| ローマ帝国は領土拡大よりも維持・防衛へ |
| 167年 |
天然痘、ローマに流行;イタリアの人口1/2〜1/3に減少 |
| 168年 |
マルクス・アウレリウスとルキウス=ウェルス、ゲルマン諸族をイタリアから撃退 |
| 169年 |
アウィディウス=カッシウス、オリエント戦線の総司令官となる |
| 共治皇帝ルキウス=ウェルス病没 |
| 170年 |
マルクス・アウレリウス、ドナウ地方に攻撃を開始、マルコマンニ族・クアディ族と戦う(〜175) |
| 171年 |
カッティ族、ベルギー地方に侵入、マインツ・トリールを脅かす(*1) |
| 172年 |
サルマタエ人、ドナウ川下流の辺境を攻撃、ギリシアへ侵入 |
| マウレタニア人、南スペインに侵入し、略奪 |
| マルコマンニ族、ローマに降伏 |
| 173年 |
カッシウス、エジプトの反乱を粉砕 |
| 174年 |
マルクス・アウレリウス、『瞑想自省録』を完成 |
| 175年 |
シリア総督アウィディウス=カッシウス、オリエントで副帝を僭称 |
| カッシウス、部下に殺される |
| マルクス・アウレリウスとコンモドゥス、カッシウスの反乱に赴く(〜176) |
| クアディ族・ヤジゲス族、ローマに降伏、和約によりドナウ左岸の境界問題決着。辺境地帯に蛮族の定住を初めて認める;第一マルコマンニ戦争終わる(166〜)(*2) |
| ギリシア人の歴史家アリアノス没(ca.95〜);主著『アレクサンドロス遠征史』 |
| 176年 |
マルクス・アウレリウスとコンモドゥス、帰国し凱旋式を挙行 |
| ca.フリュギアのモンタヌスのはじめたキリスト教の異端モンタヌス派広まる |
| アウレリウスの大円柱と凱旋門、建造される |
| 177年 |
コンモドゥス、コンスルとなり、プロコンスル命令権・護民官権限を受け、共治皇帝となる(〜192) |
| ローマ、再びスペインに侵入したマウレタニア人を破る |
| ca.リヨンでキリスト教徒迫害される |
| 教父エイレナイオス(ca.130〜ca.200)、リヨン司教となる(主著はグノーシス派に対する『異端反論』) |
| ゲルマン諸族、パンノニアを侵す |
| 178年 |
第二マルコマンニ戦争;マルクス・アウレリウス、コンモドゥスと共にマルコマンニ族とクアディ族の反乱鎮圧に赴く(〜180) |
| 180年 |
マルクス・アウレリウス、ウィーンで病没、コンモドゥス即位(〜192);養子皇帝制による五賢帝時代終焉 |
| コンモドゥス、ゲルマン諸族と講和し、帰国;第二マルコマンニ戦争終わる |
| 182年 |
コンモドゥス、娘ルキラの陰謀(挫折)で専制的となる;ルキラは処刑 |
| 親衛隊長ペレンニス(180〜)実権を握る(〜185) |
| 184年 |
ブリタニアでアントニヌスの壁を放棄、ハドリアヌスの壁まで撤退 |