ヴァレンスと甥二人による統治 |
364年 |
ヴァレンティニアヌス1世、息子グラティアヌスに「アウグストゥス」の称号を与える。
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370年 |
教父バシリウス(330?379)、カエサリア司教となる。東方で修道院会則を定め、修道院生活を確立。 |
ca.(コンスタンティヌスが死んで30年後)フン人(スキタイ人)の侵略がドナウ川の岸辺に到達。ウクライナの東ゴード族を破る。 |
372年 |
アフリカの土候の僭帝フィルムスの反乱 |
374年 |
ミラノ総督アンブロジウスは司教に就くと、西方の共同皇帝ウァレンティアヌス(アリウス主義者)に対して教権の優位を確立。 |
375年 |
ヴァレンティニアヌス1世、アレマンニ族と和約し、パンノニアに侵入したクアディ族とサルマタエ人を撃退。フィルムスの乱(372?)を鎮圧。 |
ヴァレンティニアヌス1世死去。蛮族の族長を引見中にその態度に怒ったが、そのまま倒れ、死去。
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グラティアヌス1世(位375?383)、西方皇帝に即位。ヴァレンティニアヌス2世、共治皇帝となる(?392)。 |
ローマ人と蛮族との結婚を死刑とする勅令発布される。 |
フン族、東ゴート族を破り、西ゴート族を圧迫。 |
西ゴート族、ドナウ河に西進し、ウァレンスにドナウ途河と領内定住の許可を求める。;民族大移動の始まり。 |
376年 |
ウァレンス、フリティゲルン率いる西ゴート族にドナウ南岸モエシアへの定住を認める。 |
378年 |
ローマ帝国内に移住を許したゲルマン民族が、その待遇について不満を募らせ、ついにはゲルマン民族が掠奪をはじめる。東西ゴート族、アラン族、トラキアに侵寇。
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ヴァレンス帝は、アンティオキアから侵入したゴート族討伐のためトラキアへ向かう。帝国西方のグラティアヌス帝からの共同作戦提案を無視し、ゴート族と戦闘になる。
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グラティアヌス、アルゲンタリアでガリアに侵入したアレマンニ族を破る。
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ハドリアノポリスの戦い; ゴート族に大敗し、ヴァレンス帝は逃げ込んだ小屋ごと焼き殺される。ローマ軍惨敗。
この後、ゴート族はハドリアノポリス、コンスタンティノープルも攻めたが攻略できず、ローマ帝国の真ん中に居座ることになる。
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