[586] 転校してわかったこと
ソリューション データ: 私は中学のときに転校を経験しました。辛いことに、ちょうど入学式の日に転校したため、まだ女子グループが確立されていない時でした。 ただ、急に決まった転校の為、私だけ皆と違う制服で。 入学式に参加してるいる時もクラスメイトに陰口言われ、しまいには彼らの保護者からも陰口言われ大変でした。入学式以降も周りは自分の友達を作るのに精一杯のようで、私が話しかけても流される感じでしばらく寂しかったです。 ただ、時間が経つにつれて、周りにも余裕ができたのか普通に話しかけてくれるようになりました。 何事にもやっぱり余裕って大切なのだと思います。気長に待っていれば割と何でも解決するかもしれません。
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[585] グループができて・・・
ソリューション データ: 高校1年生の時、暮らすで5、6人のグループでいつも一緒にいました。しかし、2年生になる時のクラス替えで、別々になりました。私はその中でも特に仲の良かったAちゃんと一緒になりました。そして、そのクラスでもグループができました。1年生の時に同じグループだった何人かと別の2人を加えて行動していました。でも、性格上、私とAちゃんは他の人とあまりあわず、別行動が多くなりました。それでも、Aちゃんはグループで行動したいといいました。それで私もグループになじめるようにしましたが、やはりグループの人たちは距離を置くようにしていたので諦めようと思いました。そこでグループの1人にAちゃんもいれてあげてと言って、私はほかの友達のところに行きました。Aちゃんはそのグループで馴染めたかはわかりませんが楽しそうだったので、それなりに良かったと思いました。
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[584] 思い出
高校二年
クラス
ソリューション データ: 高校2年生の時、学校行事の合唱コンクールの指揮者に選ばれました。私は音楽的経験がありませんでしたからクラスのみんなに心配をかけていました。それならば他の音楽的経験がある子が何故やらないのかとうと、指揮者を決める時に誰もやりたがらなかったから「それならば私がやる」と立候補したからです。 皆私の指揮に不満と心配を持ちながらも、こういう事情があり、表面的には何も言ってきませんでした。 でも練習の甲斐あってか私のへっぽこな指揮は十日前にして何とか形にはなりました。 しかし、一週間前になって「私の指揮では入賞は狙えない」と思う子供たちを筆頭にクラスで私を指揮者からおろす話し合いが開かれました。 すると話し合いの途中から参加していた担任の先生が泣きながらクラスの子たちを叱りだし、結果多数決ということになりました。 多数決では私を指揮者から外すが六割くらいで多かったのですが、最終的に私の意志に委ねられたので、私は指揮者を続行することを選びました。 本番で入賞はなりませんでしたが合唱コンクールの次の日に黒板に皆からのメッセージが書かれてありました。 途中辛いことがたくさんありましたが、不満は学校内では言わず全部家でいうようにしていました。 音楽的経験がある友達にたうさん支えてもらいました。
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[583] 3人で話し合い
ソリューション データ: 小学校低学年の頃,私はとても仲の良いAさんといつも一緒に行動していました. ある時,同じクラスのBさんが私達2人の間に加わるようになりました. しかしBさんは,一方的に自分の自慢話ばかりを話したり,ツッコミのようなのりでふざけてAさんの頭を叩いたりするので, 私とAさんはBさんに苦手意識を持っていました. そして,毎日一緒にいることで,私達はBさんの行動に我慢ができなくなりました. そこである日,私とAさんは帰りの会が終わるとすぐに教室を出て,Bさんに声をかけられるより先に2人で下校しました. その日の夜,Bさんの母親から私の家に,なぜBさんを避けるようなことをしたのか,という内容の電話がかかってきました. 私達がBさんの行動に困っていると知っていた私の母は,Bさんの母親にそのことを説明してくれました. そして翌日3人で話し合い,Bさんは私達が嫌だと感じるような行動をしないように気をつける,という事になり,その後は仲良く過ごすことができました.
