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 [88] 吹奏楽事件簿
 中学生  

Aちゃん


ソリューション データ:
私は中学の頃、吹奏楽部に入っていて同じ学年で同じ楽器の友達が2人いました。そのうちの1人(Aちゃん)がある時、部活に来なくなり、話を聞くと部活を辞めたいということでした。しかしその時はコンクール前で急に1人欠けては困るので、私ともう1人(Bちゃん)は必死に引き止めました。それでも辞めると言い張るAちゃんと、私たちは3人で話し合いの場を設けました。Aちゃんの話を聞くと、精神的に弱い部分があり、厳しい練習に対して病んでしまい、部活を辞められないなら学校にも来たくないというほどでした。それを初めて聞いた私とBちゃんは、そんなにも病んでいたことに気付けなかったことに泣いて謝りました。その後、後輩や先生にもその旨を伝え、Aちゃんは辞めることになりました。しかし、Aちゃんは部活を辞めた後も私たちを色々な面でサポートしてくれました。この3人では、大学生になった今でも定期的に会うほど仲良しです。中学生になりに話し合って解決できたことは、今となっては良い経験です。

 [87] 馴染めなかったら心を開け
 高校に入ったばかりの頃  

クラスの友達


ソリューション データ:
高校に入ったばかりの頃、あまり学校になじめずに、自分の居場所がないように感じました。学校に行くのもつらく何度も辞めようと思いましたが、必死に受験勉強して入った学校をすぐにはやめられませんでした。そこでなじめずにいたまま何ヵ月か過ごしたのですが、このままではいけないと思い比較的よく話す子と仲良くできるようにたくさん話すことにしました。するとその子が仲良くしていた数人の女の子たちと仲良くなれて、そこから学校が楽しくなりました。結局は自分が心を開かずに深く話をしなかったのがいけなかったんだなと深く反省し、自分の行動を深く反省しました。

 [86] 不登校になってしまった友達
 中学3年生の秋頃  

友達


ソリューション データ:
幼稚園から中学校まで同じ学校で中学も登下校も一緒だった、仲がいい友達Aちゃんがいました。中二の時は、同じクラスでいつも一緒に行動していました。中産になってクラスが別々になりました。Aちゃんの仲のいい子もAちゃんと一緒のクラスでした。お互いクラスに遊びに行ったり来たりして、登下校も一緒だったので、いろいろ話していました。その中でよく、Aちゃんはクラスのメンバーも先生もあまり会わなくて嫌だと悩んでいたのを相談されました。秋くらいになって、もう無理かもと言ってその翌日から学校に来なくなってしまいました。そのとき、私じゃ役に立たなかったのかなと、悲しくなりましたが、メールしてみたらそんなことなくて、いろいろ本音が聞けました。その後、無理やり学校に行くのもよくないなと思ったので、ちょくちょく学校の様子をメールしたり、普通にメールしたりしていました。学校にも少しずつでしたが、来られるようになって卒業式も来られました。さらにAちゃんはドラムをやっていて音楽が好きだったので、その方面の学校に行き、とても楽しく過ごしていてとてもうれしかったです。よく演奏会に招待してくれました。話をうまく聞くことがとても大切だと学びました。sこれからもっと話の聞き上手になれるようにしていきたいです。

