Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe308年   

306年gya_l_bg.gif (1060 バイト) gya_r_bg.gif (1063 バイト)311年

第四次 四頭政

クロニクル「ローマ帝国」    テーマ史《INDEX》   ホーム

概略

307年、西方正帝セヴェルス、マクセンティウス征討のためローマへ進軍したが、配下の多くが元マクシミアヌス帝の部下であったため、捉えられ自死に追いやられた。ガレリウスもマクセンティウス征討に失敗し、308年、先帝ディオクレティアヌスはガレリウスとマクシミアヌスを招き、リキニウスを西方正帝とすることを決定した。マクシミアヌスはディオクレティアヌスに従ったが、息子マクセンティウスはまたしても無視された。また、副帝経験もないリキニウスが正帝になったことで、マクシミヌス・ダイアも不満を持った。


地域 ガリア、スペイン、ブリタニア、マウリタニア西部 イタリア、シチリア、北アフリカ ドナウ河沿岸〜パンノニア、モエシア、トラキア 小アジア、パレスティナ、エジプト
帝位 西方副帝 西方正帝 東方正帝 東方副帝
皇帝 コンスタンティヌス リキニウス ガレリウス マクシミヌス・ダイア
308年時 33歳 43歳 48歳 38歳
首都 首都;トリアー 首都;ミラノ 首都;シルミウム 首都;ニコメディア

地域

ローマ周辺および中イタリア諸都市

帝位 元老院が承認
皇帝

マクセンティウス

306年時 30歳
首都 首都;ローマ

第四次 四頭政
307年 西方正帝セヴェルス、マクセンティウス征討のためローマへ進軍中に捉えられ自死。東方正帝ガレリウスがマクセンティウス征討に向かうが、マクセンティウス側についた諸都市に対し、蛮族に対するように襲撃、掠奪したため、途上の諸都市の協力を得られず、撤退した。
ガレリウス、ガリア(パンノニアとも)のコンスタンティヌスのもとに逃亡。
マクシミアヌス(父)、マクセンティウス(子)廃位に失敗;ガリアのコンスタンティヌスのもとに逃亡。
308年 カルヌウントゥム会議;東方正帝ガレリウス、ディオクレティアヌス、マクシミアヌスと会談し、西方正帝にリキニウスを据えることで合意。第四次四頭政。マクシミアヌス再び退位。コンスタンティヌス(西)、マクシミヌス=ダイア(東)が副帝となる。
公敵とされたマクセンティウス、イタリアで勢力を振るう。(〜312)
コンスタンティヌス、マクシミアヌスの娘ファウスタと結婚する。;マクシミアヌス、コンスタンティヌスと同盟。
コンスタンティヌス、フランク族・アレマンニ族と戦う(〜310)
アフリカのドミティウス=アレクサンデル、皇帝を僭称(〜311)
309年 ディオクレティアヌスによるキリスト教弾圧の勅令取り消される。
蛮族のライン河越境、侵入に乗じ、マクシミアヌスがコンスタンティヌスを倒すクーデターを起す。
310年  コンスタンティヌス、蛮族と講和し、マクシミアヌスに反撃、自殺させる。
東方正帝ガレリウス、信仰の自由を認める勅令公布。
ガレリウス死去。東方正帝はリキニウスが継ぎ、西方正帝は空席。
マクシミウス=ダイア、小アジアを占領
リキニウス、ヨーロッパ属州を領有
マクセンティウス、僭帝ドミティウス=アレクサンデルを破り、アフリカを征服
アフリカでカルタゴ司教座をめぐり、ドナティズム紛争始まる

資料  塩野七生『ローマ人の物語XIII 最後の努力』
 石橋秀雄他 『世界史大年表』