ディオクレティアヌス帝、マクシミアヌスを副帝とし、帝国を東西に分割統治 |
279年 |
東方からエジプトにかけて将軍たちが反乱するが、プロブス帝、これを平定する。 |
プロブス帝、小アジアのイサウリア人の反乱を鎮圧 |
プロブス帝、ガリアのボノススとプロクルスの反乱を鎮圧 |
プロブス帝、パスタルナエ族をトラキアに定住させる |
280年 |
プロブス帝、ライン、ドナウ河全域で蛮族撃退戦を展開し、勝利する。 |
プロブス帝、エジプトのプレミュエス族の反乱を鎮圧 |
281年 |
プロブス帝、ローマで凱旋式を挙行。 |
282年 |
プロブス帝、ガリア・パンノニアなどの属州に軍隊のぶどう栽培を拡大、屯田兵を辺境に移住させる |
プロブス帝、ペルシアとの戦いに出発。 |
プロブス帝、ドナウ河沿いのシルミウムで兵士たちに殺される。(50歳) |
ラエティア軍団、近衛軍団長官カルスを皇帝に推挙。カルス帝、長男カリヌス、次男ヌメリアヌスを共同皇帝に指名。ヌメリアヌスを伴い東方へ向かう。 |
283年 |
カルスとヌメリアヌス、春、ペルシア戦役再開、セレウキアとクテシフォンを占領、メソポタミア攻略に成功する。 |
皇帝カルス、ペルシア戦役中に落雷に遭い死去。カルスの息子ヌメリアヌスは、ペルシアから引き上げることとしたが、その帰途、ニコメディアで変死(落雷死)。 部下に殺されたものと考えられる。皇帝警護隊長ディオクティアヌスは、その被疑者を殺害し、軍団から皇帝に推挙される。 |
カルスの長男カリヌスが西方皇帝(〜285)、次男ヌメリアヌスが東方皇帝(〜284)に即位。 |
皇帝警護隊長ディオクレス(のちのディオクレティアヌス帝)、ローマに軍を進める。 |
284年 |
ヌメリアヌスの弟カリヌス、戦闘中に死去。 |
ディオクレス、ディオクレティアヌスと改名し、皇帝に即位。 |
285年 |
カリヌス、モエシアのマルグスの戦いでディオクレティアヌスを破るが、部下に殺される |
286年 |
ディオクレティアヌス、マクシミアヌスを「カエサル」(副帝〜従来の意味は後継帝)に任命。二頭政開始。ディオクレティアヌス、ドナウ河防衛線で蛮族を撃退。その後、東方の防衛線を強化。一方、マクシミアヌスは、北アフリカ防衛線を強化。 |