてしまっていた。本当に申し訳ないことしたと思った。
結局、中学生時代は引退するまで、自分で何か行動を起こして問題解決をすることはできなかった。しかし喧嘩やいじめの張本人でなくても、なにもしない傍観者や、どちらかに肩入れをすることは、張本人と同じ責任があるということを、経験を持って知ることができ、また精神的ににも強くなり、自分自身成長できたと思ってる。

 [706] クラス内での立ち位置を取り戻すきっかけ
   

ソリューション データ:
中学生のとき、周りから疎まれている子がいた。疎まれ始めた理由は滑舌が悪いとか些細なものだったと思う。1年生の後半からその子と仲良くしていた人たちが避けはじめ、おとなしいその子は他のグループに入ることができずクラスの中で徐々に浮いていった。私も同じクラスだったが、違うグループだったこともあり特に深くかかわることもなかった。

私とその子は3年間同じクラスとなった。そして秋の修学旅行の班決めで、今まで大して話もしなかった私たちは同じ班になった。偶然、私と友達の班には女子が1名不足していたからだ。旅行の準備段階では必要事項くらいしか話さなかったものの、修学旅行本番の3日間はずっと一緒にいたため、他愛ない話をたくさんすることになった。

ずっと周りから避けられていたので、その子はきっと変わった子だと決めつけていた。だが、口数は少なかったものの、その子は他の子と同じような「普通」の話をした。話の中で言及した感じ方も大して私や友達と変わっていなかった。それが私には意外だった。

修学旅行の後も私たちはそこまで仲良くなることはなかったが、すれ違えば声をかけあうくらいにはなった。私の友達も似たような感じになったが、私たちのグループ全体がその子を受け入れるまでには至らなかった。グループ内の雰囲気は受け入れることに前向きでなかったし、私と友達には雰囲気を変えたいと思うほど強い動機はなかった。それでもその子と私たちが学校で普通に話していたことでクラスの雰囲気が少し変わったようで、その後の運動会などではもめることなく、その子なりの立ち位置ができていた。

その後中学を卒業するまでその子と深くかかわることにはならなかったが、このような経験を通して些細なことで仲間外れにされることと些細なかかわりで立ち位置を取り戻せることを学んだ。

 [705] 友人関係について
 高校生  

友人


ソリューション データ:
高校時代の友人と、一時期仲が悪くなってしまったことがある。ある日突然口をきいてくれなくなり、私が何か気にさわることをしてしまったのだろうかと自分の発言や行動を振り返ったが心当たりが何もなかった。私から話しかけることもできなくなってしまい、何日間か全く口をきかない日が続いた。クラスは別だったが部活は同じで、それまでは一緒に下校していたので、原因がわからないまま無視されるのはとても辛かった。勇気を出して何に怒っているのか聞こうと決めた日、向こうからメールが来た。内容を見ると、私が先に怒っているように思ったというものだった、心当たりはなかったのだが、私の何気ない態度でそう思わせてしまったのだろうと反省し謝った。また、原因がわからずに無視されて辛かったということを伝えたら、相手も謝ってくれた。こうして無事に仲直りすることができ、元通りの関係に戻ることができた。仲の良い人は、言わなくても自分の気持ちを理解してくれているだろうとそれまで思っていたが、仲がいいからこそ言い合えることを相手に伝えなければいけないと感じた。

 [704] 自分を見つめなおすこと
 高校時代  

ソリューション データ:
私は高校時代、具体的な将来の夢もなかった目指す目標がないことは私の悩みの一つであった。将来のゆめもなければ勉強する意味も見つからず、宿題はまじめに取り組まないし、テストの結果はいつも振るわなかった。
そんな時に、厳しい言葉をかけてくださったのは1年の時の担任だった。7月にあった二者面談の時、まじめに勉強しなさいとハッキリ言われたときは、ただ口うるさい担任だと思った。しかし、私が担任の強化でもないテストの点数が良かった時に「頑張ったね」と褒めてくれたり、部活の練習の後に「お疲れ様、こんなに部活に一生懸命なら勉強ももうちょっと頑張ってよ」と冗談交じりに言ったりしてくれた時に本当にこの先生は自分のことを考えてくれていると思った。
そのことに気づいてから、他人である先生が自分のことをこんなに考えているのに、私が自分自身について何も考えていないことに恥ずかしくなった。私はさまざまなことに対する態度が変わった。今まで将来の夢がなかったのは、自分が将来についてしっかり考えていなかったのも原因であると考えいろいろな職業について調べたりした。勉強する意味も自分なりに考えはじめ、以前より進んで勉強することが「」できるようになったし、他にも今まで面倒くさいと思っていた様々なことに対する考えが変わった。自分自身のことを考え直すことで私は大きく成長することができたし、今の私があるのはこの経験があってこそだと思っている。

