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すったもんだ編
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 [671] 行く手を阻まれても穴掘って突破!
 高校  

友達


ソリューション データ:
私は自覚していなかったが、かなりの頑固者で、自分とは違う考えを持つ人を柔軟に受け入れることがなかなかできなかった。最近になってやっと、少しは人の考えにも耳を傾けられるようになったが、まだそれが出来なかった時の話。私は文化祭でもイベントごとが好きで、誰かが用意してくれたものをやるより、実行委員会に入り、自分のやりたいことを提案してやる方が好きだった。その中でも、"実行委員長"のような"全体の統括"をする役より、"部門長"くらいの実働体に近い役の方が好きだった。しかし私の苦手とするAさんは"実行委員長"の方を好む方で、生徒会長もやっていた。どちらの役も大事なのは分かっているし、なくてはならないものだから、"委員長"になる人全員が苦手な訳ではない。ただAさんは、自分の意見が絶対正しいと思っている節があり(そういう点では同族だが)、私としては"現場を知らないやつが何を言う!"といつも苛立ち混ざりの思いでいた。それでもある時まではうまくやっていた。私の通っていた学校は中高一貫校で、中1の頃から、いわゆる総合学習のような授業があった。学年ごとにテーマが設けられていて、毎年実行委員を中心に事前学習をし、フィールドワーク先を決め、訪問をしていた。私は中1から高3までの計6回、その実行委員に入っていた。途中何回かは委員長も務めた。(私的にこれはokの範囲内だった)。三役の他のメンバーも、同じく中1からやっている仲のいい子だったので、話し合いは比較的円滑に進み、毎年成功に終わっていた。しかし問題が起こったのは高3の時だった。6回目になる最後の年。段取りもつかみきっていたので、今年も去年と同じメンバーでやろうと意気込み最初の会議に出た時、生徒会長の任期を終えたAさんがいた。瞬間、嫌な予感がした。会議が始まり、三役決めになったその時、Aさんが挙手し、委員長に立候補した。あまりの早さにびっくりしていた私は完全に出遅れた。別に競い合い勝敗をつけるものでもないのに、なぜかもの凄い敗北感に襲われた。他に立候補者はいないかと先生に聞かれ、一緒に三役をやろうといっていた子に促されたが、その時の私は"私も立候補します"と言うのが酷く惨めなことのように思えた。もしかしたら立候補して、結果なれなかった時が怖かったのかもしれない。結局、Aさんが委員長、他の二役は私の友達がやることになった。会議の後、じわじわと後悔の念が押し寄せてきた。やっぱり三人でやりたかった。5年間の経験を活かしたかった。Aさんには譲りたくなかった…と。それでも、いい加減にやりたくないという思いと、友達からの力を貸してほしいという言葉を頼りに、会議にはしっかり出た。Aさんの進行は生徒会のと時と同じ要領でやろうとしていたので、もたつき、私としてはじれったいものだった。だからAさんとしては不本意だったかもしれないが、どんどん意見を出させてもらった。もともと現場の大変さも考えてほしいと思っていた私としては、Aさんに遠慮なく言えるいい機会となった。これを機にAさんとの関係が良くなったわけでも悪くなったわけでもないけど、あの謎の敗北感は薄れた。Aさんが何を思い、委員会に入ったのかは知らないが、例え自分の思い通りにならなくても、そこでいじけて、投げ出すより、別角度からでも攻める、その方が自分的にさっぱりするし、伝わる思いもある。

