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SolutionBank.net > 家族問題編 > 男性

 [456] 弟の挫折
 高校  


ソリューション データ:
私には二つ下の弟がいます。弟は勉強はできませんが、バレーボールの学校裁量枠を利用して収束率の高い工業高校に進学しました。弟の身長は約165センチメートルと決して高くはありませんが、家族は学校裁量枠を利用しての偏差値のレベルの合わない学校への進学を不安に思っていましたが、弟は途中で投げ出さないことを約束して受験しました。
 しかし、入学してみると弟より背が高く、力が強く、うまい選手はたくさんいました。時々練習試合に出させてもらっていましたが、メンタルの弱さからチャンスを生かすことができず、結果がでないままで居ました。勉強もレベルが高く、朝から晩まっでバレー漬の生活をしている勉強ができない弟はいつの間にかクラス最低の成績になっていました。私も弟の勉強の手伝いをしましたが基礎のできていない弟の成績は一向にあがりませんでした。
 そんなある日、弟の部活の顧問の先生から母の携帯電話に「弟が部活に出ずに帰ってしまった」という電話がきました。弟にワケをきくと、「顧問に学校生活のことで注意され、顧問に会いたくなくなった。部活もやめてしまいたい。」といました。弟の言葉には母は激怒し、顧問への謝罪の電話を弟にかけさせました。その後、母と弟時間にもわたり話し合いをしました。
 話し合いの結果、なんとか弟を説得し、部活に活かせつ事ができました。以前と変わらずレギュラーにはなれませんでしたが、弟は顧問と反しあい、チームになかった利部とになる決断をしたことで、試合に出られるようになりました。弟は自分と向き合い、今までと違う角度からこらえを出すことができたと私は思っています。

 [446] 兄との差
 小さいころから  

家族


ソリューション データ:
私は部活どうで野球部の主将を務めていた。チームの中心にいて士気高めなければならない存在だが、長い間先生に認めてもらえない時期が続いていた。野球の技術もなく試合で失敗ばかりしていて、先生にキャプテンなのだからもっとしっかりしろと何度もいわれた。自分でも主将として力不足であることは自覚していたので、それを言われるたびに悔しくて見返そうと思っていたのだが何を試みてもうまくいかず悩んでいた。しかし私が主将に任命されたのはチームメイトからの推薦だったので、先生に何を言われても認めてもらえなくてもチームメイトから認められる主将になれるように努めるようにした。仲間から信頼されるのは野球が下手な自分にもできるとお思い、うまくなることよりもチームに貢献することが自分の役割だと思った。練習への取り組み方や勉強も誰にも負けないように努力すれば認めてもらえるのではないかと思い、ひたすら打ち込んだ。結局私は試合に出場することはできなかったが、チームとしては最も良い成績を残すことが出来たので、自分のやってきたことは間違いではなかったのだと思っている。何かどんなに小さなことでも自分にできることを見つけて、それに対して自信を持つと同時に一生懸命打ち込むことが大切なのだと思い、この問題を乗り越えることができた。

 [445] 親との関係
 反抗期  


ソリューション データ:
反抗期で親と不仲になったとき、私は親と顔を合わせるたびに喧嘩をしていた。時には殴られたり、私が家を出て、何日も帰らないこともあった。話し合ってどうにかなるような状態ではなく、むしろ話し合えば話し合うほど、いk年の相違が浮き彫りになり、余計に亀裂を生んだ。最初は私も親に理解されようと必死になっていたが、段々と親子だからといってすべて分かり合える訳ではないし、所詮違う人間なのだから、それぞれが違う思考や意見をもっていたっていいじゃないかという結論に至り、すべてを理解してもらいたいという私の願望がなくなった。そうすると私も親のすべてを理解しなくてもいい、親の理想通りにならなくていい、という安心感と余裕が生まれ、いちいち親に突っかからなくなっていった。私のそんな態度を見て、親もだんだんと私の考えを理解してくれるようになり、自分たちの思い通りの娘にすることをやめてきた。今でももちろん衝突し、喧嘩になることも多いが、私が考え方を変えたことによって、反抗期は無事に終えることができ、親との関係もうまくいっているように感じている。

