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すったもんだ編
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 [745] 副部長としての体験
 中学生  

部活メンバー


ソリューション データ:
私は中学生の頃、吹奏楽部に入っていた。かなり上の大会を目指して日々練習していて、朝練や休日連も行っているような部活だった。中学2年生の秋に先輩が仮引退をし、新しい部長と副部長を決めることになった。投票の結果、私が副部長になり、部長になった子(Aちゃん)と一緒に頑張ろうと強く思った。私の副部長としての仕事は、顧問の先生からの連絡を部員に伝えたり、他の役職の子からの報告をまとめたりというようなものだった。副部長になって最初の2ヶ月ほどは部員のみんなも協力してくれて、Aちゃんと共にやりがいを感じながら仕事をしていた。しかし2ヶ月を過ぎた頃から私にもAちゃんにも報告や連絡が少なくなり、さらに今まで一緒に下校してくれていた子が先に帰ってしまうなど、私とAちゃんだけが部内で孤立してしまった。私たちが何か言っても返事がなく、同じ年のほかの子をリーダーにみんながまとまっているような状況だった。このような状況では練習はまともにできず、技術面でもかなり衰えてしまっていた。副部長になってから3ヶ月が過ぎた頃、私とAちゃんは相談して、練習の時間をつぶしてでもみんなで話し合う時間をつくりたいと提案した。お互いの意見を出しあって、私たちが部長と副部長でいいのかを話し合いの中でわかったことは、私たちが顧問の先生からの連絡を伝えるとき偉そうにしていると思われていたこと、それを始めとするAちゃんに対する悪口をネットに書き込んでいた部員がいること、それを把握していながらもみんなが放置していたことなどだった。ネットに書き込まれた悪口は名前こそ書いていないものの、学校名も部活名も部長ということも書かれていて、知っている人が見ればAちゃんのことだとすぐわかるようになっていた。これを知ったAちゃんはとても落ち込み、もう部長はやりたくないと強く拒否した。私も自信をなくしてしまい、人の前に立つようなことはやりたくないと、部長と副部長を別の人にしてもらいたいと希望し、新しい部長と副部長のもとで部活を続けることにした。その後は頻繁に部員全員で話し合いを開き、思ったことをただの愚痴として終わらせるのではなく、改善できる部活にしようとみんなで決めて活動をした。結果としてはとても良い結果を残すことができた。副部長をやめたのはもったいなかたと言ってくれる人もいるが、私としては悔いのない中学校生活だったし、最終的には団結力のある部活をつくれてよかったと感じている

 [744] 恩師の言葉
   

自分


ソリューション データ:
私は一学期10人程度の小規模な小学校に通っていましたが、近くにある中学校が廃坑になってしまい、中学校は一学年9人ほどの中規模な学校に通うことになりました。一学年の人数が約九倍となり、小学校の頃の中の良い友達が全員別のクラスに移ってしまったこともあり、クラスでも周りはほとんど知らない人になってしまいました。そのような中でも授業、学校行事、部活動などを通して少しずつ友達を増やすことができました。ぞ分と趣味の会う親友呼べる友達は見つからず、自分の反した話題、言いたいことが言えずにいました。さらに中学生独特の、授業の難易度が上がる、先輩後輩の関係ができるなどの変化によってストレスを感じるようになり、愚痴を言い合える友達がいないためストレスがたまっていってしまいました。
 溜まっていたストレスからか何事にもやる気がなくなってしまい、授業には集中できず、提出物も提出せず、楽しかった部活まで面倒と感じるようになってしまいました。そのような状態が二週間ほど続くと学校に行く気すらなくなってしまいました。私は何かと理由をつけて学校を休むようになってしまいました。一日休んでしまうとずるずると連続して休んでしまい、学校に行かなければならないと頭では分かっていても行動に移せずにいました。家族も私が学校に行かないのは生井氏がないからだとわかっていたようですが思春期の難しい時期なので無理やり学校に連れていくこともできずに困っていました。
 私が一週間ほど学校を休んだある日、学年主任の先生と担任の先生が私の家に来ました。先生方は私にとにかく学校に来るように言いました。と同時に何か問題が生じた場合、どんなことでも私の力になるとも仰ってくださいました。私はその言葉をきっかけに次の週から学校に行こうと決断しました。しかし、一週間も休んだ私をクラスメイトはどう思うかと私は心配でした。学校から逃げた綿sがクラスにもう一度入ることができるか不安でした。しかしそうした思いは教室に入った途端に吹き飛びました。友達がいつもと変わらずに「おはおう」とあいさつしてくれたのです。そして問題もなく以前のような学校生活を送ることができました。
 振り返ってみると私は自分で勝手に物事をネガティブな方向に考えていたようです。自分の悩んでいる問題は、もしかしたら自分が大きいものだと考えているだけであり、一歩踏み出すだけで簡単に解決してしまうかもしれないという事を学び、私は一歩踏み出す勇気をもてるようになりました。