 [670] 女子グループとの決別
   

ソリューション データ:
これは私が小学生だった時のことである。応じ私のクラスの女子はいくつかのグループに分かれていて、私もそのうちの一つに入っていた。そのグループのリーダー的存在であった女子は時々問題を起こすような児童で、私も彼女と一緒に行動していた。あるとき、ほかのグループと衝突する時があり、そのグループには私とずっと仲が良かった女子もいたその時の私は、2つのグループの中間あたり、つまりどっちつかずのような感じだったのだが、私の考えたり悩んだりして、もともと入っていたグループ側に付くことに決めた。やがて、その衝突は終わり、卒業が近づくにつれてグループ単体で動くこともなくなったのだが、これまでのことを振り返ってみたときに思っていたことは、「あぁ、女子のグループって面倒くさいな」ということである。
グループに入っているがために、同じグループではない友人との関係を壊してしまっているのに、どうしてあんなにグループに入りたがっていたのだろうと、今となっては不思議で仕方がない。きっと自分の味方や後ろ盾になってくれる人がいないと不安だったのかもしれないし、友達がいないと思われたくなかったのかもしれない。
問題を乗り越えたというよりは、時間が解決してくれたような感じになったが、中学に進学してからは、同じことを起こさない為にグループに入って行動することはやめた。もちろん友人はいるが、いつでもどこでもつむるということはしないということだ。そのおかげで高校生の時は、クラスの中で一匹狼のようになってしまったが、仲間外れにされることを恐れて自分の意思を殺す必要もないので、非常に楽しい、悠悠自適な高校生活を送れた。今は「ぼっち」という言葉があるが、人とつるむのが嫌いになった私は、積極的に「ぼっち」になって行動している。それでも同じ学科やサークルに友人はいるので、私にとってはこれがちょうどいい距離感なのだと言える。

 [668] 喧嘩で学んだこと
   

親友


ソリューション データ:
私には、中3から高3までクラスが一緒で高校生活を一番長く一緒にすごし、色んな先生にいつも一緒にいて、顔まで似てるねと言われたAちゃんがいました。Aちゃんと私は高校1年生になって同じ部活に入りました。高校2年生になって、先輩が引退する時期がやってきたとき、私たちの学年では、Aちゃんと私だけしか部活にいなかったため、どちらかが部長をやるように二人で決めなさいと先生に言われました。しかし二人とも部長をやりたく、結局決めることができず先輩が私のほうが中学生の時にやっていたことがあるからと部長に選びました。それからなんとなく二人の仲がギクシャクするようになりました。ある日、Aちゃんは、自分が思っていることを話してくれました。そのとき、一緒にいすぎて、言わなくても伝わるだろうと思っていた自分に気づきちゃんと言わないと思ってることは伝わらないのだと思い、私も思っていたことを伝えました。二人で話してかからは気持ちがすっきりしたのか前と同じよりもとても仲良くなりました。あの時、Aちゃんが思っていたことを言ってくれてなかったら、言いたいことを素直に言える友達は作れなく、自分らしく生きられていなかったのではないかと思いました。

 [667] 友達関係について
 高校生  

友人


ソリューション データ:
2つ目は、高校生だった時に起きた、友人関係についてだ。私が、友達と喧嘩をしてしまった時、しばらくは、険悪な雰囲気だった。なぜなら、どちらも自分が悪くないと思っているし、自分が悪いことをしたという自覚がないからだ。それに、今更、自分から話しかけるのも、かなりの抵抗があった。しかし、このままでは、いけないだろうと思い、自分から話しかけるのも、かなりの抵抗があった。しかし、このままでは、いけないだろうと思い、自分から、以前のように話しかけてみた。そしたら、最初は友人も驚いていたが、だんだん、普通に話してくれるようになった。その後に、お互いに謝りあった。また、よく話合った。お互いに気が付いていない悪いところを教え合って、それからは気をつけるようにしていた。よって、その後の高校生活は、仲良く過ごすことが出来た。

