コンスタンティヌス大帝の息子により、三分割されたが、ダルマティウスとハンニバリアヌスの領土は次男コンスタンティウスと三男コンスタンスに分割された。
これは3人による会談の結果だが、後になってダルマティウスとハンニバリアヌス領土の分配がなかった長男コンスタンティヌス2世が三男コンスタンスに北アフリカの分割を要求してきた。末弟に拒否されたコンスタンティヌス2世はアルプスを越えて、弟の領土へ攻め込んだ。しかし、アクィレイア近くで行われた戦闘でコンスタンティヌス2世は捕らえられ、殺されてしまう。コンスタンティヌス2世が治めていたブリタニア、ガリア、ヒスパニアは、コンスタンスの担当地域に組み入れられた。帝国の3分の2が末弟で20歳のコンスタンスの統治領域となったが、ペルシア王への対処で手一杯だったコンスタンティウスは抗議して、問題を提起する余裕はなかった。
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