 [743] 母の言葉
   

友達


ソリューション データ:
中学時代、それまで仲の良かった女の子が、いきなり冷たくなった時がありました。自分が何かしたかなと思い、自分から距離を持つようになりました。あまりにもあからさまに冷たいので、だんだん私もその子のことが嫌いになりました。それまで仲が良かっただけに「裏切られた、もういいやそんなことは仲良くしなくて」と思ってしまった私は、そこで母に今まであったことを聞いてもらいました。本当は仲良くしたい、といったところ、母はこう言いました。「仲良くしたいと思うなら、まずその子のことをあなたが好きにならなきゃねこの人は自分の事を嫌いだって分かってたら、近づけないじゃない。」それから私は、その子のことを好きになろうと努力しました。どんなに冷たくされても、いいところを見つけようと頑張りました。そしてその子をまた好きになりました。するとその後気付かない闇にまた仲良くすることができるようになっていました。母の言葉はやっぱり凄い!!と思った時でした。

キーワード:
友人、母親

 [742] 嘘と真実
 中学のとき  


ソリューション データ:
私が中学1年生のとき、部内で私がBの悪口を言ったという噂が流れました。実際、私はBの悪口は言っていなかったのですが、その噂のせいでBとその周りの子の雰囲気が悪くなってしまいました。しかし、そもそもお互いあまり仲が良いわけではなかったので噂のことについて話すこともなく、ギクシャクした日々が続きました。そのうちに、逆に私がBの周りの子から悪口を言われるようになりました。この状況は良くないと思い、私はBと直接2人で話すようにしました。お互いやはり気まずく、2人であってもなかなか話出すことができませんでした。その後、お互い自分の本音と事実を話し、本当のことと噂の部分をはっきりさせました。問題の当事者できちんと話し合うことでその間に合った問題を解決することができました。このことを通して、何か問題が起きたときにはその当事者同士が直接話すことが大切だとかんじました。

 [741] カラオケに行けるようになったきっかけ
   

ソリューション データ:
私は、高校3年生になるまで友達とカラオケに行けなかった。でも、高3の冬に友達が克服するために行ってくれることになった。最初のほうは一緒に歌ってくれたりしていたが、だんだんと一人で歌えと言われだした。自分でも一人で歌ったが最初の方はどれだけマイクに声が入らない大きさで歌えるかを努力していたが、だんだん歌っているうちに恥ずかしさが薄れていき、声は小さいものの周りには聞こえるくらいで歌えるようになった。今では普通に一人で歌えるようになった。この時、一人で歌えと言い続け私を甘やかさなかった友達に感謝するとおもに、でもやっぱりそれはきっかけにすぎなくて最後は自分がんばっ殻を破るかだと思った。

キーワード:
カラオケ

 [739] 仲直りのきっかけ
 中学  

友人


ソリューション データ:
中学の時にいつも一緒にいた友人と喧嘩をしてしまい、お互い気まづいて2週間ほど話しを一切しなかった。しかし別の共通の友人手伝いに向こうが仲直りをしたいと思っていることを聞き、私も同じように思っていたのでそのことがきっかけで勇気を出して謝り仲直りすることが出来た。意地を張らずに自分から謝れば、2週間も話さないことで気まづくならなかったのではないかと後々考えた。

