いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
異性とのあれこれ編 (135)
男性/女性/...
仕事編 (229)
男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
精神的な症状編 (137)
男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
 and or  

現在の総登録数:2518
to 家族心理.com

SolutionBank.net > 友だちとの
すったもんだ編
> 女性

 [683] 伝えることの重要さ
 小学校  

一番仲のいい友人


ソリューション データ:
私には小学校入学当時から仲良くしていたA子ちゃんという友人がいた。1年生の時に同じクラスになって以来、クラスが離れてもその友人とは毎日のように遊んでいた。
いつも一緒にいたので、周りの友達からはとても仲のいい2人と広まっていた。3年生のころまでの私はこのまま小学校を卒業してからもA子ちゃんと同じ地元の中学校に入学するものだと思っていた。

しかし、私が5年生になるときに知り合いの人から中学受験を勧められた。私は全く考えていなかった中学受験というものをそこで初めて考え始めた。そして、悩みに悩み受験することを決意した。A子ちゃんにそのことを伝えなくてはと思っていても、仲がいいからこそ中々言い出せずにいた。

6年生になっても私は言い出せずにいて、ついに受験の時期になってしまった。結局A子ちゃんには言えず、内緒で受験をしたのだった。
受験が終わり、私は罪悪感で学校に行くのが怖かった。A子ちゃんが違う友人から私が中学受験することを聞いた、ということを知っていたから、尚更申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
A子ちゃんときちんと話をしようと思い、学校へと向かった。すると、A子ちゃんは泣きながら私のところへ駆け寄ってきてくれた。合格おめでとうと泣いて私に言ってくれたのだった。私は今までずっと言わなかったことをすごく反省しごめんねと何度も言った。

その後、A子ちゃんとは違う中学校に進学し、高校も別々だったが、休みの日には必ず遊んでいた。大学生となった今でも遊んでいる。いつか大人になり、2人でお酒を飲みながら話すことが今の私のちょっとした夢である。

この経験から私が学んだことは、自分が考えていることは大切な人にだからこそ伝えるべきだということだ。仲がいいから言わなくても許してくれるだろうと考えるのではなく、仲がいいからこそ誰よりも早く伝えることが重要だと思った。これからは、大事なことこそ真っ先に大切な人に伝えようと思う。

 [682] 信頼できる友達の大切さ
 中学生のとき  

A子


ソリューション データ:
中学生のとき、私は吹奏楽部に所属していた。私のパートは、私とA子という女子、そしてB君の三人で、部活内ではパート単位で活動することが多かった。
私のパートは、仲のいい明るいパートだったし、なんとなくうまくいっていた。しかし今考えるとそれはただのフリだったような、無理にそうしていただけなのかもしれない。というのも一つ上の先輩に私一人が好かれていたり、コンテストのメンバー決めでもめたりしていたからである。オーディションをして、私一人がメンバーになったとき仲間外れにされたり、無視されたりもした。本当に仲の良いパートだったらオーディションごときでこんな風にはならなかったと思う。
問題の出来事は中学三年生の頃に起きた。当時二年ぶりの東関東大会に向けてみんなで一丸となって頑張っているときだった。突然練習中に外部から吹奏楽を教えに来ていた講師に音楽準備室に呼ばれた。そこでその講師に、「お前はクラスに友達はいるのか。」と聞かれた。私はその当時、クラスでは三人の女の子と仲良くしており、いつもその四人グループ一緒に過ごしていたため、友達がいないとは思ってもいなかった。だから何のためらいもなく「います。」と答えた。そのあとに「君のせいで部活に来るのが憂鬱になる人がいる。周りを気にしなさい。」と言われ、いろいろなことを一方的に言われたが、何を言われたかは覚えていない。正直その時は悔しい気持ちでいっぱいだった。その時の講師は誰のことかは言わなかったが私はすぐにA子のことだと分かった。私だってA子の言動や行動によって嫌な気持になったのにどうして一方的に悪者扱いされて注意されなければならないのだろうかと思った。おそらくA子がそのように説明したのだろうと思うがせめてこういう形ではなくA子本人の口から聞きたかった。そういうこともありそこからA子との仲を修正す気力なんてなかったし、ただ私たちはこんなものだったのかと思うだけだった。それでも残りの中学校生活を楽しめたのはクラスの友達がいたからである。クラスで仲の良かった子たちはそんなにねちねちしていなかったから嫌なことがあれば直接言ってくれた。だから安心して付き合うことができた。当時この友達がいなかったら、おそらく私は友達との関わりを恐れ、人間不信になっていただろう。
その後A子とは今までよりも口数は少なくなったものの、多少は関わりを持ち、卒業式では写真も一緒に撮った。
この出来事を乗り越え、今さまざまな友達と過ごす時間を楽しめるのはあの時クラスに心から信頼できる友達がいて、みんながみんなA子のような人ではないということを知ることが出来たからだと思う。