 [85] 高校生
 高校入学から卒業まで  

友達


ソリューション データ:
私には小中高ずっと一緒の友達がいました。家も近く家族ぐるみの付き合いで本当に仲が良い友達です。中学生の時に高校を決める際、私がもしよかったらといって同じ学校を誘ったというのもあって一緒に受験しました。無事2人とも合格でき、晴れて同じ高校に通うことになりました。偏差値的にも2人とも少し背伸びした高校でした。自分で言うのもなんですが、私たちは中学時代クラスの中では出来る方で、周りからは「優秀だね。」と褒められるような立場でした。しかし、いざ入学すると周りは優秀な人ばかりで、入学して2か月ほどで人生で初めて勉強に関して挫折感を覚えました。そう思うととても毎日が苦しくなって学校に行きたくなくなる時期もありました。でも私自身は性格上、自分を正当化しようとする傾向があるので「しょうがない、みんな優秀なのだから。こうなったらむしろ勉強を教えてもらったり、周りを頼っていこう。」と割り切ることに決めました。
しかし彼女は最初は体の不調での欠席でしたが、それが治った後も学校に来ることができなくなってしまいました。私は心配になって彼女の話を聞きました。すると、彼女は性格上とてもまじめな子です。今まで小中では出来るこの方でいつも頼られる存在でした。そんな彼女が高校に入って周りが優秀なので私と同じように「周りはできるのに自分はできない。」という経験が多かったようです。そんな中「どうして私だけできないんだろう、私はダメなやつなのだな。そんな思いをするのが嫌だな。」といったような悪循環でした。彼女は真面目が故に他人にできるのに自分がでいないという状況に劣等感を感じてしまったようです。私は自分がこの高校に誘ってしまったことを後悔しました。彼女が学校に来られるように頻繁にメールをしたりクラスの子に励ますのに協力を呼び掛けてみたり、朝学校に行く前にお迎えに行ったりしましたが、高校三年生の時にとうとうクラスの担任に出席日数が足りないので彼女の卒業が危ぶまれるおとを宣告されました。しかし彼女はふさぎ込んでいて学校にこられるような状況ではありませんでした。なので、私は受験勉強の傍ら彼女を頻繁に遊びに誘いました。たとえば、学校の冬休みの講義に一緒に行ってその帰りにご飯を食べるとか、行事のために買い物に一緒に行ったりしました。足の筋肉も弱っているし人がたくさんいる状況が嫌だったようなので少しの時間しか外にいられませんし、断られることも多かったのですが、少しずつ外に出られるようになり、次第に学校にも来られるようになりました。結果、卒業も2人で無事出来ました。この経験を通して、自分が簡単にうまくできたこと(今回の私の場合は、割り切るということ)であってもそれが出来ない人がいるということを踏まえ、その人たちに対して「頑張れ。」というのではなく「なぜできないのか。」を聞いたり見たり感じたりしながら考え、さりげなく少しずつその人に会ったペースでアプローチしていくことの大切さを学ぶことができました。

 [84] 心理学
 高校生の時  

ソリューション データ:
 私は高校生の時不登校でした。不登校になった主な原因はストレスで精神的な病気を患った事でした。高校2年の秋に不登校気味になり、頑張って通学していましたがその年の単位を取得できない事が分かり、全日制の高校から通信制の高校へ編入する形で高校を卒業することを目指しました。しかし病気が完治できていない事もあり、通信制の高校も卒業できませんでした。そして当時の私は高校を卒業する事を諦めバイトしながら生活する事を選びました。その後の数年間はバイトを転々とし、毎日だらだら過ごしていました。しかし、ある事がキッカケで受験勉強が始まり今は地元九州を離れ看護師を目指して大学生として生活しています。周りが大学を卒業する年に大学に入学することに最初は少し躊躇しましたが、今はそんなこと気にする必要はないと感じています。目標もなく、毎日ただただ生きていただけの生活では感じることがなかった充実感や達成感、満足感を日々感じられている今の生活は本当にかけがえのないものだと思っています。
 大学受験を始めるキッカケとなったことは、とある事務の正社員の仕事に応募したことでした。当時の私は将来に漠然と不安があり、その時初めて正社員の仕事に応募したのですが、中卒で何の資格もなく社会経験も少なく結果はもちろん不合格で、というより面接すらしてもらえず履歴書が返ってきました。覚悟していた不合格でしたが、現実に正社員としてふさわしくない経歴しか自分にはないのだという事実で目の前が真っ暗になったことを覚えています。そして人生で初めて将来のことを親や友人に相談し、とりあえず高卒の資格だけでも取得することを勧められ、休止生となっていた通信制に復学しました。卒業できなかった年に担任してくださっていた先生と再会し、そこで大学進学を勧められ、受験勉強が始まりました。
 今こうして振り返ってみて、私は周りの意見ばかりで自分で将来のことすら自分で決められないのかと思いますが、たぶん私はずっと前から大学に行きたいと思っていたはずで、自分に自信がなくそんなこと無理だと決めつけていただけだったのだと思います。自分の中にあった大学進学という言葉を周りから言われたことで、自分も大学に行ける可能性が0ではない、大学を目指していいのだと言われたような気持ちになりました。そこからは淡々と勉強をし、今年の春に高校卒業、大学入学となりました。大変な1年でしたが、人生の分岐点だった1年だと思います。些細なキッカケで人生がこうも変わった経験はこれからの私の人生に大きな影響を与えてくれたと思っています。これからも目標をもって毎日を過ごしていきたいと思います。

