Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe66年   

37年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト) 69 年

ユダヤなど属王国での反乱つづく

クロニクル「ローマ帝国」    テーマ史《INDEX》   ホーム

概略

ローマ帝国の領土を維持するために、総督を送り込む属州、王国として任せる属王国などの統治方法があったが、ローマ皇帝が変わると統治方針も変わり、その土地の民族や有力者の納得が得られないこともあり、しばしば反乱を招くこととなった。この時期、アルメニア、マウレタニア、ユダヤなどが紛争の火種となった。


ユダヤなど属王国での反乱つづく
38年 属州コンマゲネでアンティオコス4世、トラキアをでロエメタルケスを、ユダヤでアグリッパを、アルメニアでコチェスを、ポントスでポレモン2世を属王の統治に戻す
39年 カリグラ、ガリアへ遠征(〜40)
レピドゥスとレントゥルスとレントゥルス=ガエトゥリクス、モグンティアクムでの陰謀発覚;両人処刑される。小アジアのアグリッピナと娘ユリア、連座して追放される
40年 マウレタニア王プトエレマイオス、ローマで殺害される
アイデモンの率いるマウレタニアの反乱起きる(〜41)
ユダヤ人使節、ユダヤ人迫害の訴え;アレクサンドリアのフィロン、ローマに来る
ガリア=ナルボネンシスのアロブロゲス族、市民権を賦与される
41年 カリグラ、親衛隊将校により暗殺される。(37〜)
クラウディウス即位(〜54、第四代皇帝);解放奴隷のパラス・ナルキッススを重用
セネカ、コルシカへ追放される
ガビニウス、ゲルマニアでカウキ族を破る
ヘロデス=アグリッパ1世、属州ユダヤを与えられ、全ユダヤの王となる(〜44)、ユダヤ人、イェルサレムの新城壁を建設(〜44)
42年 オスティアの新港建設着工(〜46)
スクリボニアヌス、ダルマティア軍団を率いて反乱を起こすが殺される
ローマ、マウレタニアの反乱を鎮圧(40〜);マウレタニア、二つの皇帝所管属州となる
43年 プラウティウス将軍(〜47)とクラウディウス(〜44)、ブリタニアへ遠征;南ブリタニア、属州となる
属州リュキア設立される
44年 クラウディウス、凱旋式を挙行
ローマ、アグリッパ1世没後、ユダヤを属州シリアに編入
属州アカイアとマケドニア、皇帝所管から元老院所管に移行
使徒パウロ(〜ca.64)、小アジア南部へ第1次伝道旅行
ca.アレクサンドリアの哲学者フィロン没(ca.BC30〜)
46年 内紛でロエメタルケス3世、殺害される;トラキア、皇帝所管属州となる
47年 コルブロ、フリシイ族を征服
カラタクス、ブリタニアで反乱(〜51)
48年 皇妃メッサリナ、貴族シリウスと陰謀を企て、処刑される
クラウディウス、小アグリッピナ(カリグラの妹)と結婚
ca.イェルサレムで使徒会議;パウロ、認められる。異邦人伝道を公認。
49年 哲学者セネカ、追放先のコルシカから召還され(41〜)、法務官に就任。ネロの家庭教師となる。
使徒パウロ、小アジアからギリシアへ第2次伝道旅行(〜52)
50年 クラウディウス、ネロを養子とする
クラウディウス、アグリッパ2世をカルキス王につける
ローマ、ガリアに侵入したカッティ族を撃退し、ケルンの地に植民市コロニア=アグリッピネンシスを建設
ca.(1C半ば)『マルコ福音書』成立
51年 ブルス、親衛隊長官となる
オストリウス=スカプラ、カラタクスを破る
カラタクス、ブリガンテス族の女王カルティマンドゥアのもとに逃亡し、ローマに引き渡される
53年 ネロ、オクタヴィアと結婚
54年 クラウディウス、皇妃小アグリッピナに暗殺される
ネロ即位(〜68)、クラウディウス神格化される
使徒パウロ、エフェソス・コリントへ第3次伝道旅行(〜58)
55年 ネロ、ウェトゥスと共にコンスルに就任
ネロ、ブリタ二クス(母アグリッピナが支援していた皇位継承者)を毒殺
コルブロ将軍、アルメニア・パルティアへ遠征(〜63)
57年 パウロ(*1)、イェルサレムで逮捕され、カエサレアで監禁される、次いでローマに護送、航行。途上難破に遭う
58年 コルブロ将軍、アルメニアのティリダデス王を破り、アルタクサタを占領
59年 ネロ、母アグリッピナの殺害を命じる
コルブロ将軍、ティグラノケルタを征服
60年 コルブロ将軍、アルメニアを征服し、ティグラネスを王位につける(〜63)
コルブロ、シリア総督となる
ca.フェストゥス、フェリクスの後を継ぎユダヤ総督となる
パウロ、ローマに至り伝道を行う(〜61)
61年 ブリタニア総督パウリヌス、イケニ族女王ボウディッカと、トリノウァンテス族の反乱を鎮圧
62年 親衛隊長官ブルス没(毒殺説あり)
親衛隊長官ティゲリヌス(〜68)のもとで反逆罪による処刑頻発
セネカ、カンパニアに引退
ネロ、オクタヴィアを殺させ、ポッパエア=サビナと結婚(*2)
カッパドキア総督パエトゥス、アルメニアに派遣され、ランデイアでパルティア王ウォロゲゼス1世に降る
ネロの浴場完成
63年 アルプス住民にラテン市民権を賦与
コルブロ、パルティアと講和し、ティリダテスをアルメニア属王とする
64年 ローマ、9日間の大火
ゲッシウス=フロルス、ユダヤ総督に就任(〜66)
ネロのキリスト教徒迫害始まる(〜67);使徒ペテロ・パウロ殉教
法学者サビヌス没
ネロの黄金宮殿(ドムス=アウレア)建設(〜68)
65年 元老院議員ピソ、ネロに対する陰謀を企て発覚、自殺
解放奴隷の子ニュンフィディウス=サビヌス、親衛隊長官となる(〜68)
ネロの妻ポッパエア没
ストア派哲学者ムソニウス=ルフス追放される
哲学者セネカ(BC4〜)と詩人ルカヌス(39〜)、ピソの陰謀に連座し、ネロの命により自殺
66年 ネロ、ティリダテスをアルメニア王と認め、ローマで戴冠式を行う
第一ユダヤ戦争勃発(〜70);ローマの守備隊、反乱軍に各地で敗走
ネロ、ギリシアに巡遊し、ギリシアの自由を宣言
ウィニキアヌス、ベネウェントゥムでネロに対して陰謀を企図
歴史家プルタルコス(ca.40〜ca.120)アテネに来る