キーワード:
友人、けんか

 [737] すれちがい
 中学に入学したとき  

親友


ソリューション データ:
中学に入学した時、たまたま初めて会話したこと意気投合し、親友になりました。好きなものや趣味も同じで、会話するのがとても楽しい子でした。私は吹奏楽部、その子はバトミントン部で部活が違ったので、それぞれの部活ごとに仲のいい子が数人おりましたが、お互いを通じてお互いの友達とも仲良くなれました。
新しく友達になると、その相手のことを知りたくなり、私たちは、2人でいるよりもお互いの友達と一緒にいることが多くなりました。その結果、私は「もしかしたらあの子は私より私と同じ部活の子と仲がいいのではないか」と思うようになりました。当時私とその子は、交換日記をしていました。普段は取り留めもないことをかいていたのに、ある日その子が交換日記に「私の部活のことばかりいる気がする」というような内容を書きました。その文章を読んでやっと、私はお互いが同じ気持ちでいたことに気づきました。自分にとって一番仲がいいのは相手だと思ってはいたのですが、相手も果たしてそう思ってくれているのかが不安だったのです。すれ違っていることに、お互い気づいていませんでした。交換日記に、誤解であること、自分も同じように思っていたことを書きました。お互いに同じように思っていたことを知り、私たちはまた以前のように仲良くなれました。
普段、友達とは話すことが多く、文字でコミュニケーションをとることはあまりありません。しかし、文章という普段と違うもので表現してみたことで、相手に聞きにきことを聞くことができ、言いにくいことを言うことができました。

 [736] 中学生の時のクラス
 中学  

友達


ソリューション データ:
私の通っていた中学校は、他の友達の話を聞いて比較してみると、少々やんちゃな子が男女問わず多かったと感じます。先生の指導はあるのですが、万引きや喫煙など問題行動を起こす子も必ず何人かいました。また、そこまで酷くはないのですが、あるターゲットの子の筆箱を隠したり、仲間外れにしたり等のいじめもありました。そのいじめるほうはいつも女子の大きな15名ほどのグループでした。ターゲットになるのも女子が主でした。私は当時とてもまじめな生徒で、スカートの長さや髪形も校則を守り、成績もオール5でした。他の子のようにスカートを短くしてみたりネクタイを緩めたり、化粧をしたりなどそのようなことは全くしない、といったようなとても地味な子でした。なるべくクラス内では目立たないように心掛けていました。その理由の一つには目立つ子をよっていじめるグループのターゲットになるのが怖かったというのもあります。そんな私が中学二年生の時、合唱コンクールがありました。その時にクラスから伴奏を選出するのですが、私は他クラスの友達に、「一緒に伴奏をやろう」と誘われました。実際、ピアノは好きだったし、中学一年生のころから伴奏に憧れており、やってみたかったので快くOKし、クラスでの立候補で手をあげました。するともう一人手を挙げたのです。それがあのいじめグループの子だったのです。二人で話し合いということになりました。二人の話し合いの中で、「じゃんけんで決めるのは理不尽だ」という結果になったためどうやって決めようか相談していました。途中「譲ってよ」といった内容のことを何度も言われましたが、なぜかいつも弱気のはずの私も変に意地を張ってしまい、譲らなかったのです。そして、次第に彼女は私が「どうする?」と聞いてもあまり考えてくれなくなり、期限も迫ってきてしまったので私は音楽の先生に決めてもらおうと提案し、彼女がうんと言う前に音楽の先生のもとにお願いしに行きました。無事OKをもらい、先生に選考してもらおうという旨を伝えに行きました。その時に「なんでそんな勝手なことすんの?うざ」と言われました。つい私もむっと来てしまったので言い返してしまったのですが、そのあとすぐに先生に呼ばれて私はその場を離れました。その数時間後、部活中にメトロノームを取りに音楽室に行ってたまたま廊下を歩いていた時です。大きな声で私の悪口を言っているあのグループを見つけてしまったのです。次の日からはそのグループの子達の誰かと廊下ですれ違う時、指をさされたり、笑われたり、耳元で悪口を言われたりするようになりました。私は怖くなって結局伴奏も譲ってしまいました。毎日それが嫌でご飯もあまり食べられませんでした。それを仲のいい友達に相談した時、その子は「私は何があっても貴方の味方だからね」と言って、もしかしたら自分もターゲットになるかもしれないという危険もあるのにそれまでと同じように接してくれました。そのおかげでめげずに学校に行き続けました。そうして私がしばらくその嫌がらせに耐えていると、いじめは次第になくなりました。伴奏はできなかったけど、私自身のことを信頼して私が逆境にいて、自分に危険が降りかかるとしても味方でいてくれるような素晴らしい友達の存在に気づくことができました。そんな友達を大切にしようと思うことができたいい経験でした。

