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 [140] 食べられない私が栄養学科生になるまでの話.
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
私が高3の時、友達と食べ放題に行きました。そこでつい食べ過ぎてしまい気持ち悪くなった時のことです。私は気持ち悪くなったことにとてもパニックになってしまい、友人が「大丈夫?」と背中をさすってくれようとすると「吐いちゃいそうだからさすらないで!!」と手を払いのけてしまいました。その時に私は「吐くこと」に対してすごい恐怖心を持っていることに気付きました。その日から(食べすぎたせいもあり)胃腸を悪くし、「吐くことが嫌」だからとまともにご飯を食べない日が続きました。体重も5kg程ガクンと落ち、以前のような食べれない自分が嫌でした。外食にも行けず、親にもとても迷惑をかけました。なにより「栄養学科」に行きたいのに食べれないことで諦めてしまう事が一番嫌でした。そこで、私はまず「食べない」けれど「外出」してみることから始めました。外出して何ともないことで安心し、行動範囲も広がり、今まで外食もできるようになりました。もちろん私だけでなく友人、家族の支えもあったからこそです!今は楽しく「栄養学科生」として毎日大学に通っています。この経験を生かして将来は心の悩みにも対応できる管理栄養士を目指し日々頑張ってます!

 [139] 食べられない私が栄養学科生になるまでの話
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
私が高3の時、友達と食べ放題に行きました。そこでつい食べ過ぎてしまい気持ち悪くなった時のことです。私は気持ち悪くなったことにとてもパニックになってしまい、友人が「大丈夫?」と背中をさすってくれようとすると「吐いちゃいそうだからさすらないで!!」と手を払いのけてしまいました。その時に私は「吐くこと」に対してすごい恐怖心を持っていることに気付きました。その日から(食べすぎたせいもあり)胃腸を悪くし、「吐くことが嫌」だからとまともにご飯を食べない日が続きました。体重も5kg程ガクンと落ち、以前のような食べれない自分が嫌でした。外食にも行けず、親にもとても迷惑をかけました。なにより「栄養学科」に行きたいのに食べれないことで諦めてしまう事が一番嫌でした。そこで、私はまず「食べない」けれど「外出」してみることから始めました。外出して何ともないことで安心し、行動範囲も広がり、今まで外食もできるようになりました。もちろん私だけでなく友人、家族の支えもあったからこそです!今は楽しく「栄養学科生」として毎日大学に通っています。この経験を生かして将来は心の悩みにも対応できる管理栄養士を目指し日々頑張ってます!

 [138] 食べられない私が栄養学科生になるまで
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
私が高3の時、友達と食べ放題に行きました。そこでつい食べ過ぎてしまい気持ち悪くなった時のことです。私は気持ち悪くなったことにとてもパニックになってしまい、友人が「大丈夫?」と背中をさすってくれようとすると「吐いちゃいそうだからさすらないで!!」と手を払いのけてしまいました。その時に私は「吐くこと」に対してすごい恐怖心を持っていることに気付きました。その日から(食べすぎたせいもあり)胃腸を悪くし、「吐くことが嫌」だからとまともにご飯を食べない日が続きました。体重も5kg程ガクンと落ち、以前のような食べれない自分が嫌でした。外食にも行けず、親にもとても迷惑をかけました。なにより「栄養学科」に行きたいのに食べれないことで諦めてしまう事が一番嫌でした。そこで、私はまず「食べない」けれど「外出」してみることから始めました。外出して何ともないことで安心し、行動範囲も広がり、今まで外食もできるようになりました。もちろん私だけでなく友人、家族の支えもあったからこそです!今は楽しく「栄養学科生」として毎日大学に通っています。この経験を生かして将来は心の悩みにも対応できる管理栄養士を目指し日々頑張ってます!