 [681] 中学校での人間関係@
 中学校  

友達


ソリューション データ:
私は小学校の高学年の頃からAちゃんという子と仲良くしていました。他愛のないことで笑いあったり色々なことを話したりと楽しい時間を過ごせるのももちろんですが、悩み事も相談しあえて信頼できる友達だとも思っていました。中学生になりAちゃんとは中学校も同じで最初の頃は一緒に登下校をしていましたが、1ヶ月程経つとお互いに違う部活動に入部したことで練習時間がずれてしまい登下校をする頻度が少なくなりました。週に1、2回は顔を合わせることもありましたが、お互いに異なる環境で新しいで新しい友人ができたり共有できる時間が減ってしまったりと、以前のようなかかわりがなくなってしまい私は少し寂しく感じていました。そんな思いを抱いていたある日、下校中にSちゃんと遭遇しました。Sちゃんも同じ小学校に通っていたので私ともAちゃんとも友人関係にあり、また、AちゃんとSちゃんは同じ部活動に所属していました。家の方向が同じだったので一緒に帰宅しているとSちゃんに「この間ね、Aちゃんがあなたの悪口言っていたよ。」と言われました。Aちゃんのことはとても信頼していたのでSちゃんに言われたことを信じたくありませんでした。しかし、最近Aちゃんとのかかわりが少なくて寂しく感じていたのもあり、Sちゃんの言葉を真に受けてしまいました。このままでは納得できないと思い、Aちゃんと話をしに行きました。するとAちゃんは「そんなこと言っていない」と言っており、さらに「そんなようなこと私もSちゃんに言われた。」と言っていました。この話し合いで誤解は解けましたが、あの時Sちゃんに言われたことを真に受けたままでいたらAちゃんと友達ではいられなかったと思いました。この時に噂や人からの告げ口を鵜呑みにするのではなく当事者同で話をすることが大切だと学びました。
『大切なのは当事者同士が面と向かって話すこと』

 [678] 言い合い
 中学生  

同じ部活メンバー


ソリューション データ:
中学のころ部活で(吹奏楽部)同じパートの人と、どちらがパートリーダーになるかや、練習内容のことなどでもめた。そのときは、私も相手の悪いところしか見えず、自分の良いところしか見えてなかった。そんな状況が続いて、練習終わりに私は怒ってしまった。そしてその勢いで言いたいことを正直に言ってしまうと、なんだかすっきりして冷静に、公平にものを見られるようになった。その相手とは、その後部活の時も言いたいこと(悪いことでも良いことでも)を正直に思ったときに話せるようになった

