いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
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男性/女性/...
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男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
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男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
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 [455] 妹とケンカ
 小学校から高校校  


ソリューション データ:
小学校から高校まで、同じ年である妹とずっと一緒の進学先でした。常に比べられてしまう相手がいることは、時にプラスになったり、マイナスになったりしました。高校の時は妹はマネージャーで彼氏持ち、人脈も広く毎日楽しそうに過ごしていたので、主張を普段からあまりしない私は劣等感を抱くこともしばしばありました。あんなに出来た妹がいるなら、私はどうして居るんだろうと深く考える時期もありました。今思えば、「双子」という枠に囚われていたと思います。私は私、妹は妹、そう思うと、楽になりました。

 [454] 姉への感謝
 大学  


ソリューション データ:
私は今お姉ちゃんと2人で暮らしています。大学1年の頃は、学校もバイトも忙しくなかったので、お姉ちゃんと協力して家事をしていました。でも、最近私がレポートやテストで忙しく、なかなか家事を手伝えなくなってきました。いつも任せきりにしてしまって、毎日申し訳ない気持ちでいっぱいで過ごしていました。一緒に夕食を食べないので、顔を合わせる機会も少なくなり、少しぎくしゃくしていました。それを友達に相談すると、今忙しくて何もできないけど、そのかわり、夏休みがすごく暇になるからそしたらいっぱいやってあげればいいじゃんと言われました。私は、お姉ちゃんにそれを伝えました。お姉ちゃんに、わかった、頑張ってねと言われて、とてもすっきりしました。毎日、お姉ちゃんに感謝して過ごしています。

 [453] 家族との和解
 小学生・高校生  

両親


ソリューション データ:
私の家族は、父、母、兄、私の4人家族である。私が小学生のころまでは、よくキャンプに行ったり、スキーに行ったり、ドライブをしたりと、本当に仲が良かったと思う。周りの友達にも、とてもうらやましがられていた。キャンプに行ったことや、スキーに行ったことは、本当に楽しくていい思い出だった。私はそれまでは家族が大好きだった。しかし、私が小学6年生のとき、父が浮気したという疑惑が浮上し、母が大激怒し、母に「明日からお父さんいないから。」と言われたことを今でも覚えている。その時私は小学6年生だったので離婚は嫌だと泣き喚いて、何とか離婚を阻止しようとした。その甲斐あってか、しばらくしたらいつも通りに戻った。しかし、私が高校3年生の夏に再び、父が浮気をしたという話を母から聞いた。それを聞いて私は、父に裏切られたように感じたし、また、私を味方につけようとする母にも怒りを感じた。私は、両親が大嫌いになり、会話もほとんどせず、必要最低限の話しかしなかったり、なるべく家にいる時間を短くしたりするようにしていた。私は早くこの状況から抜け出したくてたまらなかった。その頃受験期だったので、あと数か月でこの家を出られるという事だけが唯一の心の支えだった。無事に受験が終わり、1人暮らしをしている今、家事はすべて自分がやり、家に帰っても1人という状況で、とても心細く感じる事がある。さらに、大学の学費や、生活費などは両親がすべて負担してくれている。これらを思うと感謝の気持ちがあふれ出てきて、今までの自分の行動に深く反省した。そして、最近やっと両親と和解することができ、本当に良かったと思う。

 [452] 兄弟は1番長く共に生きる家族
 高校生  


ソリューション データ:
高校生の時、2つ下の妹のことが嫌いで冷たく突き放していた時期があった。妹は私よりも美人で、友達も多く誰とでも仲良くなれてしまう甘え上手な性格。高校時代、常に人付き合いや自分自身の在り方を模索していた私にとって、妹は羨ましくもあり苦労知らずに思えて憎らしくもあったのだ。そんなある日、たまたま妹の部屋で日記帳を見つけてのぞいてしまった。そこには学力の面で悩んでいること、別れた彼氏に自分の悪い噂を言い広められて辛いこと、姉である私が最近冷たくて寂しいことなどがつづられていた。それを見た時、妹も見せないだけで私と同じような苦労をしているのだ。やっぱり私と似ているんだなと感じ、これからは妹を大切にしようと思った。私が大学に進み家を出てからも、妹とは毎日のように連絡を取っている、今では妹は両親が私にくれた1番の宝物だとも思える様になった。