 [137] 話を聞くことの大切さ
 高校  

高校の友人


ソリューション データ:
高校時代の友達に学校生活に悩み、うつ病になってしまった子がいた。学校に行きたくないが彼女の口癖だった。私は友達とどうしてあげればいいかわからなかった。結局その子は学校をやめてしまい、しばらく音信不通になってしまっていた。その子が学校をやめるとき私は止めるべきだったと、何かをしてあげるべきだったのかと悩んでいた。そして高校を卒業してからしばらくしてその子から連絡があった。しばらく話をしていると、表情が明るくなったのがわかったし少しずつ病気が治ってきているような気がした。そしてその子はあの時、他の人は学校をやめることを止めようとしたけれどあなたは止めずに話を聞いてくれたね。それが一番助かった。といってくれた。話を聞くことしかできなかったけどそれが彼女にとって良いことだったなら安心した。将来専門職として働くうえで、いろいろな悩みを抱えた人に出会うとお思うが、話を利いてあげるという簡単なことでも大きな支えになるんだなとわかる出来事だった。

 [136] 拒食症と私
   

ソリューション データ:
私は小学6年生のとき、拒食症にかかりました。原因はダイエットがきっかけでした。
最初は夕飯のご飯を抜く程度でした。でも徐々におかずも口にしなくなり、給食も殆ど残すようになりました。
加えて私は動いていないと太ると考えていたので、家にいても座ることがあまりありませんでした。
食べる事が怖くて仕方がなくなり、食べたら太る、これを食べたらどのくらいカロリーを摂取することになるのだろう、と食べ物のことばかり考えて、カロリー計算を気持ち悪いくらいにしていました。
摂食障害の人は、食べなさいという言葉が一番嫌いです。
なんで食べなきゃいけないのか。どうして命令されなきゃいけないのか。
食べなくたって生きていけると思いこんでいました。
中学生になっても状況は変わらず、どんどん痩せていきました。この頃には、自分でも変化がわかりました。体力が全然ついていかないし、走ることができませんでした。
階段を上るのも一苦労でで、鏡を見ても痩せていることは分かりました。
でも、もう元の自分に戻ることは出来ませんでした。
食べることが分からなくなっていて、たとえ食べたとしても、罪悪感からいっぱい動いて、次の日は絶食するなどの繰り返しでした。
親戚から病院を紹介されましたが、なんで病気でもないのに行かなきゃいけないのか、病院は病気の人が行くところだと、拒み続けました。
でも一番は、言ったら食べなきゃいけなくなると思っていたからなんだと思います。
友達は何も言わなかったけど、何か言われているとは分かりました。
私は、何がきっかけかは忘れましたが、病院に通い始めました。
しかし全く良くならず、ますます痩せていきました。
ある病院の紹介でもっと大きな病院を紹介され、入院することを勧められました。
私は精神的にも体力的にももう限界でした。
家にいたらまた動いてしまうし、学校の周りの人達の目も怖かったのです。
そして入院することになりました。
最初はやはり食べられませんでした。
でも、わたしの先生たちはとても良い人達ばかりで、自分の体重が20kgを切って、ようやく自分の病気を治そうと決心しました。
毎日しっかり食べ、運動も制限され、普通の人と同じ生活ができるようになりました。
3か月後、私は30kgを超え、退院しました。
学校の友達はあたたかく迎えてくれたし、楽しく学校生活を送れました。
家族とも普通にご飯を食べることが出来るようになって、私は完全に治ったと思っていました。
しかし、それは大きな間違いでした。
中学2年生になり。いつの間にか食べることがこわくなり、残すようになりました。この時から、私は独りになりました。
友達が無視して、避けるようになりました。
でも、陰でこそこそ私の体や食べないことを言っているのが聞こえた時は、本当にぶっ飛ばしたくなったし、そう思われてしまう自分に泣きたくなりました。
よくテレビで先生も知らないふりをするとかあるけど、それは本当だな、なんて思いました。
みんな知らないふり、自分が痩せているのに食べないからだとわかっていても、それがなんで無視という態度になるのか理解できません。
私は中学生の間に3回入院しました。
病院の人はみんな優しかったから、入院することが好きになっていました。
学校には行きたくないけど、誰にも言えない。
友達も出来て、天国のようなそこから離れたくなくなり、普通の生活が怖くなっていました。
私が完全に治ったのは、高校生になったからでした。
新しい生活が始まり、周りの環境も変わりました。
みんな偏見を持たずに接してくれて、みんなみたいに元気に笑えるように頑張ろうと努力した結果、今では普通に生活できています。
たまに怖くなる時もありますが、友達や家族の支えって大事だなと思います。
入院という経験のお蔭で病院のマイナスなイメージは全くないし、精神的な病気の人でも、普通に生活して、会話ができて、優しかった事をよく覚えています。
病院でも独りではなかったから、頑張れました。
人は支え合って生きているんだと、強く実感することが出来ました。
わたしを支えてくれた、すべての人に感謝しています。