 [677] いつだって良かったと気付くのは過ぎてから。
 高校  

友達


ソリューション データ:
陸上部員だった私。私の学年は部員が少なく、女子選手は私ともう一人、部長のNだけだった。そしてNとはタイムも近く、1年生の頃からライバルとして競ってきた。ところが、捻挫の絶えなかった私は、年に2、3回病院にお世話になっていた。その度に1カ月ほど走れない日が続き、Nとは少しずつ差が開いていった。それが悔しかったのと、Nにライバルとしてみてもらえなくなることが嫌で、完治する前に復帰しようとし、長引くことも多々あった。いい加減学習し、怪我ともうまく付き合えるようになった私は、少しずつタイムを縮めていった。Nとのタイム差は縮まらなかったが、一緒に走れることが嬉しかった。そんな折だった。大会で決勝進出をきめた私達が最後のアップをしている時、Nが「足、ちょっと痛いかも」と。もともと"ちょっと気になるな"という痛みはあったN。いつも"何でも無かった"で終わるので、今回もそうだろうと高をくくっていた。しかし直前になってもNは浮かない顔をしていた。私は、「終わったらしっかりケアをしよう」と声をかけ、そのままレースに臨んだ。Nと近くで走れるのが久しぶりともあり、私は自分のベストを尽くし、Nと勝負しようと、それしか頭になかった。いざレースが始まり、私はまずまずのスタート切った。横目にはNの姿があり、いつもならもう少し差をつけられているのにと思った瞬間、Nの姿が消えた。"こけたかな。でもそれなら最後になろうと走ってくる。ゴールで待とう"と。でも、ゴールし、振り返ってみてもレーン上にNはいなかった。あわてて付き添いの後輩に聞くと、"途中で走れなくなった"と。もう頭が真っ白になった。Nは肉離れを起こしていた。病院に行く途中になんとか会えた私は、ひたすら謝った。「痛みがあることを知っていたのにコーチに相談しようとも、大事をとって棄権しようとも言わずにごめん」と。その時Nがかけてくれた言葉は「おめでとう。私が治るまでの間に早くなってくれ」だった。あまりの事に気にしていなかったが、上位3着に入っていた。すごいなというか、凄いなというか、大きいな、強いなと思った。痛かったはずなのに、悔しかったはずなのに、それでも私の事も見ていてくれて、欲しいはずの言葉をかけてくれた。何とも言えない感謝の気持ちでいっぱいになった。その後、何とも言えない感謝の気持ちでいっぱいになった。その後、私はそれまで以上に練習をし、Nは引退にはベストで臨めるように頑張っていた。結果、引退の時にはほぼ同タイムでベスト更新し、終われた。怪我のようなアクシデントは、どうしたって避けられない。それでも目標を持って、一緒に頑張れる人がいれば、達成できる。そんな青くさい事とバカにしたり、自分の前にそんな人が現れるなんてと思っていたが、自分の本当に好きなことをやっていると、自然に現れるものなのだと思う。

 [676] SNSからの問題
 友達とギクシャクしたとき  

友達


ソリューション データ:
友達とギクシャクしたときに、目るなどではなく、直接面と向かって自分の思い、相手の思いを言い合って、解決することができました。(事の発端は、友達が自分のTwitterに私だけでなく、仲良くしていたグループについての事を直接は言わず、ネット上に書いていたことからはじまりました。)