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[582] 先輩の面子
ソリューション データ: * 中学生の頃に,部活動の後輩がマナーが悪く練習にも真面目に取り組まなかったため,苛々がたまり,敵対視をしていたように思います. また,一つ下の後輩には「先輩」としての威厳というか,なめられたくないという気持ちもあったのか,後輩を集めてよく叱っていました. そういう経験もあり,高校生の頃にも,中学生の頃よりは軽減していてもまだ敵対視していたような気がします. そうした理由で,同学年の部員が後輩と友達のように接しているのを許せませんでした. そして,だらだら後輩が練習しているのに対し,それをよく思わない部員たちと注意することもありました. そうして,引退に近付くにつれて,いつの間にか自分の中の敵対視は薄れていました. そして,引退後部活動を再開してからは今まで以上に本当に仲良くなることができました. おそらく,自分が引退下見となり,今までの威厳を失いたくないとする自分の殻が外れ,引退したけれど参加させてもらっているという謙虚な気持ちになり, 一歩下がった目線で後輩を見ることができたからであると思います.
* 以上のことを振り返ると,中学校や高校では「先輩」という地位を守りたかった自分が居た. また引退後再び部活動に参加したことで,新たに後輩ができて成長した後輩に接し, 敵対視は更に消え,「先輩」というものにもとらわれずに後輩ととらわれずに後輩と接することができたのだと思います. 以上より,一度自分の立ち位置から離れて見ることは新しい見え方や人間関係を築くことができると思います.
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[581] 小中学校の転勤で。
小中学生
親友
ソリューション データ: 私は親の仕事上、小中学校にかけて各地を転々としてきた。特に中学校の頃は毎年転勤したため、三学年すべてがことある学校となった。友田火を作っては関係がなくなり、また新しく作ってはなくなりを繰り返すことで「親友と呼べるような友達はできなかった。また、年齢が上がるにつれ、転勤先ではすでにグループやつながりのわができており、その中に入るのは非常に難しかった。中でも中学三年の頃はそのことを痛感し、友達を作ることを初めからあきらめていた、また、グループに入ってはみたものの、あからさまな嫌がらせを受けたり、悪口を言われたりしたこともあり、次第に一人でいるようになっていった。 学校での移動教室、給食の反、学校の行き返りなど、周り女子は何かしらのグループで行動していたが、私はほとんど一人で、それがとてもつらかった。非常に苦痛だったのは修学旅行で、行動はんやバスや新幹線の席・レクリエーションの掛を決める際、そして実際に修学旅行での毎日において、いつも自分が一人なのを感じた。組む人がいないため先生と一緒に行動することも、周りから「友達がいない」とみられているようで嫌だった。 学校に希望が見いだせず、先手新学校といわれる高校に入ればそういういじめをする子がいなくなるのではと思い、勉強だけをがんばろうと夏期講習から塾に通い始めた、その塾において、同じ志望校を目指す同中学校のことであった。同教室で勉強する中で、次第に授業以外でも一緒に勉強するようになった。家が近かったこともあり、お互いの家を行き来する中で打ち解けていき、私にとって初めて「親友」と呼べる友達ができた。クラスが違うので学校で一緒にいることはできず、相変わらず私は一人でいることが多かったが、放課後塾でその子に会えるということは、それだけで一日元気になれた。また、自分にとってレベルの高い学校を目指していたものの、同じ目標を追っているということでやる気が出たし、すべてにおいてポジティブに考えることができるようになった。 最終的に彼女も私も志望校に合格することができ、さらに高校ではそのポジティブな気持ちを持ち続けられたことで、たくさんのステキな人と出会い、かけがえのない友達を作ることができた。中学校の思い出はあまり良いものではないけれど、それがあっての今だと感じているし、そう思える自分になれて本当に良かったなと思っている。ちあみに高校を卒業してから八年たった今でも その子は大事な仲のいい友達の一人だ。
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[580] 自己中心的な友達
中学1年
友達
ソリューション データ: 私は中学1年生の時、仲の良い友達4人グループでいつも行動していた。その中に1人自己中心的な子(Aちゃん)がいて、私たち3人はいつも振り回されていた。 例えば私たち3人が男子と仲良くおしゃべりしているのが嫌いで、その様子を見た瞬間機嫌が悪くなったり、「○○をしたい!」と言い出すと止まらなかったり、自分で気に入らないことがあったらだらだら悪口を言ったり……。 最初は私たち3人も我慢していたが、とうとう耐えきれなくなり、不満なことを全部Aちゃんに伝えてしまおうということになった。 Aちゃんはいつも女王様的な存在だったので、とても言い出しにくかったが、3人で頑張って伝えた。Aちゃんは、そんな私たちの態度に最初は反発してきたが、話していくうちに泣き出した。話が終わるころにはとても反省した様子だった。 そのあとのAちゃんの自己中ぶりは、許容範囲まで緩和された。
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[579] 時間が解決してくれた!