 [81] 多くの友達より一人の心の友
 自分が転校してきたとき  

自分


ソリューション データ:
私は小・中と転校生で入学して、高校を知り合いが一人もいない家から遠い所へ行ったので、学校はいつもからのスタートでした。
人見知りで、自分からいけない性格だったので、なかなか輪の中に入れない時もありました。でも、私にとって、友達は狭く深くが良いと学びました。必ず一人、小・中・高で大切な友達ができ、いまも深い関係(お互い頼りあえる)は続いています。
たくさんの友達より、一人の心の友が今の私の支えです。

 [80] 時が過ぎれば・・
   

ソリューション データ:
中学の頃、テニス部に所属していたが、その時の先輩がとても怖かった。部員がどんどんやめていく中、私の靴箱の中にも、「部活をやめろ!」「声が小さい」などの手紙は入っていた。でも、私は、ぜったいにやめたくなかったので、何事もなかったかのようにふるまい、楽しいのを待ち、我慢していた。そうしてるうちに、3年生も引退し、楽しい部活動になった。そして3年間テニスを続けることができ。あの時。すぐにやめなくてよかったと思う。

キーワード:
時がすぎる

 [79] not alone
 中学生  

自分


ソリューション データ:
中学生の時転校して、その環境になじめず、学校に行きたくないと思い休みがちになった。朝になると不思議と必ず熱が出て母親が学校に休みの連絡を入れると自然と熱が下がった。特に両親からも「どうしたの?」と聞かれず、そのまま学校に行かなくなった。
ある日、夜中に両親が喧嘩をしていて、母親が「学校に言ってどうなるの、親が守らなくて誰が守るの」という大きい声が聞こえた。その次の日からなぜだが熱も出なくなり、すんなりと学校に行けるようになった。

 [78] 不登校の友人
   

ソリューション データ:
小学校の頃、私の友人の一人に不登校の子がいました。弾に保健室に来るような子でしたその子(Sちゃん)とは、小学1年生の時に同じクラスになり、仲良くしていました。学年が上がる度にクラス替えがあり、Sちゃんとは離れ離れになってしまいました。高学年になり、Sちゃんが学校に来ていないということを聞いたとき、とても驚きました。まだ小学生だった私にとって、不登校の子にどう接し、学校に来てもらうかなど分かりません。そんな時、担任であった先生から、「今日はSちゃんが来ているのだけど、給食を一緒に食べないか」と持ち掛けられ、クラス皆とまではいきませんが、私を含めた2、3人でSちゃんとともに空き教室を使い給食を食べました。久しぶりにSちゃんと楽しい時間を過ごしました。これをきっかけに担任は、Sちゃんが学校に来ていることを教えてくれるようになり、給食を食べる機会が増えました。不登校の問題が解決したわけではありませんが、Sちゃんが学校で、笑顔でいる時間が増えたことはいいことだと思っています。

 [77]
 中学  

弟の中学の友人


ソリューション データ:
私の話ではなく弟の話なのですが、不登校の女の子にメールで相談を受けていたそうです。
 相談を受けいる間、弟はずっと携帯を離さず、親身に話を聞いていたみたいで、その甲斐があってか彼女は学校には来ませんでしたが、同じような境遇の子供が集まる少人数制の高校へ進んだようです。


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