第四次 四頭政 |
307年 |
西方正帝セヴェルス、マクセンティウス征討のためローマへ進軍中に捉えられ自死。東方正帝ガレリウスがマクセンティウス征討に向かうが、マクセンティウス側についた諸都市に対し、蛮族に対するように襲撃、掠奪したため、途上の諸都市の協力を得られず、撤退した。 |
ガレリウス、ガリア(パンノニアとも)のコンスタンティヌスのもとに逃亡。 |
マクシミアヌス(父)、マクセンティウス(子)廃位に失敗;ガリアのコンスタンティヌスのもとに逃亡。 |
308年 |
カルヌウントゥム会議;東方正帝ガレリウス、ディオクレティアヌス、マクシミアヌスと会談し、西方正帝にリキニウスを据えることで合意。第四次四頭政。マクシミアヌス再び退位。コンスタンティヌス(西)、マクシミヌス=ダイア(東)が副帝となる。 |
公敵とされたマクセンティウス、イタリアで勢力を振るう。(〜312) |
コンスタンティヌス、マクシミアヌスの娘ファウスタと結婚する。;マクシミアヌス、コンスタンティヌスと同盟。 |
コンスタンティヌス、フランク族・アレマンニ族と戦う(〜310) |
アフリカのドミティウス=アレクサンデル、皇帝を僭称(〜311) |
309年 |
ディオクレティアヌスによるキリスト教弾圧の勅令取り消される。 |
蛮族のライン河越境、侵入に乗じ、マクシミアヌスがコンスタンティヌスを倒すクーデターを起す。 |
310年 |
コンスタンティヌス、蛮族と講和し、マクシミアヌスに反撃、自殺させる。 |
東方正帝ガレリウス、信仰の自由を認める勅令公布。 |
ガレリウス死去。東方正帝はリキニウスが継ぎ、西方正帝は空席。 |
マクシミウス=ダイア、小アジアを占領 |
リキニウス、ヨーロッパ属州を領有 |
マクセンティウス、僭帝ドミティウス=アレクサンデルを破り、アフリカを征服 |
アフリカでカルタゴ司教座をめぐり、ドナティズム紛争始まる |