第二次ポエニ戦争 前半の経緯 |
BC213年 |
ハンニバルはタレンツゥムを攻略。ローマ植民都市を除く南イタリア全域を支配下に治める。
|
BC212年 |
ローマは6個軍団を投入し、カプアを包囲する。支援に駆けつけたハンニバルを撃退する。
|
BC211年 |
ローマはシラクサを包囲、アルキメデスの対攻城器に悩まされるが陥落させる。長い間マグナグレキアの中心都市であったシラクサはその独立を失い、ローマの属州となる。
|
スペイン戦線でハンニバルの弟ハシュドゥルバルを押え込み、イタリア半島のハンニバルへの支援を阻止していたローマのコルネリウス兄弟の軍団が潰滅する。
|
カプア陥落、同盟国からローマの属州へ。
|
BC210年 |
スペインで潰滅したコルネリウスの息子スキピオ(25才)が異例の若さでスペインへ派遣される。
|
BC209年 |
3-スキピオがスペインでのカルタゴの本拠地カルタヘナを奇襲し、一日で陥落させる。
|
マルケルスがハンニバルを執拗に追いかけている間にファビウスがタレンツゥムを陥落させる。
|
BC208年 |
バエクラの戦い;スキピオがハンニバルの弟ハシュドゥルバルを破る。
|
ハシュドゥルバルは3万の軍を率いてイタリア半島へ向う。
|
BC207年 |
メタウルス河畔の戦い;北部イタリアに侵入したハンニバルの弟ハシュドゥルバルを執政官リヴィウスとネロが迎え撃ち、ハシュドゥルバルを敗死させる。ハンニバルは彼の予想よりも早くアルプス越えを果たしたハシュドゥルバルの救援に向うことなく、自陣に投げ込まれた弟の首によって弟との合流が失敗したことを知る。
|
BC206年 |
イリパの会戦;スキピオはスペインのハンニバルの末弟マゴーネを破り、全スペインを制覇する。
|
BC205年 |
スキピオ(29才)は40才以上が資格の執政官へ立候補し当選。北アフリカへの派遣を元老院に要請するが、ファビウスらの反対に会い折衷案としてシチリアへ派遣される。
|
ハンニバルの末弟マゴーネはジェノヴァに上陸、北イタリア進攻の構え。
|
マケドニアのフィリップス5世、ローマと同盟を結ぶ。ローマはイリュリアを、マケドニアはギリシアを支配下に入れる。
|
BC204年 |
スキピオはアフリカに上陸し、ヌミディア王シファチェと騎兵団長マシニッサへ同盟を申し入れるが、シファチェはカルタゴ側につき、マシニッサと200人の騎兵団だけがスキピオにつく。
|
マゴーネはイタリアに進攻するが、ローマ軍に撃退される。
|
BC203年 |
スキピオ・マシニッサ、カルタゴ第二の都市ウティカを攻略。ヌミディアに攻め込み、王シファチェを捕え、マシニッサをヌミディアの王とする。
|
ハンニバルとマゴーネにカルタゴから帰還命令。(マゴーネは戦闘中の負傷がもとで船上で死亡)
|
BC202年 |
ザマの戦い;スキピオはカルタゴ首都南西のザマで、ハンニバル率いるカルタゴと会戦。象軍を封じ込め、ヌミディアを味方につけたことでの優位な騎兵戦力によりカルタゴ軍に勝利する。
|