いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
異性とのあれこれ編 (135)
男性/女性/...
仕事編 (229)
男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
精神的な症状編 (137)
男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
 and or  

現在の総登録数:2518
to 家族心理.com

SolutionBank.net > 不登校編 > 男性

 [83] クラスからのメッセージ
 小学六年生  

自分


ソリューション データ:
小6のとき、一か月以上の通院入院のあと再び小学校に行こうとしたら不思議と学校に行く勇気がなくなってしまった。
小学校には友達もいたし嫌なことをされたこともなかったけれど私がいけなかった一か月で学校に私の居場所がなくなってるように思えた。
どうしても行く勇気が持てなかったある日クラスの全員から手紙が届いた。何気ない手紙の言葉一つ一つが私を少しずつ笑顔にし学校に行く勇気を与えてくれた。

 [82] 相談のありがたみ
 中学生  

自分


ソリューション データ:
中学生になった時私立の中高一貫校に通っていたため学校が遠く、二週間ほど保健室登校でした。担任の先生と保健室の先生が話を聞いてくれて一緒に悩んでくれました。
登校にそのうち慣れて、無事に六年間楽しく通い切りました。

 [76] 高校中退
 高2の時  

ソリューション データ:
高2の時不登校でした。最初は怠学でしたが、学校に行かなくなると、授業についていけなくなり、成績も落ち、どんどん学校に行きづらくなりました。そのまま夏休みに突入し、9月になった時、心配した母が知人のつてでアルバイトを探してきて、学校にいかず、アルバイト生活をしていたので、引きこもりにならずにすみました。3学期からまた登校しましたが、やはりうまくいかず、3月末に退学。その後、アルバイトしながら通信制の高校を卒業して、受験して進学しました。高校に籍があるのに行っていない時期が一番もやもやしてました。学校をやめた時はスッキリして、新しい一歩が踏み出せたと思いました。中退はいいことではないかもしれないけど、気持ちを切り替えるために必要なことだったと思っています。

キーワード:
アルバイト 新しい一歩

 [75] 注意
   

ソリューション データ:
高校生になると、中高一貫の部活では上級生となる。そうすると、高2の文化祭に向けて着々と準備をし始め、学年内でミーティングをする機会がふえる。私の学年は8人しかいなかったので、毎回小規模な話し合いだった。しかしいつも同じ人が途中で、友達にちょっかいをだしはじめ、ふざけ出す。それにみんな気付いていながら、私を含め、注意する人はいなかった。しかしみんなで曲決めをしている時、またぶざけ出した人に、友達の一人が結構な勢いで怒って注意した。なんて言っていたかは覚えてはいないがとにかくみんなの気持ちを代弁してくれることを言ってくれた。注意された子は一旦おとなしくなり、真面目に話し合いに参加してくれた。話し合いの終盤、いきなり注意を受けた子がが泣き出した。周りのみんなは、なにが起きたのか分からず戸惑っていた。その時泣いている子が「いつもふざけてごめんなさい、言ってくれてありがとう」といった。私たち7人はその言葉にびっくりだった。それ以降、話し合いは全員が真面目に参加するようになり、言いたいことを思いっきり言える環境になった。なかなか言いにくいこともあるが、この事をきっかけに、何を言っても相手のことを思っていったことなら、みんなが分かってくれる、という空気がうまれた。あのとき思い切って叱ってくれた○○ちゃんありがとう。

 [73] 自分に出来ること
   

ソリューション データ:
高校で唯一3年間クラスが一緒だった友達(C)がいます。3年間名簿が近かったので、とても仲良くなりました。しかしCは、1年生の後半から学校を休むようになりました。誰かにいじめを受けているわけでも、友達がいないわけでもありません。むしろ誰とでも仲良く、友達の多い子でした。私は声をかけたり、ノートを貸したり、Cのために出来ることなら何でもしました。結局最後まで、毎日学校に来るようにはなりませんでした。卒業式で、一人づつ前に出て話す機会がありました。Cは涙で詰まりながら「みんなのおかげで、学校に来るのが楽しかったです。本当にありがとう」と言いました。私たちがかけてきた言葉やとってきた行動はCにも十分に伝わっていたのだと、とても嬉しかったです。その時のCの姿は、忘れられません。

 [68] 絵を描き終えた後の心境の変化
 中学生  

不登校


ソリューション データ:
 僕が中学生の時、学校に行けなくなった。先輩が恐くて、それまで仲の良かった友達がグレて様子が変わった。そういうのは「良くない!」と思って、友人を説得しようと思った。しかし、ほとんど皆グレてしまっていたので、無理だった。それどころか、学年中から何故か後ろ指さされているように思った。それから知っている人と会うのが恐くなった。とりあえずは、学校にも行けないので、「好きなことをやろう」と過ごした。自分の親に絵をプレゼントしようと思い、絵を描いた。その絵を描き終えたら、何となく学校へ行けた。