 [666] 部長として部員として
 高校  

部員


ソリューション データ:
私は高校で弦楽部の部長を務めました。弦楽部はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの4つの楽器から構成され1,2年生の部員30人で活動していました。基本的に活動は週5日でコンクールには出場せず、3月に行われる定期演奏会に向けて練習をしていました。私が部長を務めたのは2年生の4月から3月までの一年間でした。部長職は、活動の開始時と終了時にミーティングを行う、1ヶ月の練習計画をパートリーダーや顧問と話し合って決める、音楽部や吹奏楽部と練習場所を話し合って調整する定期演奏会のホールや合宿先との連絡や打ち合わせ、後輩への引き継ぎのノートの作成、その他様々な雑務でした。部長をする中で一番苦労したことは部員をまとめるということと自分の練習の両立でした。というのも私は中学時代バトミントン部に所属して試合に負ければ自己責任ですみましたが、音楽は皆で1つの作品を作りあげるものなので1人の練習不足が全体に影響してしまうので例え部長職が忙しいからと言って一部員として練習量を他の部員と同等もしくはそれ以上にしなければなりませんでした。しかし、実際部長というのは実に忙しく、部活の活動時間内に持ちかけられる曲の練習についての相談や顧問との連絡で自分の練習の時間が削られ、何とか合奏練習には間に合うといった状況でした。そこで、朝練や居残り練習をして練習量をカバーするとともに大事な合奏練習があるときにはお互い都合のいい日にちや時間帯を合わせ、変更して相談や連絡を行うことにしました。また、私が部長としてつらかったのは部員の気持ちがうまく1つにまとまらなかったという点です。例えば、ミーティングでしっかり伝えたはずの連絡を部活が休みの日に聞いてきたり、定期演奏会が近づいてもきちんとした理由なしに欠席したりといったことがありました。これらはほんの一部ですが、このようなことがある度に毎回部長としての自分の至らなさを責め、「どうして定期演奏会に向けて気持ちが一つになれないのだろう、どうしてきちんとやってくれないのだろう」と考えてつらくなって苦しくてたまりませんでした。私はこれに対して自分の思いを部員に口に出して伝えなければわからないということはずっとわかっていたもののどこかに部員として嫌われたくないという葛藤があり、きちんと伝えられずにいました。しかし、副部長やパートリーダーの数人が「K(私)は間違っていない!十分部長として頑張っているよ。皆と一度きちんと話そうよ。」と言ってくれた言葉に押され、私は同じメンバーでやる定期演奏会はたった1度きりで2時間で1年間の練習を表現するわけだから成果を出し切り、成功させたいという話をした後、直してほしい部分を伝え、部員に意見を求めました。この話し合いを機に結果的に遅刻や欠席が減り、ミーティングも集中して聞くようになりました。そして、私自身にも精神的に変化が訪れました。今考えてみるとあの時の私は、常に部長著して存在していたため気が休まる日が全くなく、心身共に疲れ切っていて軽いうつ病だったのだと思います。しかし、「みんなの思いを1つにして日々の練習に励みたくてもそれぞれに家庭の環境も違えば、部活に求めるものも異なる。だから、その中で部員全員が皆で決めたルールを守りながら活動時間に集中して練習する時はしっかりやって、そのほか楽しむときは思いっきり楽しめれば部活はそれで良いのではないか。」と考えるようになってから気持ちが楽になり、自分を責めることが減りました。最終的には定期演奏会でまさに気持ちの1つになった素晴らしい演奏が出来て大成功を収められたので本当に良かったです。最後に色紙や花束をたくさんもらい、部員に「Kが部長で良かった。」と言われたときに1年間の苦労はこの日のためにあったのだと感じ、努力がやっと実を結んだと実感しました。

