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ハドリアヌス帝に敗れたユダヤ人のディアスポラ始まる

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概略

トラヤヌス帝時代にパルティアを征服し、ローマ帝国最大版図を実現したが、パルティアの反攻により、ハドリアヌス帝になって、ユーフラテス川を国境とし、和約を締結した。ブリタニアでは、ハドリアヌスの城壁を構築し、蛮族との境界を明確にした。このことはローマ帝国の拡張政策の見直しでもあった。マウレタニアやユダヤでも反乱が発生し、鎮圧した。このとき、つまり第二ユダヤ戦争でのユダヤ人の敗戦によって、その後のディアスポラ(流浪生活)が始まった。


ハドリアヌス帝に敗れたユダヤ人のディアスポラ始まる
117年 トラヤヌス、ローマへの帰途、キリキアのセリヌスで病死;帝国版図最大
ハドリアヌス即位(〜138)
ローマ、パルティアと和し、ユーフラテス川を両国国境とする;ローマ、属州アッシリアとメソポタミア南部を放棄、アルメニアを属王国とする
118年 ハドリアヌス、ローマへ入城;官僚君主制を始め、対国家債務を切り捨てる
4人の元コンスルの陰謀発覚し、処断される
キリスト教徒、迫害される
ハドリアヌス、パンテオン神殿を再建(現存)。ハドリアヌスの別荘着工される。
119年 ダキア、南北2属州に分割
120年 スエトニウス(ca.70〜ca.130)『皇帝伝』を著す
ca.タキトゥス没(ca.55〜)(主著『ゲルマニア』『歴史』)
121年 ハドリアヌス、ノリクム・ラエティア・ガリア・ゲルマニア・ブリタニア・イスパニアなど西方の属州を視察旅行(〜127)
奴隷関係の立法;罪を犯した奴隷を主人が殺害する権利を廃止し、奴隷の剣闘士養成所・売春業者への売却なども禁止
122年 上ゲルマニアとラエティアの長城(リメス)を強化
ブリタニアにタイン川河口からソルウェー湾に至るハドリアヌスの城壁を築造(〜ca.126)(*1)
ローマ、マウレタニアの反乱を鎮圧
123年 ハドリアヌス、パルティア王を謁見し、和約を結ぶ
ハドリアヌス、トラキアにハドリアノポリスを建設
124年 ハドリアヌス、アテネを訪問(〜125)
128年 ハドリアヌス、アフリカ・ギリシア・小アジア・シリアを視察旅行(〜132)
129年 ハドリアヌス、アテネにオリンピエイオン神殿を完成
130年 ハドリアヌス、エジプトにアンティノオポリスを建設
ハドリアヌス、イェルサレムに植民市アエリア=カピトリナを建設
132年 バル=コホバのもとにユダヤ反乱(〜135)、第二ユダヤ戦争、ユダヤ人、イェルサレムを占領
134年 ローマ、カッパドキアに侵入したアラン人を撃退
ユリウス=セヴェレス、バル=コホバを捕らえ、ユダヤ人を虐殺
135年 ハドリアヌス、第二ユダヤ戦争で決定的勝利を得て、ユダヤを属州シリア=パレスティナとする;ユダヤ人の流浪生活(ディアスポラ)始まる
廃墟イェルサレムにローマ植民市アエリア=カピトリナの建設を再開

*1 ハドリアヌスの城壁;122年、ブリタニアのタイン川河口(東側)からソルウェー湾(西側)に至る城壁の構築に着手、完成は126年頃。ブリタニアにおいて、領土拡張政策の転換をも意味する。後(142年)に、さらに北進して「アントニヌスの城壁」を構築するが、その後まもなくハドリアヌスの城壁まで撤退した。ローマ帝国の支配が及ばなくなった後もこの城壁は防衛戦として活用され、この分断が後にイングランドとスコットランドの分断につながる。

資料 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利』
石橋秀雄他 『世界史大年表』
サイモン・ジェンキンス 『ヨーロッパ全史』