 [735] 転校先の学校での友達関係について
 小学2年生  

転校先の友達


ソリューション データ:
親の仕事の都合で引っ越しをしたとき、新しい学校でAさんと仲良くなったら、もともとAさんと仲の良かったBさんが嫌がらせのようなことをしてきた。まだ小学2年生くらいで気も弱く学校に行きたくなかったけれど、1回でも休んでしまうともっと行きにくくなってしまうから親が絶対休ませてくれなかった。それからまた親の都合で引っ越ししたら次の学校ではCさんと一番仲良くなったがDさんに「どうして私と仲良くしてくれないの」と文句を言われることが多くなった。けれど、前の学校で嫌がらせのようなことをされても休まず画工に行っていたこともあり、人に気持ちをしっかり言えるようになっていたからDさんに文句を言われても言い返したりしていて最終的に仲良くなれました。小学校2年生くらいの時に嫌がらせをされたおかげでその後女子のグループでもめたりしてもしっかりと気持ちを伝えられるようになって、人間関係で助かったので良かったです。

 [734] 人の上に立つ立場になったとき
 中学生  

同級生


ソリューション データ:
私は中学校の時に吹奏楽部に所属していました。1年生の頃は先輩とも、同級生とも良好な関係で、楽しく部活に打ち込んでいました。2年生の夏になると、次期の幹部を決めることになり、同級生全員で話し合いをしましたが、なかなかまとまらず、結局先輩に決めてもらうことになりました。そして、私は先輩から部長に選ばれました。部長になった私は、後輩の見本になれるよう責任をもった行動をや努力の姿勢を見せなければと、必死になっていました。それによる温度差や私の一人で突っ走ってしまう性格もあって、そのうち、同級生との間に距離が出来てしまい、私は孤立状態になっていました。そのころ、頼れる先輩はもう引退してしまっており、後輩にも情けない姿は見せられない、と私はなんでもないふりをし続けていました。そして、冬の中盤ごろ、先輩と偶然会ったときに、私の様子に気づいてくれた先輩は、相談に乗ってくれました。そこで先輩から顧問の先生に相談した方がいいと言われ、先生にも相談をしました。先輩や先生に話を聞いてもらったことで、気持ちがかなり楽になりました。先輩や先生には、「私からみんなに声をかけようか」と言われましたが、私はそれを断り、自分から同級生に話しかけてみることにしました。いつ話しかけようかと迷っているうちに春になり、クラス替えがありました。すると副部長の子と同じクラスになり、自然と普段から話すようになりましたそうしているといつの間にか他の同級生のほとんどとも話すようになり、徐々に1年生の頃の仲の良さが戻ってきました。あるとき、副部長の子と話していると「初めからもっと頼ってほしかった。これからなにかあったら、何でも相談してほしい」と、照れくさそうに言われました。そこで、自分が今まで人を寄せつけず、何事も自分で済ましてしまおうと、無意識のうちに思っていたのに気づきました。話を聞いたところ、同級生の中の何人かは私の部長としてのやり方が嫌で、意図的に避けていたそうですが、副部長の子も含め、半数の子は特に気にしていなかったそうです。その話を聞いて、距離を置いていたのは自分だったのだと感じました。他人とは、実際に話をしてみないと伝わらないことがほとんどです。避けられているように感じても、実際は向こうにその気がないかもしれません。また、誰かに頼りにされると、嬉しいという人が多いと思います。もし、人の上に立つ立場になったら、積極的に周りの人を頼ってください。一人で突っ走っている人を見ると「勝手にしろ」と思う人は多いですが、頼られて「情けないやつだ」と思う人はあまりいません。こういった立場で人間関係を円滑にするコツは、周りをたくさん頼ること、それからなにか気になることがあったらすぐに本人に確認すること。それが人間関係をこじらせないコツだと思います。


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