Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe409年   

405年gya_l_bg.gif (1060 バイト)   gya_r_bg.gif (1063 バイト) 413年

西ローマ帝国の防衛線が弱まり、ゲルマン民族大移動は西ヨーロッパへ

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概略

西ローマ帝国の将軍スティリコは、402年に西ゴート族、405年に東ゴート族を撃退。しかし、406年にスティリコがローマに召還されると防衛線が脆弱となり、西ヨーロッパへのゲルマン民族大移動が始まる。さらに、408年スティリコは謀反の嫌疑をかけられ処刑されてしまい、西ローマ帝国は国内外で大きく揺らぐこととなる。
スエビ族、アラン族、ヴァンダル族の一部は、ガリア(フランス)からスペインに侵入する。

 

ローマ帝国の分裂
405年 東ゴートの部将ラダガエスス、ゲルマン諸族混成の大軍を率いてイタリア半島に侵入。フィレンツェを包囲したが、スティリコに撃退される。
406年 スティリコ、ファエスラエでゲルマン諸族を破り、東ゴートの部将ラダガエススを殺す。
スティリコのライン国境線守備隊の召還で、ヴァンダル族、スエビ族、アラン族、ラインを渡り、ガリアを侵略。西欧民族大移動の始まり。
ca.教父ヒエロニムス(ca340〜ca420)、聖書のラテン語訳(西方教会の聖書)を完成。
407年 ブリタニア総督コンスタンティヌス、ブリタニア軍団に擁立され、皇帝を僭称(〜411)、ガリアに渡る。
408年 パヴィアで軍隊の暴動。スティリコ派を虐殺。スティリコ、謀反の嫌疑で処刑される。以後各地に僭帝乱立。
東ローマ帝国のアルカディウス没。幼帝テオドシウス2世即位(〜450)
西ゴートのアラリック1世、再びイタリアに侵入、アクイレイア、アルティヌム、コンコルディア、クレモナを略奪。ローマを包囲。貢納金を受け、トスカナへ撤退。
フン王ウルディン、トラキアを襲撃。
409年 ホノリウス、ブリタニアのコンスタンティヌスを共治帝として承認(〜411)。
西ゴート王アラリック、再びローマに進軍。外港オスティアを占領。ローマで首都長官アッタルスを皇帝に擁立(〜410)。
スエビ族、アラン族、ヴァンダル族、スペインに侵入。
スエビ族とヴァンダル族の一部はガラエキア、アラン族はルシタニア、ノヴァ=カルタゴ、ヴァンダル族はバエティカを占領。
410年 西ローマ帝国 皇帝ホノリウス(393?423、テオドシウスの息子)に無視された西ゴートのアラリックは、ローマを3日間略奪。


資料 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利』
石橋秀雄他 『世界史大年表』
サイモン・ジェンキンス 『ヨーロッパ全史』