 [702] 部活での経験
 高校生  

Mさん


ソリューション データ:
高校時代、私は吹奏楽部に所属していた。人数が多いということもあり、衝突することも度々あった。私が担当していたトランペットは、同学年は私を含め4人だった。冬のアンサンブルコンテストの編成で、トランペットは3人に絞ることになり、オーディションをすることになった。選ばれなかったMさんと他の3人は気まずくなってしまい、それまで仲の良かった私たちに距離ができてしまった。練習中の雰囲気も悪くなってしまったため、いつまでもこのままではいけないと思い話し合いをした。その結果Mさんとのわだかまりがなくなり、雰囲気も前のように戻ることができた。この出来事があるまで、私たちはお互い本音で話し合ったことがなく、何か不満があってもなかなか言い出せずにいた。これをきっかけにお互いの思っていることをきちんと伝えることの大切さを学ぶことができたように思う。その後も大会に向けて一人ひとりが努力を重ね、アンサンブルコンテストでは金賞を受賞することができた。またMさんも、一つ下の学年と編成を組んだチームで素晴らしい曲を作り上げていた。その後もパートの中で何か問題が起きたら話し合うようになり、最後の大会では県大会に出場し、金賞を受賞することができた。

 [701] 自分の主張と相手の主張
   

遅刻癖のある友人


ソリューション データ:
遅刻癖のある友人との話です。出かける約束をしても時間に遅れることは日常茶飯事で、遅いからと迎えに行ってみると、今日はいけなくなったと言われて、いわゆるドタキャンをされることもありました。通学も一緒にしていましたが、やはり約束の時間に遅れてきます。
他の約束の場合はとは違って、学校に遅刻する訳にはいかないので、いつまでも待ってはいられません。仕方なく先に行くと、なんとなく気まずい雰囲気になってしまうのです。約束の時間に来なかったのはその子なのに、「先にいってごめんね「別に」というような会話になることがしょっちゅうで、「遅れてごめんね」とは言ってくれませんでした。当時の私は極端に気が弱かったので、なかなか言い出せなかったのですが、思い切って「時間をまもってくれないなら、一緒に登校はできないよ」という話をしました。すると、完全に遅刻がなくなったわけではありませんが、以前よりも時間を気にしてくれるようになりました。さらに、遅れた時には「待たせてごめん」と声をかけてくれるようになりました。
相手に「ここを直してほしいと直接いうことは、とても勇気のいることでしたが、言えてよかったと思います。より良い友人関係を気付くためには、相手のことを思いやるのと同時に自分の主張をはっきり伝えることも必要不可欠です。両社のバランスが状巣にとれて初めて心地よい人間関係となるのではないでしょうか。

 [700] 一人で抱え込まなくてもいいと教えてくれた友人
 高校の頃  

先輩と同期


ソリューション データ:
私は、高校生の頃部活でパートリーダーという役割を担当していた。そのとき大変だった問題について振り返ってみる。
パートリーダーとは、パート内の2〜10人程度に対し、練習の指示や指導、練習以外の時にもパートをまとめる役割である。ふつうわ先輩が引退する2年の夏からその役割が回ってくるが、私のパートでは2年になってすぐその役割が回ってきた。
私が一番苦労した点は、早くに回ってきたことで先輩にかかわることが多かった点である。今年が最後になる先輩の大会に対する熱い気持ちを理解しても同期が先輩の気持ちを理解してない、新しく入った後輩の指導等の問題が一気に自分に降りかかった。上からも下からも重圧がかかり、精神的につらくなっていたときに、私のパートの同期が励まし、協力してくれた。パートリーダーの仕事を一人で抱え込みすぎないで、といい協力してくれたり、私の愚痴も黙って聞いていてくれた。まとめることは大変であると知ったと同時に、全部一人で行うことは難しいと知った。その後、パートの同期の協力もあり、先輩と同期との壁もなくなり、一時期は部活が辛いとしか思っていなかった私が、部活を再び楽しむことができるようになった。その動機とは、今でも辛いときは励ましあい、協力する良い関係が築けている。