 [135] 伝えようとする気持ち
   

ソリューション データ:
私は高校1年生の夏休みにアメリカのシアトルへ3週間の短期留学をした。行く前の私はものすごく楽しみにしていたが、初めての海外、初めてのホームステイ、初めての環境、初めてのことばかりで不安でいっぱいだった。
慣れない環境が続き、ストレスが溜まっていった。ホームステイ先の家族や友達と上手に英語でコミュニケーションがとれず、言いたいことも伝えることができなかった。数日間はホームシックになり、毎晩ひとりで泣く日々を過ごした。

ある時、コーディネーターさんに相談すると、3週間無駄に過ごさない為にも、思っていることはちゃんと伝えたほうがいいとアドバイスをくれた。
家に帰り、ホストファミリーに思っていたことを思い切って話してみた。すると、ファミリーは思っていることを素直に伝えてくれてうれしいと言ってくれた。それからの2週間はものすごく楽しくて、ハイキングや海、ショッピングをして楽しむことができた。あの時、一生懸命伝えてよかったと思う。

私は、言語が違うからとあきらめるのではなく、伝えようとする気持ちが大切であると、この経験から学んだ。これから文化や言語が違う人に会う機会があるかもしれない。その時は、あの時のように一生懸命伝えることをしたいと思う。

 [134] 拒食症
   

自分自身


ソリューション データ:
部活を辞めてから、自分が作り上げた理想の人間像になるためにまず、ダイエットを始めた。初めはただ、ウォーキングをして少しの食事制限といったダイエットだった。しかしだんだん魚、肉、卵を食べなくなって、油をとりたくなくなって、食べることができるものが少なくなっていった。もちろん、体重も減っていき、いつしか毎朝体重計に乗り、体重が少しでも減っていないと不安になるようになっていった。学校に持っていくお弁当も母に隠れて捨てていた。水を飲むのが怖くて一日に一滴も飲まない日もあった。半年で体重は42キロから28キロになり家族や先生、周りの友達にとても心配された。しかしそれでもやめられなくて拒食し続けた。ある日の夕飯のとき両親がわたしに真剣な顔をして、「愛は死にたいの?今の愛は自分を見失ってるよ」と言ってきた。わたしもそろそろダイエットを辞めないと自分がおかしくなってしまいそうだと思っていた。食べることは怖いことであることに変わりはなかったが、その日から少しずつ食べ物を口にするようになり、少しずつ体重も増えていった。あのときのわたしはなにも感情がなく、周囲の人のわたしを心配する声も聞こえないほど自分勝手だった。あの時両親や先生,
友人がわたしをとめてくれたから今のわたしがあるんだと、本当に感謝している。そして、わたしは一人では生きていけないな、もっと自分と周りのひとを大切にしようと思うようになった。

