Title9-3.GIF (2758 バイト) EuropeBC238年 . . . . . . . . . . . . . . . .

BC264年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)    gya_r_bg.gif (1063 バイト) BC218年

第一次ポエニ戦争後

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概略

ポエニ戦争とはフェニキア人との戦争を意味している。ローマは急造の海軍で、地中海最大の海軍国カルタゴへ戦いを挑んだ。シチリアをめぐる戦争であったが、20年以上にわたり相互に200隻以上の軍船が幾度となく激突する大戦争へ拡大した。ローマは慣れない海での大きな海難事故などにより疲弊したが、「カラス」という敵船に乗り込む桟橋を考案し、数度の海戦に勝利し、ついにはシチリアを領有することとなる。カルタゴはハンニバルの父親であるハミルカル=バルカなどが善戦した。しかし、海洋国家であり、同時に農業国でもあった豊かなカルタゴは、シチリアとの戦いに全戦力を投下することはせず、最終的にローマに敗れることとなる。

   
第二次ポエニ戦争前までの経緯
BC238年

ローマはカルタゴでの傭兵の反乱による混乱に乗じ、サルディーニア島、コルシカ島を占領。ティレニア海の制海権を確立

BC237年 ハミルカル、スペイン征服
BC229年 ハミルカル戦死。女婿ハシュドゥルバルが後継者となる。
第一次イリュリア戦争;ローマ、イリュリア艦隊を駆逐し、アポロニア等イリュリア沿岸部を領有。
BC228年 ハミルカル、「新カルタゴ」(カルタヘナ)建設
BC226年 ローマ、ハシュドゥルバルと協定;カルタゴのエブロ河以南領有を認め、以北への拡大を制限。
BC221年 ハシュドゥルバル死亡。ハンニバルがカルタゴのスペイン総督となる。
BC220年 ローマ、北辺のガリア民族征討(BC225〜)の後、国境をルビコン川からポー河へ移す。
BC219年 ハンニバル、スペインのローマ同盟都市サグントゥムを攻略。ローマ、カルタゴへ宣戦布告。
資料 塩野七生『ローマ人の物語II ハンニバル戦記』(25)