 [451] 家族のいざこざ
   

ソリューション データ:
一時期、家族の中がぎくしゃくしている時があった。父の機嫌がすぐに悪くなり原因もよくわからないままに母に当たり散らし、母がすごくかわいそうだった。そんな日がずっと続いでいたので、母に「もう離婚してもいいかな?」と聞かれたことがあった。今では母の気持ちを考えると、いいよと言えると思うが、その当時は父と母が別々に暮らすことが嫌で仕方なかったので、離婚しちゃダメだよ、と言ってしまった。その日からずっと、本当に離婚しちゃうのかなと思うと寂しくて仕方なかった。でも私の友達はほとんど私の父と会ったことがあったので、友達に相談することもできないでいた。でも誰かに話さないと無理だと思い、親が離婚してお母さんと一緒に住んでいる友達に電話した。私の話をずっと聞いてくれて、「大丈夫だって!親はそんなに簡単に離婚するもんじゃないよ。絶対しないと思う」と言ってくれた。その言葉ですごく救われた。誰にも話せなかったから本当にすっきりしたし、その子は私の安心するような言葉をたくさんかけてくれた。そこから私も冷静になることができた。両親の問題は、父の出張は多くなったことが解決した要因だと思う。長期出張なども多くなったので、家にいる時間が前よりもだいぶ減った。そのせいか、帰ってくる時はお土産を買ってきてくれたりもするし、前よりも家にいる時間を大切にするようになった気がする。母に当たるようなことも無くなり、家事の手伝いなどもするようになった。母も明るくなったように感じる。たまには母の愚痴を私や妹が聞いたりするようになったのでストレスを溜めたりもしていないようだ。友達が話を聞いてくれたおかげで私は救われたし、父の出張が増えたことで家族の問題が解決した。

 [450] ずっと見守っていてね
 小学5年生  

祖父、母親


ソリューション データ:
私は、小学校5年生の11月に母方の祖父を動脈瘤が原因で亡くしました。祖父母の家は自宅から車で10分ほどの距離にあったため幼いころから週1回くらいのペースで夕食を食べに家族全員で行っていました。祖父は、本を読むことや、人と話すことが好きで、とても優しく、いつもベッドで本を読んでいるところに行くと、「よく来たね」と言って可愛がってくれました。また、母方の祖父母にとって私は初孫であり、1歳になるまで毎日保育園の送り迎えをしてもらい、熱が出た時にはいつも私を預かり、世話をしてくれました。そんな祖父に動脈瘤があることが判明したのは2005年の4月のことでした。背中の痛みを訴え、病院に行って精密検査をしたところ動脈瘤が発覚し、即入院となりました。それからというもの2週間に一度日曜日にお見舞いに行きました。祖父は、治療を続けて6月には手術を受け、無事に成功し一時帰宅を果たしました
私が祖父母の家に行くと肺活量を戻すための器具や血圧計があったこと、祖父の足が風船のようにパンパンに膨らんでいたことを鮮明に覚えています。退院したので「もう大丈夫」と安心していたのもつかの間、食欲が減り、とても痩せてしまい、祖父は再び入院となりました。そして、お見舞いに行く頻度は週1回となり、小学生であった私と妹は祖父と挨拶や少しの会話を交わした後は病院のロビーで退屈だったのでゲームをしていました。その状態が2ヶ月ほど続いたある朝、いつものように起床すると母から「じいじ、死んじゃったよ」と聞きました。私は、全身から血の気が引くのを感じ、茫然として涙を流すことすらできませんでした。「どうして連れて行ってくれなかったの?」と両親に尋ねると、「深夜遅くに連絡が入ったので幼い私たち姉妹を連れていけなかった」と両親は言いました。しかし、最期の瞬間に私は立ち合いたかったです。最後に見た祖父の姿は「また来てね」と言って手を振る調子の良さそうな祖父の姿だったので亡くなってしまったという実感が沸かなかったのですが、お葬式の日に冷たくなった祖父に触れて初めて本当に死んでしまったのだと悟りました。そして、「もっとたくさん話したかった、可愛がってくれてありがとうと伝えたかった」そう伝えたくて今まできちんと言わなかったことを後悔して毎日泣いていました。でも、ある日母が私に「じいじは佳奈のそばにずっといるよ。いつでもそばで見守っている。じいじが付いていれば佳奈には何も怖いことはないじゃない」と言ってくれ、それからは祖父が悲しむからもう泣くのはやめようと決めました。そして、それからというもの、辛い時や嬉しいことがあった日は祖父に心の中で報告をするようにしています。この方法をとるようにしてからは祖父を身近に感じ、すごく気持ちが軽くなった気がします。きっとこれからも祖父は私の心の中に生き続け、私を見守ってくれると信じています。

