Title9-3.GIF (2758 バイト) クロニクル「ローマ帝国」   
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 ローマ帝国 概観‐OUTLINE‐

 イタリア半島の部族であったローマは周囲の部族を吸収し、ギリシアの民主政の影響も受けたのか、王政から共和政に移行した。そこで培われた合理的な精神、そしてギリシアの豊かな思想、芸術なども取り入れ、ローマという国家を次第に発展させる。さらに、東の大国ペルシアの王の道などの重要性も取り入れ、インフラ整備により、効率的な国家運営システムを発展させる。経済的には地中海貿易により、繁栄したが、それが、地中海の雄カルタゴと衝突することとなる。これが覇権国家としての目覚めとなったのか、東方ではアレクサンドロスの後継国家をも次第に制圧し、欧州の大国となっていく。領土支配においても、周辺の民族を受け入れていく“寛容”な施策により、人口としても、人材としても強い国家を造った。また、征服した領土は属州として、そこに貴族を配することで、効率的な経営を行った。政争も淘汰と変革に資することもあっただろう。天才的な政治家であり、軍略家であったカエサルは、ガリアやエジプトを征服したが、拡大した領土で発生するさまざまな問題に迅速に対処するためには、共和政では限界を迎えており、独裁的な権力による国家運営の必要を感じていたが、共和政の歴史を背景とした保守主義が、カエサルを暗殺することとなる。しかし、時代背景は、そのような要請を受け入れ、カエサルの後継者オクタヴィアヌスは、権力を掌握し、帝政による国家運営に着手した。
 広範な周辺地域の属州経営は、しかしそれらの地域の部族の啓蒙となり、また豊かなローマ帝国への魅力ともなった。東方フン族に圧迫された周辺のゲルマン諸部族は、ローマへ庇護を求めて侵入し、ローマもそれを受け入れる。また、それらの民族はローマ帝国内で、軍人などとなり、次第にローマ帝国中枢で力を持つようになり、ローマ帝国の政治をも左右することとなる。そして、外部からの圧力と内部での政治的な混乱から、ローマ帝国は東西に分裂した後、西ローマ帝国は滅亡する。東ローマ帝国はビザンツ帝国として12世紀まで存続し、東西ヨーロッパは文化的に一線を画することとなる。


ポエニ戦争(BC264〜BC146)

BC264年  第一次ポエニ戦争前;イタリア半島を統一したローマ共和国と地中海の覇者カルタゴがシチリアをめぐって衝突
BC238年  第一次ポエニ戦争後;急速に海軍力を増強したローマが、合理的な政治システムによりカルタゴを破る
BC218年  第二次ポエニ戦争前;ローマへの復讐を誓ったハンニバルがスペインからイタリアへ侵入し次々とローマ軍を破る
BC213年  第二次ポエニ戦争後半;ローマは戦術にすぐれたハンニバルを破ることはできないながら、半島内で孤立化を図る
BC201年  第二次ポエニ戦争後;ローマが攻めに転じる中スキピオの登場によりハンニバルを撃破する
BC146年  第三次ポエニ戦争後;ヌミディアへの防備を固めたカルタゴはローマから条約違反を咎められ、3年の攻城戦の後、破壊される。



ローマ帝国への道

BC51年   カエサル・ポンペイウス・クラッススの三頭政治
BC46年  カエサル、ポンペイウスとの内戦を制し独裁官となる 
BC32年  カエサル暗殺され、オクタヴィアヌスとアントニウスが後継者争い 
BC20年  オクタヴィアヌスがアントニウス・クレオパトラを破り、ローマ帝国へ
 BC9年  アウグストゥスによるローマ帝国領土再編 
AD14年  アウグストゥス没後、ティベリウスが第2代皇帝となる
 37年  32年、イエス磔刑に処される
66年  ユダヤなど属王国での反乱つづく
69年  ネロ帝自殺、軍人による後継者争い
85年  ブリタニアでのローマ支配強化、ダキア王独立と侵入 
106年  五賢帝時代はじまる〜ネルヴァ、トラヤヌス 
 117年   トラヤヌス帝、パルティアを攻略し、ローマ帝国最大版図
 135年  ハドリアヌス帝に敗れたユダヤ人のディアスポラ始まる 
 166年  パルティアに攻めむ一方で、北方ゲルマン民族の侵入が活発化しはじめる
 184年   ローマ帝国は領土拡大よりも維持・防衛へ
193年  コンモドゥス帝暗殺以後にアフリカ出身のセウェレスが皇帝となる
199年  セウェルス帝による帝国再征服とパルティアに対する攻勢