 [444] 父とのケンカ
   


ソリューション データ:
今は1人暮らしなので離れて暮らしている父親とけんかしたが丁度レポートやテストで忙しい時期でしばらく連絡せずにいたらあっちが折れて謝ってくれた。

 [441] うるさい年寄り
 高校一年  

祖母


ソリューション データ:
私には高校一年生の時から目指している職業がある。高校生の頃、母方の祖母に私が考えている進路について話したことがある。私に直接言ってきたわけではないが、母に「そんなものバカでもなれる」と言っていたようだ。それ以降も、私にははっきり言わないが、叔母のリサーチをもとに、母親にはわたしの進路について散々文句を言っていたようである。資格を取ってその職業に就いて活躍するのは決して容易ではないのに、知ったかぶりをして否定してきたこと、しかも、私に直接言えば私が論破してやったものを文句を母親に言ってきたことにも非常に腹が立った。また、祖母は一流大学に入るのが全てだと思っており、世間体を気にするタイプだったので、わざわざ説得する気にもならなかった。世間に出ず、家庭の中でしか生きてこなかったからなのか、
一緒に暮らしている叔母や自分の兄弟に言うことは鵜呑みにしそれらにそぐわないことは受け入れようともせず、否定してしまう。祖父は頭が良く、何でも興味を持つ人だったので、もし祖父が元気に生きていれば状況が違ったのかもしれないが、母方を取り巻く人の中に私の味方となる人は誰もいなかった。その後、この他にも様々な問題が生じ、私と私の家族は祖母の周辺の方々とは約二年絶縁状態にある。問題は根本的な解決に至ったわけではないが、現在、私はその職業になるために大学に入り、日々勉強に励んでいるので、今はこれで良いと思っている。自分の凝り固まった価値観でしか物事を判断できない人間にはなりたくないと感じた経験だった。

 [438] 母と子の関係
   

ソリューション データ:
私は3兄弟の末っ子で、今思えば親からは比較的甘やかされて育ってきた。そんな私は保育園に通っていた頃から卑屈で、心のどこかで周りの人たちを冷めた目で見ていた気がする。このような性質は小学校、中学、高校に上がっても変わることはなかった。ただ、昔から友人や周りの人に対しては親しく接してきたつもりで、いい子でいようと常に思っていた。
しかし母親に対しては違った。親子の関係は決して悪いものではなく、むしろ普段から仲は良かったが、なぜか母親よりも優位に立とうとする自分、ときに見下している自分がいた。そのことに対して、小さい頃から子供ながらに罪悪感を覚えてはいたが、感情的になってしまい同じことを繰り返した。
そんな中、様々な出会いを重ねていくうちに、自分と似たような人に出会った。その人もどこか冷めた目でモノを見ているようで、付き合いを深めていくうちに、居心地の悪い瞬間に気づくことが多くなってしまった。しかしこの出会いで、自分の傲慢さに気づくことができた。そして今までの自分の考えが子供であったことや、母親の気持ちに気づくこともでき、少し成長した。

 [437] 家族について
 学生  

家族(母親)


ソリューション データ:
僕は、あまり母親に好かれていません。明らかに弟や妹に比べて雑に扱われます。僕も「ものすごく好かれたい」というわけではないですが、せめて平等に扱ってほしいという願望がありました。今となってはあまり望んでいませんし、これくらいの距離感がちょうどいいと思っています。そもそも僕は母親に嫌われているわけではないと思います。弟や妹に比べると、態度が冷たいです。たかだかその程度のことですが、家族は基本的にどんな時でも同じご飯を食べて、同じ屋根の下で寝ます。一緒に過ごす時間がどうしても長くなってしまいます。家族と良好な関係を築いていきたいというのは誰もが願うことだと思います。僕は結局母親と分かち合うことはできませんでした。できないまま大学生になり、実家を離れて一人暮らしを始めてしまいました。今はそれでもいいかなとも思っています。それでも大事な時にはきちんと連絡を取る。これくらいの距離感のほうが僕には合っている気がします。家族とうまくいかない。そんな時には少し離れてみるというのもアリだなと思った瞬間でした。