ソリューション データ: 高校1年生のとき、すごく仲のよかった女の子がいました。私はその子の彼氏さんとは顔見知りではなく、その子が言う愚痴を聞いたりよく相談に乗ってあげていました。 しかし、月日が経ち、その子たちが別れ、私はたまたまその男の子と仲良くなりました。そして付き合うことになりました。 しばらく経ったある日、その子の態度が突然冷たくなりました。最初は何のことか全然分からず、友達に協力してもらいやっと理解しました。その子は、私が一緒に愚痴を言っていたのにもかかわらず平気な顔をして、その男の子と付き合ってるのが気に食わなかったそうでした。たしかに思い当たる節はあるけれど、そんなことがきっかけで友達でいられなくなったことが残念で仕方ありませんでした。 今、その子とは普通に仲のいい友達です。それまでの過程に何があったわけではありませんが、時間が解決してくれることも本当にあるんだということがわかりました。
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[578] けんか
小学生
男の娘
ソリューション データ: 小学生のころ、男の娘とけんかして蹴られてしまった。あざができたり怪我をしたりというわ けではなかったが、今日の出来事として親に話したところ父が激怒してしまい、校長を交えて 相手とその親と父と私で話し合いをすることになってしまった。その頃は、このうわさが広ま ったら、怪我もないのに大げさだと友達に言われるのではないかと不安だった。しかしそんな うわさが広まることはなく、話し合いをしたことで仲直りすることができたのでよかったと思 う。また、それから三年後の卒業の時に、喧嘩の相手が笑い話として友達に話した時もみんな で楽しめたので、少し大げさに思うことも時にはやることで解決する問題もあるのだということがわかった。
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[577] 文化祭
中三
私
ソリューション データ: 中三の文化祭の役割決めをしていたときに、クラスの中心的な子が私と同じグループは嫌だと いうことを私の目の前でぼそっと言ってきた。それを聞いて私はクラスの女子みんながそう思 っているのではないかと不安になってしまい、クラスの女子から離れてクラスの中で目立って いない男子のグループに入れてもらってその人たちと過ごすことが多くなった。はじめの方は それで楽しく過ごせていたが、だんだん自分のせいでこの男子グループの人たちもクラスの人 に嫌われることになったらどうしようと考えるようになり辛くなった。そんな時、私の様子が おかしいと気づいてくれた子が家に電話をしてくれた。その子にすべて話したところ、考え すぎであると指摘してくれ、自分は嫌ってないし自分の周りにいる子もそんなこと言ってない と言ってくれた。また、クラスの中心的な子にも私が悲しい思いをしたということを伝えてく れたようで、次の日からクラスの中心的な子から”おはよう”と言ってくれるようになっ た。それでも文化祭以降もずっと男子グループの中で過ごしたが、気持ちは楽になり文化祭以 降の行事も楽しめた。
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