 [133] 支えるということ
   

友人M


ソリューション データ:
私が中学1年生の時から仲のいい友人Mがいる。中学校に入学し、人見知りが激しかったため自ら誰かに話しかけることが出来なかった私に、彼女が話しかけてくれて、すぐに仲良くなった。気づけばいつも一緒にいた。しかし入学後数か月経ち、Mは学校を休みがちになってしまった。最初はただ具合が悪いのだろうと思っただけであったが、それにしてはあまりにも欠席日数や遅刻回数が多い。当時私は携帯電話を持っていなかったため、なかなか連絡がとれず、先生も「体調を崩している」と言うだけでそれ以上のことは教えてくれなかった。ある日Mが保健室に登校した日、先生に保健室に行くようにと言われ、ノートのコピーやプリントをもって保健室に向かうと、彼女はちょうど養護教諭やスクールカウンセラーと話しているところだった。しばらくの間、私も輪に入り話に花を咲かせると、養護教諭に「これからは橋本さんにはMさんを支えてほしい」と言われた。そしてMが心因性の病気にかかり、体調を崩すようになったのだと聞いた。後にそのころMの家にいろんな問題があり、大きなストレスを抱えていたのだと知ったが、当時の私は何がMを苦しめているのかに気付けなかった。しかし大切な友人のために何かしたい、一緒に学校生活を楽しみたい、と思い先生の「支えてほしい」という声に「はい」と答えた。
実際に私がしたことはノートをきちんととってコピーする、Mが授業に出られるときは保健室に迎えに行く、放課後保健室で少し勉強して一緒に帰る、ということぐらいだった。私は「支えている」という実感がない状態でMに接していた。しかしそれがMにはちょうどよかったらしく、私と話したりするだけで気持ちが楽になったという。そのような日々が過ぎ、Mは通常通り登校し、授業に出て学校生活を送れるようになった。
支えるということは必ずしも「支えなきゃ」という責任感が伴うものではないだろう。いつものように接すること、特別扱いをしないこと、相手が何を望んでいるのかを汲み取ること、・・・身近な人を支えるためには何か特別なことをするのではなく、これだけで十分なのではないのだろうか。Mも私も、お互いがお互いを刺激しあって、一緒に時間を共有し、笑顔でいたいことで問題を克服できたのだと思う。

 [132] できる人のレッテル
 小学校のころから  

自分


ソリューション データ:
私は小学校の頃からずっと成績が良かった。自分でも、一度いい成績を取ってしまったらそれより下になるのが怖いと思っていた。今も昔もプライドが高いので、自分より上にたくさん人がいることが嫌だったのだ。また、私は比較的同級生の中では考えも行動も大人びていた。これは小さなころ方大人と接する機会が多かった為だと思う。そして、極めつけは自分の金銭感覚である。あまり物欲がなく、むしろ貯めているほうが楽しかった。その三拍子がそろっていたためか、周りの人から「すごい」「しっかりしてる」「あなたなら大丈夫」と言われ続けてきた。最初のうちはうれしかったし、少なからz優越感も感じていた。でも私がほめられるのを聞いて喜んでいる家族を見たら、もう戻れないと感じた。決して家族が悪いわけでも、圧力を掛けられたわけでもない。むしろ家族は、頑張りすぎている私を見て「もうやらなくてもいい」とまで言うほどだ。それでも私は「できる人」のレッテルに縛られていた。
今は、そのレッテルはあまり気にせず、疲れたら息抜きするなどして、うまくやれていると思う。私が私らしく生活できているのは家族のおかげである。言っても聞かないような私を理解して、見守ってくれているからこそ無理なことも頑張れるのだ。

 [131] グループの女子
 高校生  

女子グループ


ソリューション データ:
私の高校は進学校で、1日休めばあっという間に差がついてしまうので、毎日必死に勉強しました。高校に入学してから席が近くて仲良くなった女子6人グループの中で、私はノリについて行けなかったり、ひどいイジリを受けたり、休み時間もトイレに行く時も行動を共にすることに面倒臭さを感じ、だんだんと学校に行くのが嫌になっていきました。
グループの1人とは部活も最寄り駅も一緒なので、朝から夜まで一緒にいることにすごくストレスを感じていました。でも学校を休んでしまったらあっという間に取り残される。そういう思いもあってなかなか休めなかったけど、限界がきて1日ずる休みをしてしまいました。でも結果的に1日リフレッシュしたことで、友達との距離感とか自分の気持ちを整理することができました。


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