 [58] 母の気遣い
 中学生  

自分


ソリューション データ:
僕は中学生の時、特に何か問題があったわけではないが学校を休みがちになっていた時期があった。
両親は共働き、兄も大学生で、自分の家族のほうが家を出ていくのが早く、帰りも遅いので休んでることはばれなかった。
しばらくして学校から親に連絡がいって親にバレた。
しかし親は特に叱ることもなく、普通に接していた。
ある日、いつも通り10時に起きると母がまだ家にいて「やっと起きた?今日は映画を見に行くよ」と言われ無断欠席がバレたことにビクビクしながら一緒に外出した。見たのはディズニーの映画だったが、母が何も言いださないことが気になり映画に集中できなかった。
映画の最中、自分なりにいろいろと考えた。学校に行きたくないのは部活が厳しいから。部活を休むには学校を休むしかなかったから。母やほかの家族はそれなりに心配してくれたのだろう。このまま休み続けていたら、母にも迷惑をかけてしまうかもしれない。部活は時間が来れば終わるのだし、明日からは学校に行ってみよう。と考えた。
帰り道、急に髪を切りたくなり美容院に行こうとしたら定休日だったのを覚えている。
結局、母から何を言われることもなく、また自分から何かを言うこともなく。また学校に行くようになった。
しかし部活のほうは練習の厳しさに対する生徒の集団退部もあり、その波に乗ってみんなと一緒に退部した。
それから、遅刻することは多々あったものの、意味なく休むことはなくなった。
あの時、母がアクションを起こしていなければ、どうなっていただろう?
母に感謝しているが、何故あの時あの行動をとったのかはまだ母に聞けていない。

 [54] 合唱コンクール前のハプニング
 中学生  

あまり歌のうまくない男の子


ソリューション データ:
中学生の頃、合唱コンクールの練習中にあまり歌のうまくない男の子に向かって、違う男の子が「お前、音はずしてるから歌いにくい」と言った事がきっかけで、その男の子はしばらく学校に来なくなってしまいました。
中学3年生の最後の合唱コンソールだったので、みんな全員で出たいと思っていたのに、突然のハプニングでした。
その後、なんとかその彼に学校に来てもらいたいとみんなで考え、その歌のカセットテープとみんなからのメッセージを添えて彼の家へ届けに行きました。
それから、2,3日後みんなの気持ちが伝わったのか、彼は学校に来てくれました。
多くの人の気持ちは人の心を動かす事ができるんだなと思いました。

 [53] イベント事で学校復帰!
 中学生の時  

友達


ソリューション データ:
中学の頃、私の友人の1人に不登校の子がいた。別にいじめられていたわけではないがなんとなく休みがちになりひきこもり的になっていった。彼は私と家が近かった。そしてある日コンビニで偶然あった。仲は悪くないし特にいじめなどで学校にに来ないわけでもなかったので少し学校の話をした。私が「合唱祭実行委員でクラスでちゃんと歌ってくれる人がいなくて大変だからお前も手伝ってくれよ」と言ったところ彼は「いいよ」と言ってくれた。ちょくちょく来るようになり一緒に合唱祭に参加した。合唱祭の後、彼は普通に学校に来れるようになった。

 [52] 考える時間があったから
 高校時代  

自分自身


ソリューション データ:
私は高校に入学してすぐに病気で1ヶ月半入院しました。これには原因がありました。学校と環境が合わなかったのです。それが、心身に作用し、病気に悪化してしまいました。当然その間、定期試験は受けられず、勉強もできませんでした。退院後に、1ヶ月半の穴はうめられないと思い、通学拒否をしました。学校、祖母、親も反対しました。「とりあえず学校に来なさい」という先生の言葉は、私の気持ちを全く分かっていませんでした。今さら赤点のテストを受けに来いというのは、ひどい事だと思いました。幸いなことに母親が「あなたはどうしたいの?」と聞いてくれました。私は「考える時間がほしい」と言いました。それで、1年休学という立場をとり、祖父母の田舎に行ったり、母親の妹がいる、大阪に行ったりと、環境も変化させてみました。そこで、母親の妹は映画が好きだったので、いろいろ連れていってもらいました。そこで、スティーブ・マックイーンの最期の映画を観たのです。内容は私にはあまり良く分からなかったのですが、なんだか人と触れ合いたい気持ちになりました。映画を観て、みんなと話したい、こんな楽しいこともあるんだと思いました。映画の内容が自分の言葉で話せるようになりたいと思いました。
そのころから少し開き直り、学校に行ってみよう、ダメならまた考えようと思うようになりました。そして翌年より復学し、卒業できました。そして進学もしました。良い友人もでき、学生時代には友人達と映画を観に行きました。1年の休学は結果的に良かったと思います。


全ページ数/ [1] [2] [3]


事例Database事例投稿SolutionBank.netとは管理者情報Staff情報Home

SolutionBank.net 管理人 SolutionBank-net  (管理モード)
このページはK-dbを使用しています。