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SolutionBank.net > いじめ編 > 女性

 [334] 自分の勇気で変えられること
   

ソリューション データ:
私が中学生だった時の話です。私は、バトミントン部に所属していました。バトミントンに関しては全くの初心者でした。しかし、公立の学校だったこともあり、同学年の部員は皆知り合いばかりでなじみ深く、皆とともに1からバトミントンの練習を始め、とても楽しい学校生活を送っていました。ある日、部員の一人の子が、ある特定の子を異常に嫌うようになりました。その子は、小学校の頃から嫌っていたといい、私たちもその子に同情し同じように避けていきました。そして、その事がバトミントン部に悪い習慣となっていったのです。その特定の子のいじめが終わりかけ仲直りしたころ、また別の子が他全員から避けられていきました。そして、暫くたつとまた仲直りし、また別の子が避けられ・・・と皆が「いじめる人」「いじめられる人」となっていったのです。そして、とうとう私がいつの間にか避けられる時期が来ました。中学2年生の夏休み前後のことです。私はいつの間にか避けられていることに気づきました。部室に入ろうとすればドアを閉められ、メールを打てば内容や言葉使いを笑われ、ペアを組んでの練習では誰も相手にしてくれず、悪口は陰で言われず目の前で言われました。私はその夏休みが辛くて、部活をやめてしまい帝と何度も思いました。それと同時に復習してやりたいとも思いました。でも本当は以前みたいに仲良くしてほしかったのです。「このままではいけない!」私は部活の帰り道に思い切って「私のどこが嫌いだったの?」と聞きました。するとみんなはきょとんとした顔で言いました。「別に、どこも嫌いじゃないけれど?」 「え?」私もきょとんとしてしまいました。そこで、私は今までしまっていた辛い気持ちを全部伝えました。すると「嫌な思いをさせてごめんね。」とみんなが謝ってくれたのです。そして、それ以来私に対する嫌がらせは一切なくなりました。特に理由もなく私に対してそういう扱いをしていたのか、本当は何か理由があったのかは、今でもわかりません。しかし中学を卒業しても、部活の友達とはつながっています。私は心の底から「あの時勇気を出して言ってよかった」と思っています。何か辛い思いをしている時、自分の勇気がその状況から抜け出せるきっかけになるかもしれません。

 [333] いじめ(制度のようなものによるケース)
   

ソリューション データ:
中1か中2の時に部活の同学年の女子の中で、順番に仲間はずれを作る時期がありました。自分が多数派の時は一緒になって仲間はずれにしていた(こわさからでしょうか)自分が少数派(つまりいじめられる側)になったときもありました。その時は本当に部活に行くのがいやでしたが、先輩が助けてくれました。「私たちにもそういう時期はあったよ。いつかなくなるかなら大丈夫。」と先輩が言葉をかけてくれました。その言葉だけを信じまた先輩が一緒にいてくれて心強かったこともあり、本当にいつのまにかそんな制度は消えていました。だから時間が解決かな・・・

 [332] いじめに立ち向かうには
 小学生  

リーダー格の女の子


ソリューション データ:
私は小学生の時に初めていじめにあった。今まで学校生活は友達も多く順風満帆そのものだった。理由は分からないが五年生のクラス替えで一緒になったリーダー格の女の子に目を付けられた。まず上履きを隠され、無視をされた。何かした覚えはない私はとても動揺した。元々楽観的な性格だったので特に気に留めていなかったのだが、次の日からやはり異変に気づいた。今まで仲が良かった友達がどんどん離れていき、身に覚えのない噂を立てられたりもし、さすがにショックを受けたが私は学校を嫌いにならなかった。それは母や養護教諭の先生に相談していたからだ。私は普段から学校での出来事全てを母に話しており、さらに母も何でも話せるような雰囲気を作ってくれていた。普段から親子のコミュニケーションがないとなかなか言いにくいことだが、自分にも何か非があるのでは無いか、どう対処していけば良いのかを聞くには大人の意見が一番だと考える。また親は子供のことを一番に考えてくれるので孤立無援でも近くに味方がいることが分かるだけで心強くなれる。
 親以外の話を聞いてくれる大人の存在も重要だ。違う意見を聞いて自分の中で新たな価値観が生まれると思うからだ。学校とは自分い阿木の価値観が集まる場所でもあるので何が相手を不快にさせているかは分かりにくい。だからこそ、いじめられたことに落ち込まず、「こういうところに対して不快に感じる人もいるのか」と勉強になるなと思えるほど、堂々としていることが重要だ。落ち込んでしまっては相手の思うツボだ。しかしそこで同じことをやり返してしまってはいじめっ子と同じになってしまうので、ぐっと堪えて心の中で嘲笑うぐらいの余裕と強さが必要だと感じた。その強さは自分にも親や養護教諭の先生のような見方がいるのだと思えることだ。私は何をされても憮然とした態度でいたため、徐々に飽きてきていじめは自然消滅した。初めは人に話すことは躊躇されるかもしれないが、その少しの勇気が解決の糸口になると考える。