ローマ帝国の衰亡 概観-OUTLINE-

226年  パルティア滅び、ササン朝ペルシア建国される 
248年  軍人皇帝時代;軍の推戴により皇帝が乱立
 258年  軍人皇帝政権は安定せず、ゲルマン民族の侵入が活発化
270年   ガリア帝国、パルミラの王女ゼノビアが独立割拠。
273年

  アウレリアヌス帝、帝国を再復し、ダキア属州を放棄し、防衛線を強化した。

286年

  ディオレクレティアヌス帝、マクシミアヌス帝を副帝とし、帝国を東西で分割統治。

293年   ディオクレティアヌス帝の四分統治
305年

  ディオクレティアヌス帝、マクシミアヌス帝とともに引退を宣言。第二次四頭政。

306年

  西方正帝コンスタンティウス・クロルス帝ブリタニアで死去。子のコンスタンティヌスが即位。マクシミアヌスの息子マクセンティウスがローマで皇帝を僭称し、元老院の承認を受ける。

308年

  西方正帝セヴェルスが、マクセンティウスに敗死。リキニウスを西方正帝とする。

311年

  東方正帝ガレリウスが死去し、リキニウスが東西の正帝を兼務。

313年   西方副帝コンスタンティヌスが、リキニウスと同盟を結び、マクセンティウスを征討。ローマを制圧し、西方正帝となる。両帝、「ミラノ勅令」によりキリスト教を公認。
315年

  コンスタンティヌス帝、リキニウス帝を破り、リキニウス帝の統治領を小アジア以東に制限。

324年

  コンスタンティヌス帝、再度リキニウスを破り、引退させる。帝国再統一。

翌325年、ニケーア公会議でキリスト教の三位一体説を正統とする。

335年   コンスタンティヌス大帝末期の分割統治準備
337年   コンスタンティヌス大帝後の三分割統治
340年   コンスタンティヌス大帝後の覇権争い
351年   僭帝マグネンティウス
353年   コンスタンティウス帝による帝国再統一
361年   ユリアヌス、反旗を翻す
362年   背教者ユリアヌスのペルシア遠征
365年   ヴァレンティアヌスによる兄弟統治
378年   ヴァレンス帝と甥二人による統治
379年   テオドシウス帝、帝国再統一を図る
387年   ブリタニア総督マクシムスの反乱
394年   テオドシウス帝による帝国再統一成る
395年   ローマ帝国の分裂 
401年   西ゴート族の王アラリック、イタリア侵入
405年   東ゴート族がイタリアに侵入、フィレンツェを包囲
409年   西ローマ帝国の防衛線が弱まり、ゲルマン民族大移動は西ヨーロッパへ
413年   ゲルマン諸部族の西ローマ帝国内への定着・建国
430年   ゲルマン諸部族の侵入により西ローマ帝国は政情不安定化
447年   ゲルマン民族を圧迫していたフン族がローマ帝国領内へ
454年   ゲルマン民族の王国建設
471年   ゲルマン民族が西ローマ皇帝存立にも影響力を持つ
476年   ゲルマン人傭兵隊長オドアケルに簒奪され、ついに西ローマ帝国は滅亡 
487年   オドアケルのイタリア半島支配、フランク、東ゴートの拡張
501年   オドアケルを破った東ゴート王国がイタリアを支配
523年   ゲルマン民族王朝の抗争と同盟はじまる 
538年   ブルグンド王国、ヴァンダル王国滅びる
560年   ビザンツ帝国が東ゴート王国を滅ぼす
568年   ビザンツ帝国によるイタリア再征服は続かず、ランゴバルド族が支配
619年   縮小するビザンツ帝国領土

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