 [675] 吹奏楽部
 中学時代  

吹奏楽部員


ソリューション データ:
 私は中学校時代、吹奏楽部の部長を務めていました。私の同じ学年の吹奏楽部員は皆部活に対してとても熱心で吹奏楽が大好きな人達でした。私の通っていた中学校の吹奏楽部はコンクールではいつも地区大会で落ちてしまい、悔しい思いをしました。そして、私たちが3年生になったとき、今年は絶対県大会に行こう、と誓い合いました。しかし、私たちはとても人数が少なく、わずか16人でコンクールに臨むことになりました。楽器が足りず、他のパートの楽譜の部分を代用で吹くことも珍しくありませんでした。少人数の私たちのバンドに求められたのは、一人一人の技術とまとまった音楽をつくることでした。しかし、コンクール2週間前ほどから「あの子はなんであんなに下手くそなのかな。」や「なんであそこ出来てないのに朝練こないのかね。」などといったような愚痴を聞くようになりました。すると合奏中に「全然合ってない。合わせる気あるの?」と先生に言われることが増えてしまいました。みんな自分のやりたい音楽があって、みんな県大会に行きたいがために、自分が一生懸命やっているのになぜあの子は……、といったように視野が狭くなって他人が自分の意向にそぐわないことをすればそこばかり見てすぐに気になってしまい、どんどん自分勝手な音楽をしてしまっていました。1週間前になって私は焦り始めました。このままコンクールに出て県大会に行けるとは思いませんでしたし、このままの状態では後悔が残ると思い、とても悩みました。悩んだ挙句私の出した結論は、みんなの思っていることがそれぞれ違ってそれをお互いに理解していないことがこのすれ違いの原因ではないか、ということでした。そして、次の日にさっそくみんなを集めて「みんな自分の思っている本音を言い合おう、やりたい音楽を発表しあおう。」と言い、みんなで話し合いました。そうして話を聞いていると部長の私ですら把握していない思いがたくさんありました。しかしみんな「県大会にどうしてもいきたい。」という思いは共通しており、自分たちが音楽を楽しむという本来の目的を失っている、ということにも気づくことが出来ました。最後にはみんなで泣きながらも「あと少し頑張ろう。」と言い合うことが出来ました。その話し合いの直後の合奏で先生に「音が合うようになった。」と久々に言われ、いかに信頼して一緒に作り上げようとする気持ちが大切かということに気づきました。それからコンクールまでは「音楽が本当に楽しい。」と思うことが出来ました。
 他人の気持ちを何も言わずにすべてを理解することは不可能です。だから他人の行動が気に食わないことや納得いかないこともあります。でもそんなときにただ愚痴を言って終わるのではなく、その人がなぜその行動をするのか感じ取ることも必要ですが、もしわからなければ直接言葉でたずね、まずは相手を理解しようとする姿勢が大切なのだと実感させられる経験でした。また、自分が見えなかったことが見えたりすることもあるので、「自分は自分」とふさぎ込むのではなくもっと柔軟な姿勢でいることも大切だと思いました。ちなみにコンクールは無事県大会に進むことが出来、感動でした。県大会では一番人数の少ないバンドでした。音楽を楽しむということでまとまりが得られ、みんなで同じ方向を向いて頑張ったという記憶は今でもとても素敵な思い出として鮮明に残っています。一生の友達が出来た夏でした。

 [674] ちゃんと名前で呼んでよー
 中学生  

友達


ソリューション データ:
私は中学校に入ってしばらくしたころ、仲良くなったばかりの友達とよく遊んでいました。しかし、だんだん親しくなるにつれて、私は自分の名前をもじられて呼ばれるようになりました。初めは「何その名前―?」と笑っていられたのですが、しつこく呼び続けられるうちにだんだんその名前がとても嫌な感じに聞こえて、呼ばれるたびにため息が出るほど不快になりました。ただ、呼び名が嫌だという理由だけで、地元を離れて入った中学校のせっかくできた友達と離れるのもこの先不安だなあと思ってしまう。でもやっぱりこの呼び名は嫌だそんな思いに板挟みになり、楽しかった学校生活もだんだん苦しいものになっていきました。数か月間、その苦しみの中で過ごしてきて、ある日とうとう我慢できなくなって「いつも仲良くしてもらってて、こういうこと言うのもあれだけどさ、その呼び方、すごく嫌だからやめてくれる?」と自分でもびっくりするくらい突然言ってしまいました。きっと数か月のもやもやが一気に吐き出されてしまったのだと思います。そして、その友達は「あ、そうだったんだ?わかったわかった」とあっさりとやめてくれました。
きっと案ずるより産むが易し。何かに悩んでる人はため込む前に、思いっ切って言ってみるのもいいかもしれないなと思いました。