 [436] 家庭でのこと
 高校の時から現在まで  

認知症の祖父と祖父の世話をしない祖母


ソリューション データ:
私には認知症の祖父がいます。祖父は今、祖母と二人で暮らしていますが、私の住んでいる家ととても近いところで暮らしています。私が高校生の時その祖父が突然認知症になってしまいました。認知症といっても私の名前もまだ忘れてはなく、健康状態もいたって良好です。しかし、祖母はいまだに認知症の祖父を受け入れることができないのか祖父の世話をしっかりとしません。また私の母はシングルマザーとして家を支えるために毎日仕事で帰りもとても遅いです。だから祖父の周りにはしっかりとした世話をしてくれる人がおらず野放しになってしまいました。そこで私と私の弟は毎日交代で世話をすることにしました。祖母は祖父が突然できなくなってしまったことに呆れたり、腹を立てたりしながら世話をしていていつも家が荒れていましたが私や私の弟が世話に行くことによって祖母の木下が悪くなることが少なくなりました。この家庭のバランスは周りから見るとよくないように見えるかもしれません。しかし私の家ではこれ以外に解決策が見当たらないし、今の段階ではバランスがとれているので変える必要もないと思います。そして私自身認知症の祖父の世話をしているうちに社会福祉というものに興味を持ちました。祖父の認知症がなかったらこの学校には来ていないと思うのでこの出来事がよくない出来事だとは思いません。逆にこの経験を自分の将来に生かせると思うのでそういった面ではよかったと思います。

 [423] 家族のありがたみ
 父がうつ病になった時の話し  

家族


ソリューション データ:
父がうつ病になり仕事を休み、母がパートするようになってから夫婦間の中が悪くなりました。さらに何年後に祖父ががんになり入院したり、弟の友達が家に遊びに来て外で遊んでいるときに交通事故にあったりと不幸がつづき母のメンタルも壊れていっていました。その時、独身していた父がくも膜下出血で倒れました。その時から家族のありがたみをみんなが少しずつ
理解するようになりお互いを手伝いにきてくれたり、近所の人がずっと車がないことを気にして料理をもってきてくれたりと周りの多くの支えもあったなと思います。不幸なことが続いたけれど大切なことを理解できたと思います。

 [406] 新しい家庭での疎外感
 高校生  

新しい家庭


ソリューション データ:
 私の母は私が高1の時に再婚した。そして、高2の時新しい妹ができた。初めの方はあまり感じなかったが、徐々に家族であるのにもかかわらず疎外感を感じ始めた。また、母・弟・私で築き上げてきた「家族」が壊されていく感覚。こんなこと友達に話すには重すぎるし、もちろん親に言えるはずもなく日に日に自分の中に溜め込むしかなかった。溜め込むのだって限界があるわけで、泣きたくなることもあったが、泣いたら負けのような気がして我慢した。そんなある日、祖父母の家にいとこが来るということで皆で行くことになった。夜になり、私と弟は泊るためそのまま留まったが、母たちは家に帰った。その夜、最初は叔母と祖母と普通に話をしていた。何がきっかけだったかは憶えていないが、「なんか最近、疎外感、感じるんだよね…」から始まって、自分の中に多面こんでいたものを吐き出していくうちに、涙が止まらなくなった。2人も私につられて泣きながら慰めてくれた。しばらくして落ち着いてくると、吐き出す前よりだいぶ気持ちが楽になっていることに気が付いた。この時、素直に自分の気持ちを吐き出せて泣けるような人がいてくれることの大切さを強く感じた。また、兄弟がいることにも救われたところがあった。弟も少なからず同じことを思ったりしていたので、時々話したりして、気持ち楽になった。一人っ子だったらきっと耐えられなかったと思う。


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