 [331] 病気の自分
 中学  

ソリューション データ:
私は中学生の頃に仲良かった子たちから無視されました。話しかけたり、一緒にいようとすると逃げていきました。その頃の私は病気にかかってました。拒食症でした。今、思うとたぶんそれが原因だったんだろうなと思うけど、違う方法で接してほしかったです。そんな自分を変えたくて地元じゃない高校に入りました。私は健康って感じじゃなかったけど、すごく優しくしてくれました。私はもっと元気になりたいと思って治しました。本当に本当に高校に感謝してるし大好きです。成人式とか地元だしちょっと恐いです。1人でいたいとか、1人で大丈夫とか言ってても絶対そんな子いないと私は思います。寂しいと思ってると思いました。

 [330] 特別支援学級
 小学校  

ソリューション データ:
私の姉は障碍者だったが小学校5年の時まで普通学級へ通っていた。できるだけ普通の子と同じように育てたいというのが母の気持ちだったのだが、姉は普通学級でいじめを受けて心を閉ざしてしまった。その後、特別支援学級に転入した。それから姉はようやく笑顔を見せながら学校に通うようになった。

 [329] いじめ               
 中学生の時  

グループ


ソリューション データ:
中学生のとき、一緒にいたグループの中である子が一人の子を嫌い、グループから追い出してしまったことがあった。私はそのときはなにもできなくて、そのグループの雰囲気に流されるようにそのこともあまり喋らなくなった。追い出した理由が、ほかのグループの子と仲良くしたからだというものだったため、よくわからないなぁと思っていたが、自分も嫌われてしまったら嫌だと考えてしまい反論もしなかった。その後、自分も交友関係が広がり、他のグループの子と仲良くなった。元のグループの子の態度が素っ気なくなってきたので、もしかしたら今度は自分が嫌われたのかもしれない、と思っていたが、思った通りメールが送られてきた。バーカ、バーカ、お前が悪いんだというような文面だった。予想していたとはいえ、本当にショックだった。数日落ち込んでいたが、他のグループの子が声をかけてくれ、そのグループと仲良くすることで気を取り直した。しかし、その新たなグループでも元々いた子が追い出されてしまうという出来事が起こった。その発端も、ある一人の子が悪口を言い始めたことによるのだが、グループの子が陰で悪口言ったり避けていたりして、またこんな状態なのかと思った。その時私は新しくそのグループに入ろうとしていたところで嫌われたら嫌だと自分を守る気持ちが大きく、何もせずにただ傍観していた。結局その追い出されてしまった子と、前のグループで追い出されてしまった子が仲良くなっていた。私は中高一貫校なので中学の交友関係が高校まで引き継がれて新しいグループの子たちとは仲の良いままだ。だが、不思議なことに今はそのグループに、前のグループと今のグループで追い出されてしまった二人がいる。今のグループ一人の子を追い出した子は、考え方が違ったのか自然と離れていった。その影響で追い出された子がまた私たちのグループに来て、私たちも前にしたことは間違っていたとその子に謝ってまた関係が修復した。前のグループで追い出してしまった子にも、あの時はこんな気持ちだったのだ、私が悪いことをしてしまったと謝り、また仲良くなった。自分も嫌われて傷ついた経験があるのに、また他の人にも同じことをしてしまう自分は流されてやってしまうしまう現状だが、それでも今度こそはそんなことはしないようにこの経験をいつまでも忘れずにいたい。

 [327] いやな奴と私
   

ソリューション データ:
私は中学二年生の時に、不良生徒に目を付けられた。
私は怖がりであったため、その不良生徒に目を付けられないようにコソコソとしていた。しかし席替えによって私は不良生徒に目を付けられるようになってしまった。
私は友人たちの近くに座ったつもりであったが、偶然不良生徒の真後ろの席になってしまったのだ。
また、自分の後ろの席には別に目を付けられていた生徒がいて、私が後ろに座った生徒を守る形になり、誤解が生じた。
不良生徒は毎日のように、私を嫌な気分にさせる自己中心的な行動をとった。
椅子を思いっきり下げて自分の座るスペースを広げたため、私の座るスペースはとても少なく、机と体には1mm程の隙間しかなかった。
反抗や口答えをしようとすればキレられ、かばんにはごみを入れられ、私は学校に行く度に、怯える日々を送っていた。
その不良がいない日は即ち安息である日になるほど、私は最悪の日々を過ごしていた。
しかし、それでも変化はあった。
不良に目を付けられいた私や後ろの席の生徒ではなく、不良のグループにいた一人が不良生徒からひどい扱いを受け、それを先生に訴えたことによりその生徒は停学になり、戻ってきてからも平気なように席を変えなおした。
それによって私は不良生徒から離れることが出来たのだ。
保護者会で不良生徒の母親が謝ったようだったが、本人から直接謝られることはなく、それ以降も不良生徒に対して恐怖を感じていた。