 [673] それでも2人とも好き!
 小学校  

NさんとSさん


ソリューション データ:
私は、小学校6年生の頃、私はNさんとSさんの2人の女の子の取り合いに巻き込まれました。2人は中学校受験を控え、同じ塾で学ぶ友であり、ライバルでした。しかし、受験が近づくにつれライバルであるという方が強くなってしまったのか2人が学校で話す姿見られなくなり、むしろけんかをしているようでした。例え、2人の関係どうであっても私にとっては2人とも大好きな友だちでした。だから、分け隔てりなく私は2人と話したり、遊んだりしていました。しかし、ある日2人が突然結託したように「Kはどっちの味方なの!?」と私に向かって言ってきました。私は「どちらの味方でもなく、ただ2人とも好きで仲良くしたいだけなのに。」と思い、困りました。この日を境にどちらとも一緒にいることができなくなり、違う子と過ごしていました。正直、すごくつらくてどうしたらよいのかわからず悩みました。しかし、このままでは二度と2人ともと元のような関係に戻れなくなると感じた私は、2人にあったときにそれぞれに「私は2人とも好き。2人とも仲良くしたいの!」と告げました。最初は理解を得られず、相変わらず関係に変化がなかったものの徐々に元のように2人と話せるようになりました。そして、受験が無事に一段落付いた卒業式の日に2人ともから「Kありがとう。つらいときも一緒にいてくれて本当にうれしかった。」と言ってもらえて安心したと共にうれしかったです。今考えると、あのとききちんと自分の思いをストレートに伝えられたからこそ今でも2人と良き友でいられるのだと思います。

 [672] 私を救ってくれたバスケ部
 中学生  

部活メンバー


ソリューション データ:
私が中学一年の夏頃にバスケ部に入ることになったのは、最初に入ったバレー部でのいじめがきっかけであった。だが、そのいじめは私のある行動が原因で始まってしまったものであるから、これから書く文はバレー部の部員を一方的に責めるものではない。
私はバレー部に入ってから試合の時の応援リーダーを任されていた。ある日の練習試合、私は直接聞いていなかったが、一年生の部員が顧問の先生から「応援をやめて昼食とれ」と指示されたらしく、一年生全員で体育館の二階へあがった。直接話を聞いていない私は少し気になり、「先生に指示されたのか」と軽く確認したつもりだった。だがその同級生は「勝手に聞いて来れば」と機嫌悪そうに返してきた。ここからの私の行動がいけなかった。私は先生に聞きに行こうと思ったのだが試合の途中だったので聞けず、1人で応援を始めてしまったのである。仲の良かった友人がきてくれて二人で応援を続けた。その試合の翌日、私は朝学校に持ってこなければならなかった試合の道具を忘れてしまったのである。私は、一年生の気の強いグループに散々責められた。そのグループの中の1人も同じく道具を忘れてきていたのだが、その子を責めることは一切なかった。私は泣きながら家に戻り、学校に遅刻してまで道具を持ってきた。その日は部活がなかったため、それ以上責められることはなかった。その日からいじめが始まった。腹筋のトレーニングのとき、ペアなのに足を押さえてくれなかったり、ボールを拾ってあげても、他の人にはお礼を言うのに私には無言だったりなど、とにかく居心地が悪くなった。他にもいじめられている人が何人かいたので、私たちは顧問の先生に相談しに行ったこともあった。だが、気の強い子たちは先生の"お気に入り"だったため、結局何も変わらなかった。泣きたくなることもあったが、家族に心配を掛けたくないと思い、話をすることはしなかった。ある日の帰り道とうとうこらえきれず、泣いたまま家に帰ってきてしまった。母や姉と話し合い、部活を変えた方がいいのでは、ということになった。姉がバスケ部だったこともあり、元々興味のあったバスケ部に入部することになったのである。バスケ部の人たちはこんな私を快く受け入れてくれた。私はバスケ部で全力を尽くして練習し、今まで一番と言っても過言ではないほど充実した日々を過ごした。バスケ部の友人たちとは現在でも交流が続いている。環境を変える、つまりその空間から離れるということを情けなく感じることもあるかもしれない。だが、逃げていいときもある。環境を変えることで改善されることが確かに存在すると私は思う。


全ページ数/ [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48]


事例Database事例投稿SolutionBank.netとは管理者情報Staff情報Home

SolutionBank.net 管理人 SolutionBank-net  (管理モード)
このページはK-dbを使用しています。