Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe454年   

447年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)   gya_r_bg.gif (1063 バイト) 471年

ゲルマン民族の王国建設

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概略

西ローマ帝国は、西ゴート、フランクなどとの連合軍により、451年カタラウヌムの戦いでフン族を撃退した。さらに、ローマ教皇の説得もあり、フン族はローマ帝国領内から撤退していく。しかし、連合したゲルマン民族が、西ローマ帝国領内で次々に独立して国家を建設していく。


ゲルマン民族の王国建設
447年 アッティラ、下モエシアから東ローマ帝国領内へ侵入。再度コンスタンティノープルに迫る。
東ローマ、コンスタンティノープルの城壁を強化。
テオドシウス2世、フン族と講和;貢納を約し、ドナウ南岸、トラキアに至る土地を割譲。
449年 フン王アッティラの暗殺計画挫折。
東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世(408?450)がエフェソスの公会議を招集。ネストリウス派が異端とされる。
ネストリウス派は東方伝道を開始。
450年 テオドシウス帝没。マルキアヌス帝(450?457)、貢納を送ることを拒否して、フン人を追放。
451年 カタラウヌウムの戦い;ローマの将軍フラウィウス・アエティウスと西ゴート族の王テオドリック1世が、ローマ人、フランク人、ゴート人を寄せ集めて、ガリアに侵入したアッティラと戦い破る。西ゴート王テオドリックは戦死。
カタラウヌムの戦いに敗れたアッティラは、イタリアへ南下。アッティラから逃れて沿岸のラグーンに散在する島に移住し、ヴェネチアが誕生。
ブルグント族はカタラウヌムの戦いでローマ帝国と共にフン族と闘った。また西ローマ皇帝グリケリウスを擁立するなどしてローマ帝国の政治に介入した。ローマ帝国との繋がりを深めていったブルグント王国であったが五世紀末に西ローマ皇帝位は廃絶した。
452年 教皇レオ1世はイタリアに侵攻したアッティラと会見し、ドナウ川まで撤退するよう説得。フン人はドナウ川を越えて、(現在の)ハンガリーに戻った。
453年 アッティラ死去。その後もフン人は中央ヨーロッパへの侵入を繰り返す。弱体化したヨーロッパは対抗できず、遠い帝国軍に助けを求めることもできず、要塞化された町で、彼らに安全を与えてくれるリーダーになら誰にでも忠誠を誓った。
西ゴート テオドリック2世即位(〜466)
454年 西ローマのアエティウス、ヴァレンティニアヌス3世に暗殺される。
東ゴート、フンを撃退。フンの支配下から独立し、パンノニアに定住。(〜489)
ゲピダエ族、ダキアに建国(〜504)
フン族、ゲピダエ族(ゲルマン人)と東ゴートの反乱でネダオ河畔の戦いに敗れ、アッティラの長子、敗死。

資料 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利』
石橋秀雄他 『世界史大年表』
サイモン・ジェンキンス 『ヨーロッパ全史』