 [326] 部活での精神的苦痛
 中学校  

外部のコーチ


ソリューション データ:
私は小中高とバスケットボール部に所属していました。私が一番辛かったのは中学校での部活です。私の学校の部活は顧問ではなく外部のコーチの中心の活動でした。とりあえず練習が本当にきつく、ひたすら走らさせていました。そして、身体の暴力と言葉の暴力がひどかったです。何かミスをすると。叩かれ、殴られ、私はなかったのですが、蹴られたりボールをぶつけられるチームメイトもいました。今は体罰が問題となっていますが、当時はそれが当たり前でしたし、他のチームもそのような感じでした。桜ノ宮高校の体罰・自殺問題がありましたが、バスケットボールの世界では体罰はあまり珍しいことではありませんでした。そんな部活が本当に嫌になり、一時期行きたくなくなり、私は泣きながら親に相談しました。親は真剣に私の話を聞いてくれて、顧問にも抗議してくれたのですが、他の親は多少の体罰などを認めていたので、そのコーチを辞めさせることはできませんでした。でも私は親に話したことでとてもすっきりし、その後の部活は多少コーチと気まずくなりましたが、引退まで続けることができました。コートのことで悩んでいた時期は本当に人生のどん底という感じで、食欲もなく肌荒れなどしましたが、周りのチームメイトや親に支えられ頑張っていくことができました。学校関連の問題で自分の力ではどうにもならないとき、親や先生、友達に相談するべきだと思います。直接解決につながらなくても、話すだけで気分がすっきりすることもあります。周りの人たちに頼ることは大切だとおもいます。

 [325] 気持ちを伝えて深まった友情
 中学時代  

友人


ソリューション データ:
中学1年生の時に、同じ部活のAさんが私の部活の仲間に嫌がらせばかりしてきました。
その嫌がらせは、長い間続いていたため顧問の先生に仲間と一緒に相談をしに行きました。
先生にお願いして注意をしてもらったけれど、それでもなかなかやめてくれなかったので、私が直接Aさんに「やめてほしい、そういうことをするあなたは嫌いなの!」とはっきりと気持ちを伝えました。
すると、Aさんに私の気持ちが伝わったようで、次の日からは嫌がらせをしてこなくなりました。
はっきりと気持ちを伝えることも時には大切なのだと感じました。
それ以来、お互いの気持ちをはっきりと言い合っています。
今でも、仲が良く遊びに行ったりする大切な友達です。

 [324] 取り残される辛さ
 怪我で部活に参加できなくなったとき  

自分


ソリューション データ:
 私は中学の頃、陸上部に所属していた。同い年の女子が10人以上いるなかで、4人しか選ばれないリレー選手としてよく大会に出場していた。しかし、中学2年の冬、挫折をこじらせ、約半年間練習に参加できなかった。
 陸上は1日休んだらその分の体力を取り戻すのに3日かかうと言われるほど、日々の練習が大切な競技である。けがをしたときは、まさかしっかり治るまでは半年もかかるなんて予想もしていなかったが、歩くことさえ普通にできなかったため、治るまでに時間がかかるだろうということは予想でき、とても焦った。
 冬季の練習はとてもつらいため、冬なんて来てほしくないとよく思っていたのに、いざ、みんなの練習している姿をみていると取り残された様な気分になり、泣きそうになったこともある。これ以上みんなにおいていかれたくなくて、無理やり練習に参加しようとしたことさえある。
 そんな私を支えてくれたのは、部活の仲間だった。私がみんなの練習をみて、泣きそうになっていた時には「何かあったら相談してね」と言ってくれたり、今まで一緒にリレーを走ってきたメンバーは「また一緒にリレー走るために今は我慢だよ」と励ましてくれたりした。また顧問も、励ましの言葉をくれたり、私は無理をしようとしたときには止めたりしてくれたりした。そんな仲間のおかげでけがを治すことができ、冬が明けてからの大会でまたリレーのメンバーとして走ることができた。


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