 * ユダヤ属王国・属州関連は青字で示した。
 *1 イェルサレムにいたパウロは逮捕されたのは、非ユダヤ人(ギリシア人)を聖なる神殿に入れて汚した、といういつわりの訴えによるものだった。二年間監獄で過ごしたパウロは、自分はローマ市民なのでローマで裁判を受ける権利があると主張した。60年頃ローマに到着した彼は、おそらく裁判を待っていたのだろう、4年間ほどそこにとどまった。パウロがローマで裁判を受けたいと訴えたことの中には、帝国内にキリスト教を広めたという、もう一つの重要な確信があった。使徒ペテロもまたローマにいて、ちょうど同じころに殺された。だが、これについては確たる証拠がほとんどない。ペテロが教会を設立したり、そこで指導者として務めたという証拠もまったくない。学者たちはローマでペテロが行ったと伝えられていることは、そのほとんどが口頭による伝承か、おそらくは資料に挿入されたものとみなしている。しかし、ギリシア語を話す商人のパウロとアラム語を話す漁師のペテロの二人の名前が、ローマのキリスト教世界と東方正教の世界を支配するようになる。
 *2  暴君として知られるネロだが、ポッパエア=サビナがネロの治世後半に悪影響を与えたとの説もある。

資料 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利』
石橋秀雄他 『世界史大年表』
サイモン・ジェンキンス 『ヨーロッパ全史』