 [665] 中学校でのことについて
 中学生  

部活メンバー


ソリューション データ:
1つめは、私が中学生の時に所属していた部活動でのことだ。私は吹奏楽部に所属していた。しかし、その吹奏楽部はマーチングというものも行っていた。私の学校は、自分で言うのも少しおかしいが、マーチングの強豪校で、とても有名だった。そのため、上下関係がとても厳しかったが、練習も楽しかったし、好きだった。だから、1・2年生の時は、特に何も考えずに、がむしゃらに部活動に取り組んでいた。しかし、3年生で、最高学年になった時、私は、パートリーダーだったので、プレッシャーがあった。パート練習においても、マーチングにおいても、自分のパートのメンバーができないと、すべてパートリーダーの責任だというように感じてしまっていた。また、その年は、新型インフルエンザが大流行し、中学校でも学級閉鎖などが起こってしまっていた。その時期は、ちょうどマーチングの東北大会の直前だった。マーチングの練習は、全員が揃っていないと、間隔や、音響などの練習が完璧にはできない。だから、ショーは明らかに、例年よりも作りこむことが出来ず、みんながあせっていた。特に3年生は、最後の年ということもあったし、今までの歴代の先輩達が築きあげてきた、伝統のようなものを、自分たちの都年で崩したくないという気持ちがあった。しかし、部員で話し合ったとき、「私たちは、みんなで支えあっている。」「みんなが同じ目標に向かっている。」「特定の人だけが苦しい思いをしないように、今以上にお互いのことを思い合おう。」などの言葉を聞いて、心が少しだけ軽くなった気がした。また、顧問の先生も、私たちの焦りを感じたらしく、「今まで、お前たちが休みもなく必死に練習してきたことは、みんなが知っている。これだけ練習してきたんだから、結果が出ないわけがない。だから、もっとリラックスしていい。」と言われた。それらの練習は、部員全員の気持ちが、よりいっそう高まったし、気持ちが1つになることが出来た。その結果、東北大会、全国大会と、満足出来る結果を残すことが出来た。

 [664] 多数決とは
 高校三年生  

バンドメンバー


ソリューション データ:
私の部活での出来事だ。私は高校生の時、軽音楽部に所属していた。定期ライブや文化祭前になるといつもメンバーで話し合いをして演奏する曲を決めていた。しかし、一度だけ曲決めのことでもめたことがある。今までは一人何曲か演奏したい曲の楽譜を持参しその中から選ぶという方法で決めてきた。その時いつもと同じように決めて各自で自己練習を開始した。練習し始めて一週間が経った時だ。一人のバンドメンバーがこの曲は出来ないと言ってきたのだ。まだ練習開始してから日も経ってないないからもう少し頑張ってみたらと言っても首を横に振るだけだった。ならばもう一度別の曲を選ぼうということになったので、また話し合いをしたのだ。同じように演奏したい曲を持ち寄ろうとした。しかし、でき兄と言ったメンバーが「私が曲を選んでくるからみんなは持ってこないで」と言ってきたのだ。さすがにそれはよくないと思いみんなで決めようとした。だが話し合いには参加せずに勝手楽譜をにコピーしていたのだ。さすがにみんなが怒り練習する雰囲気ではなかった。なぜそんなことをしたのか問いただすと今まで話し合ってきたはずだったが、その子にとっては私たちが知らぬ間に無理やりやりたくもない曲を押し付けていたのだと知った。その子は私たちよりも一年遅く軽音楽部に入部した。もともと気の弱い性格でもあったので断ることができずにいたのだ。曲決めの時も多数決ではない決め方にするようにした。それからはこのようなことも無くなり、もっと楽しく部活を行えるようになった。なんでもかんでも多数決で決めようとするのはやめようと思った。