 [699] 話す勇気
 小学校  

同学年の部員


ソリューション データ:
小学校のミニバスケットボール部に所属していた時の話である。私は最高学年になる前からユニフォームをもらい、ベストメンバーとして試合に出させてもらっていたため、先輩と仲良く、とてもかわいがってもらっていたし、私も先輩のことが大好きであった。自然と先輩といる時間の方が多くなり、同学年の子と関わるのは登下校の時ぐらいであった。こうして同学年との関わりが薄いまま、先輩が卒業し、自分たちの代になった。周りからは、「なんで○○(私)だけ」というように私だけが先輩たちと練習し、試合に出させてもらっていることをよく思っていなかった。さらに、「先生やコーチに気に入られてる」と妬む部員もいた。もうすでに同学年の中である程度のグループ、つながりができてしまっていて、先輩の卒業後に私が入る場所はなかったのである。また、私はとても負けず嫌いで気が強かったし、何事も一生懸命こなしたいために、練習など手を抜く人が許せなかった。こうした私の性格のせいもあってか、練習中の部員への言い方がきつくなってしまい、同学年との距離が埋まらないままだった。周りのテンションに合わせたり、無理に面白いと思ってもらえるようにふるまったりしても、結局輪には入れず、嫌われていることを痛感する日々だった。それでも辞めることなく続けられたのは、負けず嫌いな性格もあるが、何よりも親の存在のおかげである。私の親は、私がみんなの前で素の私ではなく、無理をしていることを知っていた。いつも「無理しなくていいんだよ。」と優しく話を聞いてくれた。私が嘘をついているかもしれない時でも、親は全く疑うことをしないし、いつでも私を信じてくれる。そして、いつも味方でいてくれた。初めは嫌われていること、居場所がないことを親には言いたくないと固く思っていたが、勇気を出して話したことで、毎日悩み、張り詰めていた気持ちが軽くなったし、頑張ることが出来た。自分だけで悩んでいても解決できないことはたくさんある。つらいときはつらいと誰かに弱音を吐くことは恥ずかしくなんてないし、とても大切なことなのだと学んだ。

 [698] 部活の人間関係
 高校生  

学校の先輩


ソリューション データ:
高校に入学して吹奏楽部に入部した。吹奏楽は中学からやっていて、中学は県でも強いほうではあったが厳しいながらも雰囲気は良く、とても楽しかった。そんなこともあってか特に何も考えずに高校でも吹奏楽をやるつもりでいた。しかし実際入部してみると当たり前だが練習はもちろん雰囲気も中学の部活とは違い戸惑った。また私の直属の先輩が二つ上で受験せいであったこともあってか気分の浮き沈みが激しく、八つ当たりやいわれのない陰口などがあり精神的に参ってしまった。吹奏楽は大好きであるし、部活で仲のいい友達もできたが、先輩を避けるようになり部活も避けるようになった。二つ上なのでしばらくすれば引退をすると考えて我慢をしようとしたのですが結局、部活自体に行くことも嫌になってしまった。コンクールの関係ですぐにやめることはできなかったが心の中でやめる時期を決めてそれまでは部活を頑張った。嫌なことに立ち向かうのはいいことであると考えていたが、この体験で考えたのは悩みに悩んで出した結果だから後悔は今もしていないし、むしろあのまま続けていたら辛くて毎日が憂鬱だっであったと思う。思い切った決断であったがよかったと思う。

 [697] 関係
   

中学3年生


ソリューション データ:
私は中学3年生のとき、3年間ずっと一緒に過ごしていた仲間と大喧嘩をした。友達と喧嘩したことが初めてだった自分はどうしていいかわからず、しばらく今まで味わったことがないような寂しさとつらさを経験した。自分の性格が強気で負けず嫌いなことから、親にも担任にも、ほかの友達にも相談することができず、初めて学校に行きたくないと感じた。しかし、正直になれず私は意地を張り続け、絶対に謝らかった。この状況に気づいた先生たちが何人か間に入ってお互いの言い訳を聞いてくれた。そのとき、喧嘩をした友達が今までの自分に対する不満などを言ったことを聞き、すごく腹立たしい気持ちになり、私は縁を切るといって友達にも会いたくないから教室にいくことをやめて部活の顧問であった先生であった先生の研究室にしばらく通った。そのときの私は「高校いったらどうせ離れるし友達なんかもういらない」そういっていたのを覚えている。しかし、周りで友達と楽しそうにしている人を見ると、こんなことで今までの関係が壊れてしまうのかと、悲しくなりどうしていいかわからなくなった。しかし、周りで友達と楽しそうにしている人を見ると、こんなことで今までの関係が壊れてしまうのかと、悲しくなりどうしていいかわからなくなった。友達も謝る気はなし、もう関わらない気でいることから、自分は何もできずこんなくらい気持ちのまま卒業するかとおもうと、耐え切れなくなった。そこで、今までの自分の悪かった部分をしっかり見つめなおし、認めることにした。絶対に自分は悪くないと思うようなことでも反省して、素直に謝ろうと決めた。たとえ、その後関係が修復しなくてもとにかく心から謝ることにしごく覚えている。なきながらとにかく謝り、相手の気持ちは聞かずにその友達とは別れた。それからしばらくして、その友達が「あのとき私もごめん。私も悪かった。ずっと後悔してた」とあやまりにきてくれた。私は驚きと、やっと話せたいう喜びと、今までのつらかったことを思い出してその友達と号泣した。それから、友達とは良好な関係を保っているし、私自身すごく人間として成長することができたので高校では楽しく過ごすことができた


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