 [449] 「待ち」の姿勢
 小学校〜中学校から高校受験前まで  


ソリューション データ:
妹が小学校、中学校で不登校になった。父親はなんとか妹を学校に行かせようとしていたが、母親は落ち着いて「彼女が学校に行きたくなるまで待とう」という姿勢を貫いていた。結果、高校受験前には彼女も学校へ向かうようになった。

 [448] 妹への態度
 不明  


ソリューション データ:
私には、9つ離れた妹がいます。9つも離れていれば可愛くて仕方がないだろうと思う人もいるかもしれませんが、この妹は驚くほど生意気です。周りが大人ばかりだからか、口ばかり達者で、注意されても言い訳をし、決して自分が悪いとは認めず、また驚くほどわがままで、そのわがままが聞き届けられなければキレる、母にも私にも口答えばかりで、お世辞にも可愛いとは思えない性格です。また、頭がよく、私ともかなり年が離れているにもかかわらずよく口論になります。正直に言って、妹のわがままに付き合うのも、喧嘩になってしまうのもすっかり辟易してしまい、もういっそのこと完全に無視してしまおうかとすら考えていました。しかしそんな時、叔母に妹は私のことをああ見えて姉として慕っているのだから、冷たく突き放したりせず、それに応えられるようにならなければいけないはずだ、と注意された。その言葉でようやく、妹はまだ10歳でしかないのだとハッキリ理解できたような気がした。自分は妹の態度に苛立ち、つい言葉がきつくなっていた。こんな態度では妹が益々頑なになっても仕方がないというものだった。それ以来、妹に対してできるだけ優しく出来るようにと心がけている。それでもつい、妹に冷たくなってしまうことがあるが、自分は姉であり、妹はまだ幼いのだということを肝に銘じ、妹にとっていい姉であれるようにいたい

 [447] 家族との トラブル
 受験前  

家族


ソリューション データ:
受験の時に、志望校のことなどで家族と意見が合わず悩んでいると、お世話になっていた先生が親身になって話を聞いてくれ、解決まではいかないとしても、こころが軽くなり、勉強に集中することができた、信頼のできる人に話を聞いてもらうと落ち着くと思う

 [443] 統合失調症と薬
 小学校3年生から4年生にかけての一年半  

母親


ソリューション データ:
 私には元統合失調症の母親はいる。一時期は強制入院させられるほど重度であったが、今は8割治っている。しかし、8割治ったとしても、のこりの2割は完治しないと医師に告げられている。それも、毎日薬を飲んで症状が出てくるのを抑えなくてはならない。私の母は、強制入院のあとまるで別人のように大人しい人になっていた。
私がおなかにいるときに統合失調症ににかかったので、私は小学四年生にして初めて本当の母親の性格を見ることができた。しかし退院して2年くらいが経ったころから母は、「もう治ったのだから薬は飲みたくない。」と言い出した。また病気の時のような性格に戻っていた。子育てはストレスがかかるため病気の再発に繋がりかねないと医師に告げられ、私は祖母の家に、母は病院の近くに一人暮らしをしていたので、自立して生活をしているのにいつまでも精神科に通院していることが嫌になってきたのだろう。
母は徐々に薬を飲まなくなり病気は再発していった。
その時は私もまだ中学生になったばかりだったので、叔父と祖母が母を説得してくれ、また薬を飲んでくれるようになった。しかし、私が中学3年の終わりごろ母は18歳下の男性と再婚した。私たち家族は結婚生活によるストレスからの病気の再発を懸念したが、反対することによる病気の再発も恐れ、そのままにした。するとやはり母はストレスからか病気が再発した。薬もやめてしまっているようだった。そして叔父と母は大ゲンカになり、ついに絶縁状態になってしまった。高校一年生になっていた私は、どうにかして母に薬を飲んでもらうために試行錯誤した。そして解決策として思いついたのが、毎晩22時15分に母から電話をかけてもらい、電話口で薬を飲んでもらうことだった。こうすることによって母に薬をのむ習慣がつくし、声や口調で病気の再発にも気づけるし、母はよく私と話したがっていたので一石二鳥なのであった。この方法をとってもう3年がたつが、いまだに毎晩電話をしているし、病気も再発せずに結婚生活も順調におくれている。


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