 [663] 高校の部活動
 高校生  

ソリューション データ:
高校もバドミントン部に所属していた。人数が少なく、男女仲良く練習していた。しかし、男子ですこし変わったI君がいた。その人は、先輩や同級生によく危ないものを向けたりしていた。高校2年生の後半、I君が女子に一人に酷いことを言っているということを顧問の先生から聞かされた。私は部長だったので「気を付けてあげるように」と先生から言われた。しかし、I君は部活内ではその子に対して何をするわけでもなかったので、あまり気に留めていなかった。それがだんだん部活中もあからさまになってきたので、男女で練習することをやめた。そんな中、I君のことが学年の先生の中で問題になったらしく私たちにも知っていることがあったら教えてほしいと頼まれた。私たちは1年生のときから持っている必要のないものを持ち歩いていてそれを色々な人に向けていたことなどを先生に説明した。しかしI君はその事実を認めず、私たちに変なあだ名をつけられているなどと意味の分からないことを言ってきた。あだ名をつけていたのはI君の方だった。先生たちもI君の言っていることはおかしいと分かっていたので私たちを守るようにいろいろ気を使ってくれた。この問題はいろいろな先生に知られてしまい、部活として反省の意を示すために掃除をしようと先生が提案した。しかし、その提案に対して何もしていない部員から多くの反論が出た。掃除をさせられるくらいなら部活をやめるとみんなが言い出した。私はものすごくむかついた。どうしてそんなひとのために部活をやめなきゃいけないのかとみんなを説得しようと試みたが、聞いてもらえなかった。そこで私は「そんなに言うならやめれば」と言ってしまった。そのことがきっかけでみんなと気まずくなってしまった。でも、1人を除き、自分も悪かったと謝ってきてくれた。残念なことに一番仲の良かったことはほんとに話せなかったが、そのうち仲直りをし、今ではもう元通りに戻っている。どうしてあの時あんな人のために部活が崩壊しなくてはいけなかったのかと不思議に思う。高校生活で一番つらいことであったが、最後はみんなそろって引退できたので良かった

 [662] 部活動と友情
 中学時代  

同じ部活動の仲間


ソリューション データ:
私は中学で女子バレーボール部に所属していた頃、部活動内部で、省かれてしまったころがあった。原因は、本当に他愛のないことだった。私を含め、私たちのバレーボール部は他の部活動と比べられてとても仲が良かったため、そんな理由で仲が壊れてしまう物かと、信じられなかった。そんな事態が起こってしまったことを信じられないまま、誰にも相談せず1週間くらいが過ぎた。
そんなとき、私の異変に気が付いてくれたソフトボール部のクラスメートたちが私に気を遣って自然にそばにいてくれるようになった。私は、こんなすぐそばに私のことをちゃんと見てくれる人がいたことを知りm涙がでた。ただ、部活動をやっているときだけは、ソフトボール部の子達に頼ることが出来なかった。
初めの方は「この時間になると私は一人なのだ」と逃げ出したい気持ちでいっぱいになったが、部活動でコートキャンプを務めていた私は、絶対に逃げるわけにはいかないと強い気持ちを持ってその「最悪な時間」に挑んでいた。
そうやって部活動の仲間との仲が絶対に戻ると諦めずに部活動を頑張っていた私をみて、今の私ならきっと大丈夫とソフトボール部の子達がバレーボール部の仲間と話し合う機会を作ってくれた。そして自分の気持ちをみんなに伝えることが出来た。
私の子とちゃんと見てくれる友達がたくさんいたこと、「最悪な時間」から決して逃げ出さなかったことで、私は友情を取り戻すことができたのだった。

 [661] 勇気の影響力
   

友人


ソリューション データ:
次のエピソードでは、私がいじめる側の人間である。小学校6年生の時である。女子というのはいつもグループを作って行動したがる。私たちも3人で仲良しグループであり、いつも一緒にいた。ある日突然、グループのメンバーであるRちゃんは私にもう一人のメンバーであるMちゃんの悪口を言ってきた。私はMちゃんのことが大好きだったし、自分も便乗して悪口を言うことはしなかった。しかしRちゃんが悪口を言うのを止めもしなかった。私は両方に嫌われたくなかったのである。RちゃんはMちゃんのことをグループから除いて行動するようになった。私はRちゃんと二人で行動するようになった。その時私は、3人でいる方が楽しいと思ったけど、そのことをRちゃんに言えなかったし、仲間外れにされたのが自分じゃなくてよかったと思ってしまった。それから少しして、Mちゃんはアメリカへ引っ越すことを知った。サンで最後の最後に仲間外れにしてしまったのだろうかとすごく後悔した。私は、あえなくなる前の手紙を書いて謝った。Mちゃんは仲良くしてくれてありがとう、と言った。その言葉はひどく胸に刺さった。今でもメールのやりとりをする仲だが、Mちゃんにつらい思い出を残してしまったことを、すごく後悔している。


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