テオドシウス帝による帝国再統一 |
379年 |
東ローマ帝国の共同皇帝テオドシウス1世(379〜395)帝国再統一を図る。ウァレンティアヌス2世はイタリア・イリュリクム・アフリカを、グラティアヌスはガリア、スペイン、ブリタニアを統治。(注;ウァレンティアヌス2世が支配したアフリカには、カルタゴ以西は含まれない可能性もある。)
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380年 |
テオドシウス1世、テッサロニケ勅令;東方でアリウス派を禁止、アタナシウス派を正統信仰とする。 |
グラティアヌス、東ゴート族とヴァンダル族をパンノニアに移住させる。 |
テオドシウス1世、西ゴート族をマケドニアに移住させる。 |
381年 |
コンスタンティノープル公会議;ニケーア信条に基づく三位一体の正統信仰を定め、アリウス派など異端を国外追放。キリスト教が国教となる。 |
382年 |
テオドシウス1世、西ゴート族と和約締結;軍役を代償に同盟者として、モエシアとトラキアへ移住を認める。 |
383年 |
ブリタニア軍団総督マグヌス=マクシムス、皇帝に擁立され、ガリア、スペイン征服のため、大陸に渡る。(-388) |
テオドシウス1世、息子アルカディウスを共治皇帝とする。(-408) |
グラティアヌス、マグヌス=マクシムスにリヨンで敗れ、暗殺される。 |
384年 |
テオドシウス1世、マグヌス=マクシムスを共治皇帝と認める。(-388) |
ローマ教皇シリキウス即位(-398)、現存する最古の教皇法令を出す。 |
386年 |
ヒッポのアウグスティヌス、回心。翌年、キリスト教に改宗。 |
東ゴート族、ドナウ河を渡るが、ローマに撃退される。 |
387年 |
テオドシウス1世、アンティオキアの反乱を鎮圧 |
マクシムス、イタリアを占領し、ウァレンティアヌスは東方へ逃亡。 |
ローマ、ペルシア、アルメニアを分割。 |
388年 |
テオドシウス1世、マクシムスをシスキアで破り、アクイレイアで処刑。 |
389年 |
テオドシウス1世とウァレンティアヌス2世、ローマに凱旋。 |
390年 |
テオドシウス1世、テッサロニケの反乱を鎮圧し、市民7,000人を虐殺。 |
ミラノ司教アンブロジウス、テッサロニキの総督を殺したという理由で7,000人の市民の虐殺を命じたテオドシウスを破門とする。 |
391年 |
異教信仰の全面禁止令;アレクサンドリア司教テオフィルス、セラピス神殿を破壊。 |
392年 |
ウァレンティアヌス2世、フランク人武将アルボガストの反乱によりガリアのウィエンナで殺害される。 |
アルボガスト、ローマ貴族エウゲニウスを皇帝に擁立(-394)、ローマ内乱。異教反動の最後の抵抗。 |
エウゲニウス、異郷寛容令を出す。 |
ヴァンダル族の将軍スティリコ、ゴート・アラン・フン・バスタルナエ諸族をドナウ河畔で破る。 |
393年 |
ホノリウス、共治皇帝となる(-423) |