Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe340年   

337年gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト)350年

コンスタンティヌス大帝後の覇権争い

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概略

コンスタンティヌス大帝の息子により、三分割されたが、ダルマティウスとハンニバリアヌスの領土は次男コンスタンティウスと三男コンスタンスに分割された。 これは3人による会談の結果だが、後になってダルマティウスとハンニバリアヌス領土の分配がなかった長男コンスタンティヌス2世が三男コンスタンスに北アフリカの分割を要求してきた。末弟に拒否されたコンスタンティヌス2世はアルプスを越えて、弟の領土へ攻め込んだ。しかし、アクィレイア近くで行われた戦闘でコンスタンティヌス2世は捕らえられ、殺されてしまう。コンスタンティヌス2世が治めていたブリタニア、ガリア、ヒスパニアは、コンスタンスの担当地域に組み入れられた。帝国の3分の2が末弟で20歳のコンスタンスの統治領域となったが、ペルシア王への対処で手一杯だったコンスタンティウスは抗議して、問題を提起する余裕はなかった。


コンスタンティヌス大帝死後の覇権争い
337年 コンスタンティウス、コンスタンティヌス2世、コンスタンスの大帝の息子3人による分割統治。
338年  ローマ、ペルシアと戦う(〜363)。シャープール2世のニシビス攻囲を撃退
339年  アタナシウス(ca.295〜373)、アンティオキア公会議で罷免、ローマに逃れる
340年 コンスタンティヌス2世、北アフリカの割譲を要求するが、末弟コンスタンスに拒否され、イタリアに攻め込むが、戦闘で捕らえられ、殺される。コンスタンス、西方の支配者となる。
次男コンスタンティウスは東方でペルシア王への対処で過ぎ、三男コンスタンスは北方蛮族を撃退することで10年がすぎる。

資料   塩野七生『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利
 石橋秀雄他 『世界史大年表』
 サイモン・ジェンキンス『ヨーロッパ全史』(青土社)