Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe286年   

273年gya_l_bg.gif (1060 バイト)   gya_r_bg.gif (1063 バイト)293年

ディオクレティアヌス帝マクシミアヌスを副帝とし、帝国を東西に分割統治

クロニクル「ローマ帝国」   テーマ史《INDEX》  ホーム

概略

276年に即位したプロブス帝は、各地の反乱を鎮圧し、ペルシア征討に向かうが、軍に殺される。次のカルス帝も軍隊に擁立されるが、共同皇帝となった息子も含めて不可解な死など軍隊に殺された。286年、ディオクレティアヌスは皇帝即位の3年目に、副帝(カエサル)に盟友マクシミアヌスを任命し、帝国の西半分の統治に関して、自らと同等の権限を与え、二頭政を開始する。それぞれが北方蛮族に対して、防衛戦を展開する。


地域 ガリア、スペイン、ブリタニア、マウリタニア西部 、イタリア、シチリア、北アフリカ ドナウ河沿岸〜パンノニア、モエシア、トラキア 、小アジア、パレスティナ、エジプト
帝位 西方正帝 東方正帝
皇帝 マクシミアヌス ディオクレティアヌス
286年時 36歳 41歳
首都 首都;ミラノ 首都;ニコメディア

ディオクレティアヌス帝、マクシミアヌスを副帝とし、帝国を東西に分割統治
279年 東方からエジプトにかけて将軍たちが反乱するが、プロブス帝、これを平定する。
プロブス帝、小アジアのイサウリア人の反乱を鎮圧
プロブス帝、ガリアのボノススとプロクルスの反乱を鎮圧
プロブス帝、パスタルナエ族をトラキアに定住させる
280年 プロブス帝、ライン、ドナウ河全域で蛮族撃退戦を展開し、勝利する。
プロブス帝、エジプトのプレミュエス族の反乱を鎮圧
281年 プロブス帝、ローマで凱旋式を挙行。
282年 プロブス帝、ガリア・パンノニアなどの属州に軍隊のぶどう栽培を拡大、屯田兵を辺境に移住させる
プロブス帝、ペルシアとの戦いに出発。
プロブス帝、ドナウ河沿いのシルミウムで兵士たちに殺される。(50歳)
ラエティア軍団、近衛軍団長官カルスを皇帝に推挙。カルス帝、長男カリヌス、次男ヌメリアヌスを共同皇帝に指名。ヌメリアヌスを伴い東方へ向かう。
283年 カルスとヌメリアヌス、春、ペルシア戦役再開、セレウキアとクテシフォンを占領、メソポタミア攻略に成功する。
皇帝カルス、ペルシア戦役中に落雷に遭い死去。カルスの息子ヌメリアヌスは、ペルシアから引き上げることとしたが、その帰途、ニコメディアで変死(落雷死)。 部下に殺されたものと考えられる。皇帝警護隊長ディオクティアヌスは、その被疑者を殺害し、軍団から皇帝に推挙される。
カルスの長男カリヌスが西方皇帝(〜285)次男ヌメリアヌスが東方皇帝(〜284)に即位
皇帝警護隊長ディオクレス(のちのディオクレティアヌス帝)、ローマに軍を進める。
 284年  ヌメリアヌスの弟カリヌス、戦闘中に死去。
 ディオクレス、ディオクレティアヌスと改名し、皇帝に即位
285年  カリヌス、モエシアのマルグスの戦いでディオクレティアヌスを破るが、部下に殺される
286年  ディオクレティアヌス、マクシミアヌスを「カエサル」(副帝〜従来の意味は後継帝)に任命。二頭政開始。ディオクレティアヌス、ドナウ河防衛線で蛮族を撃退。その後、東方の防衛線を強化。一方、マクシミアヌスは、北アフリカ防衛線を強化。


資料  塩野七生『ローマ人の物語XII 迷走する帝国』
 石橋秀雄他 『世界史大年表』